ゆあぺディア~私とセンバツその①~

私の一番古いセンバツの記憶は、1984(昭和59)年。
当時、小学4年生になる春でした。

兵庫県西宮市に生まれ、小学校入学と同時に大阪へ。
ですから、近畿勢、特に大阪代表を応援していました。

第56回大会、優勝候補は2年生のKKコンビを擁するPL学園。
桑田投手、清原選手の活躍に野球少年だった私は魅了されました。
といっても球場で試合を見た記憶はなく、テレビ観戦のみでした。

我が家はどちらかというと、夏は現地、センバツはテレビ観戦が主でした。
ちなみに、高校野球を甲子園で見た一番古い記憶は、1982年。大阪・春日丘高校が神奈川・法政二高に負けた試合です。父に連れられ甲子園で見ました。まあ、連れていかれたという方が正確かもしれませんが(笑)まだ、KK時代到来の前夜ですね。

さて、絶対PL学園が優勝、夏春連覇と信じていた決勝戦。
しかし、東京代表で初出場の岩倉高校に0-1で敗れ、準優勝に終わりました。
最後の左打者のセンターフライはテレビで見た瞬間、「やった同点ホームランだ!」と立ち上がったのを今でも覚えています。悔しかったなあ・・・。

そういえば、昨年、関西学生アメリカンフットボールの取材で偶然、岩倉高校野球部出身の選手に出会いました。思わず、私は身を乗り出し、
(私)「君が生まれるはるか昔、岩倉高校ってセンバツで優勝したの知ってる?」
(選手)「もちろん、知っていますよ」
(私)「すごいな、勉強熱心やね」
(選手)「いや、部室に決勝戦のビデオが置いてあるんですよ。それを見ました」
(私)「へー、そうなんや!」
アメフトの取材そっちのけで、高校野球の話に夢中になってしまいました(笑)

あれから、36年・・・。
でも、いまだに、優勝を決めた瞬間の岩倉高校・山口投手が両手を広げたガッツポーズは目に焼き付いています。


湯浅野球少年

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