ゆあぺディア~私とセンバツその⑬~

“初出場初優勝”―。
最近のセンバツでは、2004(平成16)年の愛媛・済美高校が達成。これが、商業高校となると・・・
1985(昭和60)年の高知・伊野商まで遡らなければなりません。

2016(平成28)年の88回大会。兵庫県代表・明石商業は春夏通じて初めての甲子園。
チームを率いる狭間善徳監督は、その偉業を“本気で”狙っていました。

初戦の相手は、サウスポー森山投手を擁する宮崎・日南学園でした。
緊張?あんまりしなかったね。冬からの練習も上手く積めたし、チームをベストの状態に仕上げられたから。それと、試合前にパッとベンチ裏を見たら、知っている顔ばっかりやもん(笑)幼なじみに、高校や大学時代の友人がズラーッと。金網に顔をくっつけるくらいの勢いやから(笑)」
これが、甲子園での初采配。さすがに緊張で硬くなるかなと思いきや、真逆だったようで・・・。
「いい意味で緊張感がなかったよ(笑)」そして、続けて「“あの時”を除いてね・・・」

“あの時”とは。
試合は、互角の勝負。明石商が8回裏、日南学園が9回表に1点ずつ取り合い、2-2の同点。
迎えた9回裏、明石商が1アウト満塁のチャンス。
「1-1からのスクイズ、あれぐらいやわ、緊張したのは」
打者・藤井選手のカウントは1ボール1ストライクとなり、迷わず狭間監督はスクイズのサインを出します。結果、見事に藤井選手は指揮官の期待に応え、サヨナラ勝利。
狭間監督が“本気で”狙う頂点に向けて、幸先のいいスタートを切りました。

2回戦の相手は、藤嶋健人(現中日)投手が注目の愛知・東邦高校でしたが、エース吉高壮(現日本体育大4年)投手が完封勝利で、ベスト8進出。

狭間監督が“本気で”目指す頂点が少し見えてきた準々決勝。相手は、京都・龍谷大平安高校でした。
「俺はもちろん、優勝はずっと頭にあったよ。だって“初出場初優勝”って、1回しかチャンスないでしょ。ただ、選手の中に、東邦に勝って、初めての甲子園でベスト8に残って、次に龍谷大平安に負けても称賛されるんじゃないかみたいな気持ちが心のどこかに生まれたように思う」
ベスト4をかけた試合は、1-1で延長戦に。ただ、延長に入るまでに明石商に目立ったバント失敗。
龍谷大平安の大胆なシフトにも惑わされ、流れをつかめませんでした。
「どんな状況でも絶対に(打球を)転がすというか、チャレンジャー精神というか、思い切ってやろうという部分が足りなかったかな
結局、延長12回の末、龍谷大平安が小川選手のサヨナラ安打で勝負あり。
狭間監督の“本気”で目標にした夢”は、幻に終わりました。
「でも、甲子園自体も学校の歴史上初めてでしょ。すべてが初めての中で、選手はよくやってくれた。称賛できる戦いでした

夏の予選では、ベスト8の壁を破れなかった時代、そして3年連続準優勝に終わった時代を乗り越え、2018(平成30)年に初優勝。今年のセンバツまで4季連続の甲子園出場を果たし、明石商は、今や県内屈指の強豪校になりました。

昨年の夏、話題を呼んだ“狭間ガッツ”。
ただ、私が取材した狭間監督は、確固たる知識を持った“野球伝道師”というイメージです。

いまだに目に焼き付いているシーンが2つ。
1つは、現在、埼玉西武に在籍する松本航(日本体育大から19年プロ入り)投手を指導する姿。
もう1つは、今年のドラフト上位候補に挙がる中森俊介(3年)投手を指導する姿。
どちらも、ブルペンのあらゆる角度から見回って、腕の角度・頭の位置・足の上げ方など、こと細かく丁寧に言葉をかけていました。
私からすると、2人とも右の本格派、ダイナミックで綺麗なフォームにしか見えないのですが、アドバイスの内容が全く違うんです。
「同じ学年の時点で比較したら、中森の方が上だと思う。でも、航(松本)は自身のフォームを瞬時に把握できる力があった。おまけに股関節も柔らかかった。スピードは中森の方が、まだまだ出るかな。当たり前ですが、みんな特徴が違うんですよ」

監督やコーチを務めた明徳義塾中・高時代に、様々な指導者に出会ったという狭間監督。疑問が生じたときには積極的に質問し、消化し、自身の指導に取り入れてきました。

「教え方って、極端に言えば“何億”とあると思う。教え方が一辺倒になると、その指導が“ハマらない”選手も出てくる。それは避けたい。でも“根気”はいるよ。あと“情熱”やね。それしかない。だから1日24時間じゃ足りないのよ(笑)あの選手はこのやり方が合うかな、この選手はこうかなって考えていたら、時間なんてあっという間。でも奥深いよ、ホンマに。この場面で変わるか!というのがあるから、高校生は。だからこそ、よくこちらが見てあげないと」

もちろん、野手も例に漏れず。打撃でのタイミングの取り方、上半身と下半身のバランス。守備では、ボールに向かう時の角度など・・・。練習グランドを所狭しと動き回り、選手の日々の変化に対応する毎日。
細かい技術の裏付けがあってこその総合力。昨年の春夏連続ベスト4の成績も、何ら不思議ではありません。
一番印象に残った出会いが、その戦いの中にありました。
昨年の夏―。当たり前に高校野球が行われていた2019年の夏―。

明石商は初の決勝進出をかけ、大阪・履正社と対決しました。
試合は初回に、6安打を集中させた履正社が4点を先制。そのまま、終始ペースを握り、8回を終わって4点リード。

すると、一人の選手に声がかかります。背番号14の百々(どど)亜佐斗(当時3年)選手。新チーム結成以降、自ら志願して三塁コーチを担当してきました。これが、センバツや夏の予選も含めて初めての公式戦出場でした。
実は、監督から直前に“代打でいくぞ”と言われていました。ただ、投手交代のタイミングもあって守備からになりました」
投手は、中森(当時2年)投手から安藤碧(当時3年)選手に。百々選手はレフトのポジションにつきました。
履正社・小深田選手の打球がいきなりレフトへ。安打でノーアウト1塁。
「自分では捕れた打球だったと思います。だから本当に悔しいんです
その後、井上広大(現阪神)選手はフォアボールで、再びベンチが動きます。マウンドには杉戸理斗(当時3年)投手が上がり、守備シフトの入れ替えで、百々選手は交代となりました。

ベンチに帰っていく百々選手。私はスタンドで何気なく見ていました。その時です。
狭間監督に呼ばれて、歩み寄っていくではありませんか。

私は作戦を伝えるため、狭間監督が選手に声をかける場面は何度も見てきました。
ただ、交代してベンチに下がった選手に、直接話をするシーンは見たことがありませんでした。

“ここからいい声を出して、また雰囲気を作ってくれ”と。さらに“最後まで諦めない、全員で戦うぞ”と声をかけて頂きました」
試合は1-7で終了。百々選手は、最後の瞬間を“定位置”の三塁コーチャーズボックスで迎えました。
「代わった直後にも、試合中にも関わらず、声をかけて頂き、嬉しかったです。監督は、本当に選手のことを第一に考えて下さる方でした。感謝しかありません」
試合出場時間、およそ4分。百々選手にとっては、生涯忘れられない4分となりました。

常々、狭間監督は話します、
「部員100人(昨年夏は111人)の人生を変えてしまう怖さがある」と。
その責任感を背負っているからこそ、日々、選手の動きをすべて把握するために時間を惜しまず、妥協をしてきませんでした。それゆえ、控え選手の起用も、声かけも瞬時に判断できるのだと。選手に本当の気持ちが伝わるのだと。
話せば話すほど涙を流す百々選手の姿を見て、明石商の本当の強さを実感しました。だからこそ、92回大会が楽しみでした。

13回に及んだこのシリーズ企画も、今回で最終回です。コラムをご覧頂き、ありがとうございました。
最後は、明石商の話を中心に紹介してきましたが、これまで22年間、高校野球では、たくさんの方々に取材をさせて頂いてきました。センバツコラム~⑤~でも書きましたが、私は高校時代、クラブ活動をしていませんでした。ですから、今まで出会った指導者の方々、全員が私の恩師です。

そして、レギュラーであっても、そうでなくとも、ベンチ入りのメンバーに選ばれていても、そうでなくとも、関係ありません。毎日、懸命に鍛錬に励んできた選手の皆さんを心から尊敬しています。
その思いは今後も変わりません。

スケジュールが順調であれば、今日、92回大会の決勝戦が行われる予定でした。
先行きが見えない情勢ですが、一日も早く世界中の人々に平和な日常が戻るよう願っています。
そして、もちろん、甲子園球場に球音が戻ってくることも・・・。

This entry was posted in 日記. Bookmark the permalink.