2人の監督

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第88回高校サッカーは、山梨・山梨学院大学付属高校の初出場初優勝で幕を閉じた。
84回の滋賀・野洲以来5大会連続で初優勝校が誕生し、まさに
選手権は“群雄割拠”の時代に完全に突入した。

兵庫県代表・神戸科学技術(以下科技)高校は2年ぶり2回目の出場。
昨年の高校総体で初の全国ベスト8進出を果たし、今大会は優勝候補にも挙げられていた。
初戦の相手が、青森・青森山田。
こちらも同じくV候補。新春1月2日の試合は2回戦屈指の好カードとして注目を集めた。

「相手は横綱。うちは前頭。120点の試合をしたい」と話していた科技・鈴木利章監督。

実は、昨年の末、神戸を出発する前に、ある人から気合いを注入されていた。

そのある人とは、全国高校駅伝で2位に入った西脇工業・男子の足立幸永監督。

2人はともに現在の兵庫県多可町出身で、中町中学の先輩後輩の間柄。
(足立監督が2年先輩にあたる)

ちなみに、足立監督は中学時代野球部に所属、鈴木監督はサッカー部に所属していた。

12月下旬、静岡合宿に出発する直前、鈴木監督の携帯が鳴る。
「今ちょっと神戸におるねん。会える?」電話の声は足立監督だった。

久しぶりに三宮で再会した二人。
当然、話題は、全国高校駅伝へと移る。

西脇工業は、県予選では須磨学園の後塵を拝した。
西脇工業・報徳以外が優勝するのは、実に33年ぶり。
まして、足立監督は就任1年目。名将・渡辺前監督の跡を継いで1年目でのこの結果だけにかなり思うところがあったのではと、容易に想像できる。

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その足立監督のパワーの源は、昨年12月、10度目の防衛に成功したWBCバンタム級チャンピオン長谷川穂積選手だった。
(長谷川選手は多可町に近い西脇市出身)
“よし、今度は先輩からパワーを頂く!”

しかも、西脇工業と最後まで2位争いをしたのが、青森山田高校!
さらに、駅伝チームの中心・田村選手はサッカー部の2年生エース柴崎選手と
同じ青森県野辺地町出身。
“その青森山田に競り勝ったんやから、次はサッカーでも!!”
間違いなく、西脇工業の全国2位は、鈴木監督を、科技高を勇気付けた。

しかし―。
1月2日千葉市原臨海競技場のピッチには、科技高の無念の涙・・・。
0-2。エース伊佐の負傷交代があったとはいえ、完敗だった。

最後のロッカールーム。
見るものの胸を締め付ける選手の涙。
鈴木監督は、何度も教え子を見渡し、ホワイトボードを静かに消す。
5分ほど経ってから、ケガの伊佐を労り、選手数人の頭を撫で、ゆっくりと語り出した。

「ご苦労さん!特に3年生、高校サッカーは終わるけど、サッカー嫌いにならんと遊びでも何でもいいからボールを蹴ってくれな・・・。」

そして、大きく深呼吸。
「俺は、昨日の夜の最後のミーティングで一つだけ言わなかったことがある。
俺自身はみんなに“ありがとう”って言ってない。
お前らが、今日ここまで連れてきてくれたわけやから、そのおかげで俺もいい思いをさせてもらった・・・。

本当にありがとう!!よく頑張ってくれた!!
お前らもう、科技高のユニフォームを着ることないけど、
またここにも1・2年生おるし、
後輩が頑張っているのをしっかり応援したってな。

ありがとう!よー頑張った!!
何も恥ずかしくない。顔を上げて神戸に帰ろう」

選手に感謝の意を表した鈴木監督。本当に優しい表情だった。
選手を第一に考える鈴木監督らしい最後のメッセージだった。

神戸科学技術サッカー部4期生の戦いは終わった。

2010年1月中旬、神戸―。
鈴木監督は、選手権以降、いまだ足立監督と連絡を取っていない。
「勝ったらな-(連絡してこいよ)」
という足立監督の言葉が脳裏に残っている。
“いつ電話しますか?“という私の問いに
「新人戦が終わってからかな」。
まもなく始まる新人大会。
「前途多難。勝てるかどうか分からないよ」と言いつつも
“足立監督に優勝報告を”が現在の鈴木監督の大きなモチベーションである。

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