2024年03月12日(火曜日) 11:14 報道特集・ドキュメント

神戸から東北に送られた希望の灯り~大槌のボランティアの母 八幡幸子さん~

東日本大震災の津波でまちが壊滅した岩手県大槌町で、大槌のボランティアの母と呼ばれる女性がいます。震災復興への思いや神戸とのつながりなどを取材しました。

※特集動画では津波の映像が流れます。ストレスを感じる方は視聴をお控えください。

 

取材:藤岡勇貴(サンテレビニュースキャスター)

 

 3.11大槌希望の灯り 写真左 堀内正美さん 3.11大槌希望の灯り

岩手県大槌町 八幡幸子さん

 

【東日本大震災から13年】

岩手県大槌町

 

2017年の神戸マラソンで、私は東北から訪れたある女性と出会いました。

 

(2017年リポート・藤岡)

「こちらの震災復興の願いが込められたモニュメントの前。若松広場では東日本大震災の被災者も招かれたふれあいイベントも開かれています」

(2017年・八幡幸子さん)

「3.11の時は皆さんから義援金とか心温まる奉仕、支援を本当にありがとうございました。さっきもあいさつしたんだけど、胸が詰まるね」

 

岩手県大槌町から訪れた八幡幸子(やはたゆきこ)さん(73)です。八幡さんが暮らす大槌町は、岩手県のリアス海岸のほぼ中央に位置し、大槌湾に浮かぶ島は、住民たちに「ひょうたん島」として親しまれています。13年前のきょう(3月11日)、人口1万5000人ほどが暮らしていたこのまちにも津波が襲いました。

 

【津波でまちの7割が壊滅】

八戸市提供(撮影:陸上自衛隊八戸駐屯地)

(自衛隊ヘリコプター・隊員)

「あっ。何もできないな。現在地大槌。大槌町です」

 

死者行方不明者は、人口の約1割にあたる1286人。まちの全家屋の7割・4375棟が被害にあいました。

 

(自衛隊ヘリコプター・隊員)

「津波は住宅地まで入ってきた模様です」

 

建物の形が残った桜木町地区。八幡さんが暮らしている地域です。岩手県内各地で日中の最高気温が15度を超えた2月14日、私は八幡さんのもとを訪ねました。

 

【後悔 助けられなかった命】

当時を振り返る八幡幸子さん

 

(藤岡)「すみません」

(八幡さん)「お疲れ様」

(藤岡)「すごく暖かいですね」

(八幡さん)「春持ってきた。神戸から春を持って来たんじゃないの」

 

八幡さんは、この場所で食料品店を営んでいます。東日本大震災では、夫ともに自宅と店舗を兼ねた建物の2階に逃げて無事でした。

 

(写真を見せる八幡さん)

「ここにも人がいたんです。『寒いよ。助けてけろ。死にそうだよ』って言ったんだけど、行けなかった。このとおり水があるから。声をかけてみたの。うっうっうって2回声出してくれたんですよ。『あっいるんだ。いたんだ』と思って行ってみたら、冷たくなっていたんですよ」

 

住民と協力して高齢者を2人救助しましたが、1人は間に合いませんでした。

 

(八幡さん)

「(心臓)マッサージすると150まで上がるんですよ。でも手を休めるとゼロになってしまって。家族みたいにして一緒にね。いろんなことを手伝ってもらったりしているから、悔しいよね。人を助けられなかったという思いがあるから」

 

助けたくても助けられなかった後悔。八幡さんの周りの人たちも多くの人が同じ経験をしています。

 

(八幡さん)

「若い人がね。おらのじいさんが下の家にいるから連れ来てくれと。連れてきたら津波がここまで来たんだって。『おじいさんごめん』っておじいさん下ろして自分だけ逃げたって。

生かさせてもらったからその気持ちを。『おじいさんの分まで何か人のために役に立とうって。私たちも頑張るからあんたも頑張れ』と言って。

 

【人のために何かを ボランティアに託した復旧・復興】

ボランティアたち

建物が残った桜木町地区から復興を。八幡さんは、所有する家をボランティアの宿泊拠点に改装してのべ2000人を泊めました。被災者への炊き出しとともにボランティアにも食事を提供。大槌のボランティアの母と言われるようにもなりました。

 

(八幡さん)

「私もそれなの。助けられなかった人がいる。誰か来てくれる人たち。なんぼボランティアさんだって人間だよ。食べるものも泊まるところもなかったら。私のできることは、泊まらせて食べさせることしかできなかったから。とにかく来て、大槌をとにかく復興させてほしい。それしかなかったのさ」

 

【真っ暗なまちに灯りが欲しい】

3.11大槌希望の灯り

そう願う八幡さんのもとに神戸から灯りが届けられました。

 

(八幡さん)

「この灯りを頼りに海に行った人たちが戻ってきてって。そういう気持ちで。願っていますよね。海の方に向かって。手を合わせる」

 

2012年11月11日、高台の城山公園に、寄付金によって犠牲者鎮魂のモニュメント「3.11大槌希望の灯り」が設置されました。灯された灯は、阪神淡路大震災の被災地神戸の「1.17希望の灯り」を分灯したものでした。

 

(2012年・堀内さん)

「それでは点灯をお願いします。点灯!」

 

堀内正美さん

「寄り添うためのうつむいた人がちょっとだけ顔を上げてもらいたい。そんな思いで陸前高田や南相馬であり建立してきて。今回(大槌)のデザインはひょうたん島にある灯台をイメージしてつくられた」

 

【神戸から東北に灯りを】

写真左 堀内正美さん

NPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯りの設立者で、俳優の堀内正美さん。被災地神戸から東北に灯りを届けました。

 

堀内正美さん

「他府県からの方たちに本当に力づけられて、お水にしてもそう。食糧にしてもそう。全国の皆さんが神戸に足を運んでくれて届けてくれたんですね。阪神淡路で経験した人のぬくもりというのがとてもうれしかった。じゃあ僕たちもできることをということで、岩手と福島に訪れた」

 

3.11大槌希望の灯り

日が経つごとに1つ。そしてまた1つと大槌に灯りが灯りました。

 

(八幡さん)

「火は灯りはぬくもりをすごく感じますよね。ことしもこのくらいまちに灯りができたとか。感無量でしたよ」

 

駆け抜けてきた13年。脳梗塞で倒れたこともありました。

(八幡さん)

「あと15年は働きたいと思っているから。そしたらいくつになるのかな。88。

それまでいっぱい見本がいるから90歳の人もいっぱいいるから。たまにけがしたり病気したりするのも休めっていうことなのかなと」

 

明石市や福崎町といった兵庫県、そして、全国からボランティアが駆けつけ、大槌のまちは一歩ずつ復興への歩みを進めています。

 

(八幡さん)

「少しでも役に立ちたいということで今でも考慮しているんですけど、それに関しても2つの文字。感謝です」

 

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