勤務最終日を迎えた森田さん
御蔵小学校の外は焼け野原だった震災当時
震災を知らない教諭が増えた
高井さんに会いに行った森田さん
震災を経験した御蔵学校を訪れた
最後の震災授業
特集です。
阪神淡路大震災の記憶を伝える震災授業に取り組み続けた1人の教諭がこの春、引退しました。
震災から丸30年となった2025年1月17日、教壇に立った彼女が最後の震災授業で伝えたこととは。
森田明美さん。
神戸市長田区の駒ケ林小学校での勤務を最後に40年あまりの教師生活を終えることになりました。
【震災授業に取り組んできた森田明明美さん(62)】
「子どもたちに伝えたいと思うことはその年、その年で伝えてこられたかなと。そうできた自分の仕事やそれを真剣に考えてくれる子どもたちに出会えたことが私にとっての幸せだなと思います」
■少年に渡したバナナ1本 30年経っても忘れないあの日の無力感
1995年、1月17日。
森田さんは実家からほど近い神戸市長田区の御蔵小学校に勤務していました。
校区内にある多くの住宅が倒壊し、火災によって焼失。
無事だった御蔵小学校は避難所として多くの被災者を受け入れましたが、想定以上の避難者に配給できる食料が足りなくなったこともありました。
【震災授業に取り組んできた森田明明美さん(62)】
「焼けた地域に家があった5年生の男の子が並んでいるときバナナ一本しか渡せなくて。その子が『みんな同じやから』と言ったのが忘れられない。無力さというのか、5年生の子どもにこんな思いをしているのに何もしてあげられない」
■被災者の一人であり 教師としてあの日の記憶を伝えていく
避難所を運営する傍ら、学校の再開に向けた準備を進めていた教員たち。
しかし、もたらされたのは児童の犠牲という悲しい知らせでした。
【震災授業に取り組んできた森田明明美さん】
「信じられなかった。亡くなったというのは本当にずっと信じられてなかった。私がつらいとか言えるようなのではないけど私の中ではすごく大きなものになりました。自分たちの生まれ育った神戸で何があったのか、そこからどう神戸が変わっていっているのかを知ってほしい」
教師として、大切なものをなくした被災者の一人として。
あの日痛感した日常の尊さと失われた命の重みを子どもたちに伝え続けてきました。
教壇に立ち始めてからおよそ40年。
当時を知らない教諭が震災学習を担うことが増えました。
【駒ケ林小学校 井上陽介教諭】
「僕は経験してないので経験していない中でどうするかというのを苦労する。すごく難しく、そういう時に明美さんに聞く。ちゃんと考えないとあかんなと思わされる存在というか
明美さんと出会って震災学習の難しさを痛感した」
■最後の震災授業で絶対に伝えたい 遺族の元を訪ねた訳とは
この日、森田さんは阪神淡路大震災で息子を亡くした女性の元を訪れました。
当時1歳半だった高井将君は、震災で倒れてきた家具の下敷きになり、命を落としました。
森田さんは母親の千珠さんとの出会いをきっかけに将君のことを授業を通して児童たちに伝えてきました。
【震災授業に取り組んできた森田明明美さん】
「今将君にありがとうって言って。いっぱい学んだよ、子どもたちは。またことしもするからね」
教師として臨む最後の震災授業。どうしても子どもたちに伝えたいことがありました。
【震災授業に取り組んできた森田明明美さん】
「私の中で震災を通して何を一番伝えたいのかといったら高井さんと出会って将君と出会って命の大切さとか命の重さ。一つの命が何年経とうが亡くなったことに対して傷が癒えることはなくずっとあるということ。やっぱりそれを絶対に入れたい」
【息子を亡くした高井千珠さん】
「結局たくさんの人が亡くなっているので将君はその中の一人だよと言うことは伝えてそれ以外にもということは想像できるように終わってほしい」
■震災を経験した御蔵小学校で響く 「しあわせ運べるように」
2024年12月、森田さんは震災を経験した御蔵小学校であの日、あの時を振り返る集まりを開催しました。
参加したのは当時、御蔵小学校に勤務していた教諭や歌を通して東日本大震災を継承する
福島のしあわせ運べるように合唱団のメンバーです。
阪神淡路大震災を忘れないという思いで森田さんが始めたこの集まりも10年目を迎えました。
■震災が奪った命、街並み 遺した人のあたたかさや繋がり
【震災授業に取り組んできた森田明美さん】
「震災って本当に悲しいしこんなことってなかった方が絶対にいいんだけど震災がなかったら絶対に知らないまま。悲しいし奪われたものはいっぱいあるけどこれが遺してくれたものの一つかなというのは思います。これからもよろしくお願いします」
あの日感じた悲しみや喪失感。
知ることができた人のやさしさや思いが今の神戸を生きる子どもたちに届くように。
最後の授業が始まります。
【森田明美さん】
「自分の横で寝ていた将君の命が亡くなっていろいろな『ごめんね』を思った。どんな『ごめんね』を思ったかな?」
【児童】「助けられなくてごめんね」
【児童】「守れなくてごめんね」
【児童】「亡くなってしまったけど今でも将君のことを愛しているよと伝えていると思う」
【森田明美さん】
「一つの命が亡くなるということは何十年経っても思いが消えないねん。その命はあなたの命もそうやし、あなたの命もそう。亡くなったのは6434人であるけれど亡くなった方だけではなくその人たちを大事にしていた人たちのことも忘れないでいてほしいと思います」
教師として伝え続けた震災の記憶と想い。
それは森田さんが教壇をおりた後も、教え子たちの中にあり続けます。