神戸の被災局サンテレビの取材映像・阪神淡路大震災29年

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「神戸に地震は来ない」 誤った神話

震災当日の夕方、サンテレビが当時の貝原俊民兵庫県知事にインタビューした映像です。

(貝原俊民兵庫県知事:当時)
「本当に突然のことでしたから、とにかく全面的に救助活動を急ぐと。
この辺は災害がないということで自慢していたものですから。一般的にそういうことに対する心構えが必ずしも十分できていなかったんじゃないかと思いますね」

神戸に地震は来ない。誤った神話のもと、無防備だったまちに未曽有の大地震が襲いました。

1995年1月17日

淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。淡路島や神戸、芦屋、西宮、宝塚では震度7の揺れだったことが調査で分かりました。

死者は6434人で行方不明者3人。地震で直接亡くなった5513人のうち8割以上が木造住宅などの倒壊による圧死や窒息死でした。

大勢の人が生き埋めに

(カメラマン)「この中に誰かいるんですか?」
(男性)「おじいさんがこの中に住んどったはずや。困るなあ」

(カメラマンリポート)
「午前11時55分現在の長田区です。長田区は空襲を受けた後のような火災で、立っているマンションから180度どこを見渡しても火災が起こっています」

293件の火災が発生し、約84万平方メートルが焼損しました。

水がない…

(カメラマンリポート)
「消防隊が放水を諦めました。貯水槽の水がなくなったのです」

生き埋めになって助けを求めても火が迫ってきて助けることができなかった命もありました。

(男性)
「一瞬の間に2階が1階にがさんと落ちた。私は2階から出た。
誰かの声が聞こえて助けてくれって言った。その後警察の人が来たんやけど、火がぼわっと上がったから。もうどうにもできないってみんな下がった。
おじいさんとおばあさんと孫2人。ここに8人埋まっているねん」

電話をしてもつながらず、警察や消防に駆け付けて救助を要請しました。しかし、警察や消防、医療従事者、行政職員も被災者でした。建物が被災し、救助を求める立場になった病院もありました。

阪神間の大動脈は寸断

阪神間の大都市を襲った直下型地震で都市機能は完全にまひ。全壊または半壊の被害があったのは約45万世帯に上りました。あまりの被害の大きさに救助や消火が追いつきませんでした。

車を運転していると、突然道がなくなり車とともに転落した人も。

(男性)「道がないと思った瞬間、ブレーキを踏んだけど、間に合わなくてそのままずどんと」
-車と一緒に
(男性)「朝の6時半くらいですね」

震源地の淡路島では、家屋が倒壊し多くの人が生き埋めになりましたが、その日の午後には行方不明者はゼロに。

消防団や地域コミュニティーの力が強く、どこに誰がいるかを地域住民が把握していて早期救助につながりました。

助かる人を助けないと

淡路島の重症患者が搬送された県立淡路病院では、緊急度や重症度で治療の優先度を決めるトリアージが行われました。

避難者 約30万人

被害が大きかった地域では、電気やガス、水道が使えず、物資や水が届くのにも時間がかかりました。

真冬に約30万人が学校の体育館などに避難。避難所ではインフルエンザなど呼吸器疾患が蔓延し、300人が亡くなるなど震災関連死は921人に上ります。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。神戸で暮らす人の半数が震災後に生まれた人や新たに引っ越してきた震災を経験していない人たちです。

私たちはあの日の出来事を次の世代に伝えていかなければいけません。

 

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