阪神淡路大震災で2人の子どもを亡くした男性が芦屋市の小学校で震災教育の授業を行いました。
芦屋市立打出浜小学校で5年生と6年生を対象に授業を担当したのは、阪神淡路大震災当時34歳で、妻と子ども2人の4人で芦屋市に暮らしていた米津勝之さんです。
米津さんは1995年1月17日の阪神淡路大震災で自宅が全壊し、当時7歳の長男漢之くん当時5歳の長女深理ちゃんを亡くしました。
米津さんは、いつもは漢之くんがいた場所で寝ていましたが、この日だけ場所が入れ替わっていました。
震災後、米津さんは2人の子どもを授かりました。
来年の春に大阪の特別支援学校の教諭になる次男の凛(21)さん。
自らも震災を学ぶため父の授業に同席しました。
亡くなった姉の深理さんの夢は小学校の先生でした。
こちらは、亡くなった漢之くんが小学生の時に使用していたランドセルです。
その後、凛さんが6年間背負って学校に通いました。
米津さんは、来年も再び授業を受ける予定の5年生の児童に「このランドセルには何が詰まっていると思いますか」など1年後の授業に向けた宿題を出していました。