【特集】幻の藤緞通復元に挑む赤穂緞通作家

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赤穂市立歴史博物館で開かれている赤穂緞通(あこうだんつう)展。

伝統織物の赤穂緞通は、木綿を使った手織りの高級じゅうたんとして知られています。江戸時代末期に赤穂に生まれた児島なかが独自に開発し、1874年=明治7年に商品化しました。

この展覧会は、児島なかの生誕200年を記念して、赤穂緞通の歴史を戦前に織られた緞通と関連資料でたどりますが、資料の中の早川宗助が経営する工場に「藤緞通(とうだんつう)」という言葉が登場します。

(赤穂市立歴史博物館学芸員 木曽こころさん)
「播但農商工便覧という明治24年に出版された冊子で、早川緞通工場のところに『藤緞通』と記述があった。
木綿緞通よりも前に藤緞通と書かれているので、工場の主力商品として藤の繊維で織った緞通があったのではないか」

児島なかから技術を教わった早川宗助は、輸出商品として藤緞通を独自に開発したとみられます。

(木曽さん)
「主に輸出先は欧米になりますが、靴文化の国なんです。木綿であれば繊維が寝てしまって役に立たなかった。
それでもう少し硬い毛質のものということで、藤緞通、藤皮で織ったものをということで開発した」
-現存しているものは?
「1点もないんです。まだ見つかっておりません」

藤緞通は兵庫県の品評会で1等賞になったほか、内国勧業博覧会でも表彰されるなど高品質でしたが、現物が確認されていないため「幻の緞通」となっていました。

兵庫県上郡町に工房を構える赤穂緞通作家の見並なおこさん。

見並さんは1991年、存続の危機にあった赤穂緞通の織方技法講習会に15歳の若さで参加し、技術を学びました。

その後、研鑽を重ね、百貨店で個展を開く作家へと成長。円形やひし形の敷物などオリジナル作品も次々に生み出しています。

そんな見並さんが、藤緞通に興味を抱き、復元にチャレンジすることになりました。

(赤穂緞通作家 見並なおこさん)
「前から結構作りたいというのが夢だったんですけど、なかなかチャンスや時間も取れなかったりして。去年くらいから動けるようになったので、今だと思ってチャレンジしました。
とりあえず藤という植物を知ろうというところから始めました。」

藤の糸を使う織物を探していた見並さんがたどり着いたのが、京都府宮津市の上世屋地区でした。

この地域では、藤の糸を織る技術が伝承されていて、藤を織りあげた布を「藤布(ふじふ)」、あるいは「のの」と呼び、今もさまざまな商品が作られています。

(丹後藤織り保存会会長 坂根博子さん)
「(藤布は)日本全国にあったんです。それが廃れてきて残ったのがここの地域だったということ。
水に強くて火に強いので、昔、漁師さんや海女さんがカキとか貝とかを海に行って入れて持って帰ったとか、昔の火消しさんの衣装には肩当てに藤の布が使われてました」

保存会では、会長の坂根博子さんが中心となって藤織りの技術を伝える講習会を開いていて、見並さんは今年度の講習会に参加しました。

(見並さん)
「藤の糸を作られているところは日本中探してどこかないかと探してて、こちらの保存会の講習会がまた再開されると聞いてたどり着いた感じです」

藤織りは、藤のつるから糸を取り出す長い工程が必要で、見並さんは半年をかけてその技術を学びました。

この日は講習会の最終回。見並さんら5人の講習生は仕上げの藤織りに取り組みました。

藤をたて糸、よこ糸の両方に使う藤織りは、緞通とは全く違う技術で、見並さんも苦戦です。

指導する坂根さんは、見並さんの行動に熱意を感じていました。

(坂根さん)
「藤緞通を復元したいんですということを言われて、私自身、緞通の意味が分からなくて。
すごい熱心に、自分の裏山から藤を取ってきて、これをどういう風に繊維にできるか教えてくださいみたいなことから始まって、受講生になってくれて、ずっと関わってくれているという感じです」

講習生が力を合わせて織りあげた「藤布」が完成しました。

(見並さん)
「木のつるから糸を作るっていうことも私は初体験で。その技術のすごさと、手間暇のかかるとんでもない苦労をされて作られていることにびっくりしました」

上世屋で学んだ技術で、見並さんは自宅の裏山から藤のつるを切り出し、繊維を取り出して糸にする作業に取り組みました。

そして、その糸を使って念願の「藤緞通」づくりに励みました。

その過程では、赤穂市立歴史博物館の学芸員・木曽さんからアドバイスを受けました。

(見並さん)
「最初に小さい3つの試作品を作って、どの試作品が一番復元に近いのかというのを木曽さんに相談させていただきました」

(木曽さん)
「戦前の藤緞通が一点も見つかっておりませんので、どういう風合いかずっと気になってたんですね。
見並さんが持って来られたのを見て、『あー、こういう感じだったのか』という感慨がありました」

こうして出来上がったのが、藤緞通を復元した作品「光凪(みなぎ)」です。

たて糸とよこ糸は木綿ですが、表に出ている毛足部分は全て藤の糸になっています。デザインは、宮津市の名勝・天橋立をイメージしました。

この作品は、開催中の赤穂緞通展に特別展示されています。

(木曽さん)
「木綿に比べると毛が硬くてですね、弾力性があるという感じです」

(見並さん)
「これで合ってたんやと思ってすごくうれしかったです。復元できたことはすごいありがたいなと思いました」

見並さんは今、木綿の緞通と藤緞通を組み合わせた新たな作品の開発を模索しています。

-明治時代に作られた藤緞通の現物が見つかったら?
(見並さん)
「ぜひ答え合わせをして、果たして合っているのかどうか確実に検証をしていきたいと思って。
出てきたものが藤緞通と分かったら、今度はそれに近づけたものを作り出していきたいと思います」

赤穂緞通作家の創作意欲はまだまだ続きます。

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