西宮市にある理容室「ヘアーサロンにしの」。
店長の西野勝善さん(53)です。
子どもの頃から、理容師だった両親の背中を見て育ってきました。
いつも忙しくしてましたからね。
学校から帰ってきたら「すぐ手伝いや」という感じで、「下掃いてや」「タオル当てや」「洗い物して」「ご飯作っといて」そんな感じですね。
店に飾られた1枚の写真。笑顔を見せているのは、西野さんの母、節香さんです。18年前、63歳で帰らぬ人となりました。
あの日、節香さんは大阪に向かうため、家を出ました。
娘に女の子が生まれ、あばあちゃんになったばかりでした。
孫の写真ができあがってよろこんでよろこんで、鞄の中に入れて肌身離さずみたいな感じでね。
あっち行っては孫の写真を自慢して、近所中に自慢して終わったら大阪のほうまで行って大阪の友達に見せるんや、言ってね。
節香さんが乗っていた2両目は、犠牲者が最も多く、事故で亡くなった106人の乗客のうち、57人がこの車両にいました。
生存者の方からうちの母親が座席に座って寝ていたというのを見ていた方がいらっしゃる。後日になって母親の持っていたバッグと写真アルバムが返ってきたんですけど血だらけだったんですね。
顔には傷はなかったんですけどね、後頭部の頭蓋骨が損傷していてそれが致命傷だった。
地域に根ざし、夫の道晴さんと店を続けてきた節香さん。
明るく話好きな一方で、技術には人一倍厳しい人でした。
よく怒られましたよ 毎日怒られてましたからね。
「あんた 私の子どもやのになんでこれができへんのじゃ」って怒られましたけどね もう指がね、うちの母親みたいに器用に動かないんでね。
お客さんが満足して帰ってもらったら「ようやったな」ってほめてくれますけどね。
まあ、技術に関してはうちの母親にはとうとう勝てなかったですね。
店の顔を失った西野さんと道晴さんですが、事故の9日後に営業を再開しました。
とにかく仕事してるのが母親に対する供養や、いう感じで。
うちのお父さんは仏壇の前でじっと座ったままで動かなかったんですけど、しばらくね やっぱお客さん来たら「しゃあないな、やらんとしゃあないな」って言ってね。
お客さんあって、やっぱ元気になるというんですかね。
それから、親子2人で支えあってきましたが、道晴さんが体調を崩すことも増え、今、店を守るのは西野さん1人になりました。
節香さんの命は、あの日奪われてしまいました。
それでも、節香さんのもう1つの「命」は、今もそのままです。
うちの母親のはさみは保管しているんですけどねこういうやつですね
18年の時が経って少しさびついたはさみは、母が生きた証。
母がここにいた証。
西野さんは、母の面影とともに、店に立ちます。
やっぱりうちの母親の道具をのけてしまうと 寂しいものがありますからね。どっかで見てるんじゃないかという緊張感がないと。
母が見ているような感じで仕事していますね
写真の中の節香さんがそっと背中を押してくれます。
時に厳しく、時にやさしく。