たつの市御津町の港町・室津の賀茂神社に伝わる「小五月祭」。毎年4月初めに行われる女の子の祭で、色鮮やかな衣装の女子高校生たちによって奉納されるのが、「棹の歌」です。
この「棹の歌」は平安時代から伝わるもので、兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されています。
かつての室津は、参勤交代や北前船の寄港地として栄え、遊郭もありました。室津在住の郷土史家・柏山泰訓さんは、神様を喜ばせるための「棹の歌」を歌うのは、遊女の役目だったと語ります。
【柏山泰訓さん】
「良い役者なり演者が奉納すると神様も喜ぶ。だから 、室津でも一番『棹の歌』がうまかった人間が、室津の氏子を代表して祭りには奉納した。それが多分、遊女の長という『室君』だったと思います」
千年もの歴史がある小五月祭は、2019年からの3年間、コロナ禍で中止となっていましたが、今年ようやく、4年ぶりの開催が決まりました。
【賀茂神社 岡研作宮司】
「3年という時間が本当に長い、すごい時間だなと今ひしひしと感じてます。子どもたちも毎年毎年やっていたから、順番に下に新しい子が入って古い子がいてとやっているのが3年間飛んでしまったので、全く初めての子たちが今年は奉仕してくれることになりました」
賀茂神社の岡研作宮司は祭の再開を喜ぶ一方、今後の存続に危機感を抱いていました。
【岡宮司】
「(継続への危機感は)非常に感じています。昔は(子どもが)たくさんいて、祭りに奉仕してくれる女の子はくじ引きでやっていたような祭りなんですが、今はもう人数がそろわない」
室津地区の人口減少は深刻で、1951年に2300人を超えていた人口が、今年3月末には半分以下の862人に減っています。地元の室津小学校も2年前に閉校となりました。
4年ぶりの祭に向けて、「棹の歌」の稽古が3月中旬から連日行われ、地元出身の高校生や大学生、小学生が参加しました。
指導に当たる3人の師匠も、かつて「棹の歌」を奉納した経験があります。
祭の主役である室君を演じるのは、高校3年生の万寿本怜耶さんです。
前に並ぶ囃し方が小鼓と太鼓で演奏し、室君と後ろに並ぶ巫女が歌います。
【室君役 万寿本怜耶さん】
「すごい怖いですね。いろんな人が来てくれると聞いているので、ずっと声が震えるんです。一番大きい役なので、あまりミスができないので、はい、プレッシャーがすごいです」
【『棹の歌』の師匠 室山雅代さん】
「最初はちょっと不安でしたけど、子どもたちも覚えるのがすごく早かったので、思ってたよりも3年間の空白は大丈夫だったと今は思って、あとは本番を精いっぱい頑張るだけです。」
4月2日。小五月祭の本宮は晴天に恵まれました。神社の本殿の前で「棹の歌」を奉納します。
師匠たちが歌う「ヒューヒャラ」は、かつては笛で演奏していた部分を歌に変えたものです。
【棹の歌】
「たち縫わん たち縫わん 衣きし人も 無きものを 何、山姫の布さすらん…」
「たち縫わん」から始まる歌詞には、春夏秋冬のおだやかな風景が描かれていて、豊年万作を祈る祝い歌となっています。
囃し方の演奏と室君や師匠たちの歌が、独特の雅な世界を作り出します。
15分に及ぶ「棹の歌」の奉納を終えると、神様を乗せたみこしをお旅所まで運ぶ「みこし渡御」です。小鼓と太鼓の演奏をしながら、「みこし渡御」が室津の町中を進みます。
久しぶりの行列を地元住民は笑顔で見守っていました。
【室津の住民は】
「私は以前、こうやって(棹の歌を)教えていた者です。長いことなかったので寂しかったけどうれしいです。子どもたちの着物を着せるのを手伝ったんですけど、とてもうれしくて」
「懐かしい気持ちになりました。(自身も参加)してました」
お旅所では、みこしを安置して、再び「棹の歌」を奉納します。
「みこし渡御」の一行はここで一旦休憩して、さらにお旅所で一回、神社に戻って一回、「棹の歌」を奉納します。
【万寿本さん】
「ちょっと緊張ばっかりだったので、あまりうまく歌えなかったです。あと2曲やるので、それで今までよりもうまくできたらいいなと思います」
【室山さん】
「思ってたよりすごく子どもたちの声も元気で、割と覚えてくれたので、ここまでは成功かなと思います。あともう半分ありますけど頑張ります」
これは1970年の小五月祭の風景です。まだ人口が多かったので、たくさんの女の子が「みこし渡御」に参加し、盛り上がっていました。
今回4年ぶりに開かれた小五月祭。参加人数は減りましたが、地域を豊かにしたい思いは昔と同じです。
【岡宮司】
「伝統ある何百年も続いてきたお祭りを、途切れさせることなく次の世代に何とか伝えていきたい。その思いだけです」