河川敷を舞台に、高さ7メートルにもなる円すい形の「とんど」を担いで、祭り屋台のように練り合わせる人たち。
姫路市の市川下流の右岸に広がる阿成地域の伝統行事で、阿成の渡場・中垣内・下垣内の三町が、それぞれの「とんど」を河川敷に持ち寄って行いました。
正月の伝統行事として兵庫県内各地でも行われている「とんど」は、竹の枠に編んだわらを巻きつけて作った「とんど」を正月飾りと一緒に焼いて、一年の無病息災を祈るもの。
この阿成地域のように「とんど」を担いで練り合わせるのは大変珍しいということで、姫路市は「阿成のとんど」を未来に引き継ぎたい優れた景観として、「景観遺産」に選定しています。
伝統行事にくわしい姫路市教育委員会の宇那木隆司さんは、「とんど」を練り合わせるのは、祭の際に披露される踊りなどの芸能「風流(ふりゅう)」のひとつだと話します。
【姫路市教育委員会文化財課 宇那木隆司さん】
「(阿成)3町の『とんど』の山で練り合わせをしていた。これもひとつには家内安全・無病息災を祈願しての『風流』だと思います。そういう『風流』を正月の火祭りでするのはあまり姫路市内では見られない」
姫路市では、この行事を後世に残そうと2016年に記録ビデオを製作。雪景色の中で行われた「とんど」の練り合わせは素晴らしい景観を形作っています。
しかし、会場は河川敷ではなく、渡場にあるグラウンドで、ほかの町の住民は参加していません。なぜでしょうか?渡場の自治会長・中野隆さんに聞きました。
【阿成渡場自治会長 中野隆さん】
「県が河川を広げるということで(河川敷を)削ってしまった。(とんどを)継続したいから渡場は向こうに入った。
中垣内は狭いなりに元の場所(河川敷)でやってます。下垣内も元の場所でやってます」
かつては大規模に「とんど」練りを行えた河川敷の面影は無く、渡場では町内のグラウンドに会場を変更しました。しかし、そのグラウンドでも記録ビデオのような「とんど」はもう行われていないというのです。
【中野さん】
「灰が(周辺家屋に)飛んで消防署に呼ばれたことがある。(当時の)自治会長がね。それで嫌気がさしますよね」
宅地化が進んだために町内で大きな「とんど」を燃やすのは難しくなりました。このようなケースについて、伝統行事の専門家である園田学園女子大学の大江篤学長にたずねました。
【園田学園女子大学 大江篤学長】
「環境の問題などで学校の校庭で『とんど』をやるのが中止になったりとかいうことと、変化しながらでも本質にあたる部分でお正月のこの時期にしめ縄とかお飾りを焼いて正月の神様を送るんだと心の中に残っていくっていう部分ですね。そんなところが大事になってくるのかなと思います」
1月8日。阿成渡場で「とんど」の準備です。大きな円すい形ではなく、四隅に竹を立ててわらで囲う、正月飾りを入れる場所だけ作りました。この日、阿成の他の町でも「とんど」を作りました。下垣内では河川敷で昔ながらの担げる「とんど」を作っていました。近くの山から竹を切り出し、大量のわらも準備しました。
【阿成下垣内自治会長 井戸隆信さん】
「すべての材料がそろいにくいです。わらを田んぼしてる人にいただくんですけど、田んぼやる人も減っているし、竹は今のところ関係者に声をかけていただいてますが、それも山の中に入って採るような重労働です。
人が集まって、みんなで楽しんでいただけるのが一番です。」
1月15日。「阿成のとんど」当日です。下垣内の「とんど」です。やや小ぶりですが、ちゃんと担げるようになっています。
【井戸さん】
「昔に比べると非常に小さくなってしまったんですけど、仕方のないことで時代の流れですね」
一方、こちらは渡場。広いグラウンドに町民が集い、「とんど」の中に正月飾りを入れていきます。
「とんど」を燃やす火は早川神社からもらい受けます。小学生の代表が灯明の火を松明に移し、グラウンドまで運びます。
小学生の手によって「とんど」に点火されました。参加した人たちは無病息災を祈っていました。
【点火した小学生】
初めてやったことやし、これからはできないことと思ってうれしかったです
【中野さん】
「もう皆さんこの熱風を浴びて、ことし一年元気で過ごせそうです。やはり伝統的に『とんど』はしていきたい」
下垣内では、いよいよ「とんど」を担ぎます。下垣内で「とんど」を担ぐのは数年ぶり。若い人たちが中心になって、ぎこちないですが、しっかりと担ぎました。年配の住民は囃子歌で盛り上げます。
【とんどを担いだ男性】
「僕は小さい時から参加して見てきてるんですが、やはり毎年あってほしい。毎年恒例で。」
そして、わら束を使って「とんど」に火を点けました。かつての「とんど」とは大きく変わりましたが、「とんど」練りは確かに復活しました。
【井戸さん】
「まずは開催できたということが一番うれしいです。しっかりと今燃えておりますので。
本当はこういう伝統行事は続けたいというのは、本音ですけどなかなか難しいところがありまして。縮小されてもなんとかできることであればできたほうがいいのかなと思いますけど」
この映像は、1985年頃に下垣内の住民が撮影した「とんど」です。後世に残したいこの景観は、すでに失われてしまいました。それでも、住民たちは地域のつながりのために、新しい景観を作る努力を続けています。