これが元祖漫才 但馬の「法花寺万歳」

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豊岡市の法花寺(ほっけいじ)地区には江戸時代から伝わる法花寺万歳と言われる伝統芸能があります。現在の漫才の原形とも言われるこの法花寺万歳を、但馬の川越カメラマンが取材しました。

多くの芸人たちが夢をかけて挑む漫才。賞レースのタイトルをつかむと一躍スターダムにのし上がる近道ともなりました。年々そのレベルは高くなり、漫才におけるテンポや間はいまや学問にまで発展。県内では授業に取り入れる高校や職員が漫才を披露し広報活動を行う自治体まで現れました。

この漫才の元と言われる伝統芸能が、豊岡市で受け継がれていました。

三味線の音色に合わせてコミカルな踊りを見せる2人。いまの漫才とは形式が異なりますが、これこそが漫才の原形と言われている「万歳」です。

ボケとツッコミというスタイルは、袖なしの半纏に大黒頭巾を被った「才若」と烏帽子帽に素襖(すおう)姿の「太夫」が担います。

豊岡市の法花寺地区に伝わる伝統芸能「法花寺万歳」は2005年に県の重要無形民俗文化財に指定されました。

室町時代に建てられた法花寺地区の酒垂神社。この神社の向かいにある法花寺会館をのぞくと、保存会のメンバーが万歳の練習をしていました。

法花寺万歳は江戸時代後期の1800年ごろに、京都に奉公していた村民が習い覚えて広めたとされています、

【法花寺万歳保存会 太夫役 藤原求会長】
「(法花寺万歳とは)昔の古典万歳というもの。祝福万歳。家々を回って、その家が反映するように願う」

祝い事には欠かせなかった伝統の万歳ですが、1935年頃から衰退し戦時中に途絶えたといいます。

【藤原会長】
「昭和47年に保存会ができた。近畿・東海・北陸ブロックの大きな芸能祭があって、これだけ盛り上がるんだったらということで後継者を募って、私たちが後継者で入ったのが30年以上前」 

升田康博さんはいまで言うボケ担当の才若を演じています。

【法花寺万歳保存会 才若役 升田康博さん】
「(入会に抵抗は)ありましたよ。覚えるのに2~3年。覚えるだけで、そこから初舞台はまだほんの数年前。
何回やっても難しいですね。仕上がりが理想に全然近づけてない」

【法花寺万歳保存会 三味線 藤原政勝さん】
「(三味線は)20歳のころからやってます。たまたまですけど、おじいさんが法花寺万歳をやっていて。『入ってくれ』って言われてたまたま入って。いまだに続いている」

昔と違い、三味線もペアで弾くようにしています。

【法花寺万歳保存会 三味線 北垣堅司さん】
「一番は糸が切れないか心配。縁起ものですから切れるということが怖い」

多少の出入りはあったものの、保存会のメンバーは30年以上変わらずずっとこの4人。後継者不足が目下の悩みの種です。

【藤原会長】
「100年、200年続いているなかで、もっともっと続けていかなければならない」

この日は法花寺万歳の公演日。

「むずかしい」だ「大変だ」と言いながらも衣装を合わせているだけでも…楽しそう。

【升田さん】
「才若のほうがセリフが10分間も休みない。呼吸するところがない。太夫のほうが所々で休憩できる。才若はずっと休憩なし」

小言が多いのも升田さんが楽しんでいる証拠。御愛嬌です。

そんな一行が向かったのがこちら。コウノトリの郷公園。ここでは一年の無事と五穀豊穣を祈願して年明け恒例の正月公演が開かれます。多くの観客を前に、みな顔つきも変わり、万歳に力が入ります。

【観客は-】
「正月ですし縁起ものですし、拝見しようと参りました。素敵ですね。伝統芸能ってすごいですね」

【藤原会長】
「思ったよりもたくさん来ていただいて、喜んで帰っていただけた。『毎年この万歳を観ないと正月を迎えれんのや』と言っていただいたんで、やった甲斐がある。
法花寺万歳の認知度は低い。地元以外のほかの地域でも『あそこに行ったらこの万歳がある』と伝えていただけたらありがたい」

藤原会長たちから次の世代へ受け継がれていき、いつかM-1の舞台で法花寺万歳が見られる日が来るかもしれません。

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