震災を知らない子どもたちから子どもたちへと「語り継ぎ」を代々続けている小学校があります。
なぜ、経験していないあの日について学ぶのか。
震災を知らない子どもたちと教諭が導き出す答えを見つめました。
芦屋市立精道小学校。
1年生から6年生まで、必ず阪神淡路大震災について学びます。
犠牲となった6434人の中には、かつてこの場所で学んだ子どもたち8人が含まれているからです。
この日、語られたのは、小学6年生で震災を経験した森洋樹さんの記憶です。
【小学6年生で震災を経験した 森洋樹さん(40)】
「近い人では自分のおばあちゃんが亡くなったのと、同級生2人が亡くなるという体験をしました」
【6年生の児童】
「震災を思い出すようなことはあるんですか?」
【森洋樹さん(40)】
「震災のことはこの時期になると毎年思い出します。あしたが来ないかもなんてあんまり考えることはないかもしれないけれどでも阪神淡路大震災は起こったし当たり前の日っていうのは確実に来るとは限らない」
毎年行われる震災学習。
中でも6年生は自分たちが学んだことを5年生に語り継ぐという重要な役割を担います。
【芦屋市立精道小学校 井口知奈美教諭(29)】
「こっちが押し付けで代々やっているから語り継ぐ会をしないといけないという形で進めていきたくはなくて自分の思いとか、自分が主体となって伝える活動をしてほしい」
6年2組の担任を務める井口知奈美さん(29)は、精道小学校が独自に置く「防災担当」を任され、震災学習を主導しています。
【井口知奈美さん】
「君たちが自分で5年生に語り継ぐわけですよね?どういったことを5年生に伝えたいか」
【6年生の児童】
「語り継いで終わりではなくてそこから対策することで自分の命も守れるし人の命も守れるんじゃないかなと思いました」
「5年生にも伝えるけど自分の中でも忘れないでいく」
【井口知奈美さん】
「阪神淡路大震災の学習の中で失われた命や被災者の思いをしっかり考えて語り継ぐことで自分の生き方を見つめ直す。
こういうことをこれからの学習課題にして進めていくのでいいですか?」
井口さんが震災を経験したのはわずか1歳の時。
記憶がない中でも子どもたちの学習を導いていかなくてはなりません。
井口さんが頼ったのは前任の小学校で一緒に働いていた永田守さんでした。
永田さんはかつてこの精道小学校で「防災担当」を務めていました。
【打出浜小学校 永田守教諭】
「10年とか20年とか節目の年と言われるんだけど実際に震災を体験した人とか亡くなった人にとったら毎年毎年来る大事な日。
一番は震災を学ぶことで子どもたちが成長してくれるというか、何かをつかむ。
それが精道小学校でしかできない学び、震災学習じゃないかな」
月日が経っても、担当者が変わっても続いてきたのは「震災を忘れない」という思いが受け継がれてきたからでした。
【井口知奈美さん】
「記憶がないけどどう伝えたら子どもたちの心にちゃんと届くのかなって…」
【永田守さん】
「一緒に学んでいったらいいんちゃう?体験してないからしょうがない、それは。
悪いわけではないから。私にとったら井口さんが精道小学校で試行錯誤しながらだけど頑張って勉強していくことは希望やな」
米津勝之さんは、
毎月17日には精道小学校の慰霊碑に花を手向けています。
米津さんは震災で長男の漢之(当時7)くんと長女の深理(当時5)ちゃんを亡くしました。
【米津勝之さん】
「漢之はまじめである意味どんくさくもあり、でも素直で優しい男の子でした。
深理は周りの人を優しくさせるようなそういう子だった」
1年生だった漢之くんの「あのね帳」は倒壊した家の中から見つかりました。
書かれていたのは一緒に料理を作った思い出。
家族と過ごせるはずだった「あした」のこと。
【震災学習での米津勝之さん】
「これ、漢之が書いたあのね帳。1月16日に書いた震災の前日に。
『あした食べるのが楽しみです』あしたっていつ?」
【6年生の児童たち】
「1月17日」
【6年生の児童】
「話すことはつらくない?つらいけれど話してくれているのか?」
【米津勝之さん】
「自分が一緒の部屋に寝ていて自分だけ助かってしまった。子ども2人は亡くなってしまった。
漢之とか深理が生きていたことを思い出すことは悲しくもあり、
思い出せることはうれしいことでもあるけれどそこは結構複雑」
「なんでこの時間勉強するの?なんで?それをみんなに考えてほしいねん。
関係ないと思っている人にも考えてほしい。こういう時間が何でつくられているのか。なんで?というのに向き合って考えてほしい」
何のために震災を学び続けるのか―
あの日を知らない子どもたちと教諭は自らに問い続けています。
12月、代々続いてきた「語り継ぐ会」まであと1週間と迫ったこの日、子どもたちは準備に追われていました。
【芦屋市立精道小学校 井口知奈美教諭】
「みんな震災経験してない?知らないこともあるやんな?だからこそ学んでいるわけやんな?
米津さんも言っていたやん。その言葉の向こう側にあるものを想像したり考えたりしてほしい」
【作業を進める6年生の児童】
「『人生は生きるに値する』というやつ。米津さんが言った言葉だからどうしようと思って…助けられず震災となかなか向き合えなかった」
【井口知奈美さん】
「それとか5年生につたえられるんじゃないかな?
実際それぐらいしんどい思いを抱えて生きている人がいるんだよって」
これまで被災者から聞いた話をまとめ、自分がどう感じ、何を伝えたいか考えます。
今田朋芳さんは亡くなった米津漢之くんのあのね帳を発表の題材に選びました。
【今田朋芳さん】
「語り継ぐ会で発表する内容。同じ部屋で寝ていて自分だけ助かった…」
【今田さんの母】
「米津さんが?」
28年前の記憶を思い起こさせてくれるのは今、震災を学んでいる朋芳さんです。
【今田朋芳さん】
「なんで自分は生き残ったのか」
【今田さんの母】
「変われるものなら変わりたいよね。
つないでいくことでその子たちが生きているような気持ちになれるというか、存在をわかってもらえるというのが親にしたら…」
12月15日。「語り継ぐ会」当日。
米津さんも子どもたちの発表を見届けるために学校を訪れました。
【発表する6年生】
「この精道小学校でも8人の子どもたちが亡くなったのを皆さんも知っていると思います。
その人たちも私たちと同じで夢や未来があり毎日を楽しく過ごしていました。
そこに震災が起こって亡くなってしまったのです。
皆さんは自分たちと亡くなった人は違うものだと思っていませんか?」
【発表する6年生】
「8人はただの数字ではありません。その一人一人には命があってそれぞれの人生がありました。
僕はこれまで8人の子を思って生きてきたことはありませんでした。
でもこれからは8人の子を思いながら生きていきたいと思います」
何のために語り継ぐのか。
たくさんの人に話を聞き、自らに問い、考えた。
その思いを5年生へつなぎます。
【今田朋芳さん】
「私はこの震災学習を通して改めて命、時間の大切さを感じました。
時間や命があればだれかと話すことも、夢を叶えることもできるし、それぞれの人生をつくっていけるけれど死んでしまったらもうできなくなる。
私は後悔する時間を少しでも減らすように時間を大切に親やお世話になっている人への感謝を忘れずに過ごしていきたいと思いました」
【話を聞いた5年生は】
「亡くなった人がいたうちの精道小学校では8人だったから少ないなと思っていたんですけどこんなに大切だったんだと思いました」
「一人一人が大事な人なので一人でも亡くなったら悲しいからそういうことは忘れないでほしい」
子どもたちの思いを受け止めた井口さん。
今度は自分の言葉で伝えたいと思っています。
【井口知奈美さん】
「震災当時はどんな様子だった?」
【井口さんの母 基子さん】
「家の前に出たら家がつぶれていたり火が出たり、あちこちでしていたかな」
震災直後、母の実家に預けられ、家族と離れ離れで過ごした日々について尋ねました。
【井口知奈美さん】
「知奈美は神戸で過ごすのは難しいから小豆島に?」
【基子さん】
「知奈美を預かってくれるところもないし、水道もガスも電気もない。
苦渋の決断やけどそれが最善じゃないのかなと決断した。
でもあなたがいたからこそ、自分達も生きられた。生きなあかんというのもあったかもしれへん」
28年の時を経て初めて親の思いを知りました。
【井口知奈美さん】
「今こうやって生きて子どもたちと関われていることとか、何かがあったら声を掛けられることとか、大事にしたいなと思った」
子どもたちと、震災を学んだ大切な時間。
井口さんなりの答えです。
【井口知奈美さん】
「記憶はないから被災者の気持ちを理解するということは簡単にはできることじゃない。
分からないから被災者の気持ちを自分なりに聞いて一生懸命考えながら生きることについてや命について大事にしていく。
みんなも生きている中でつらい しんどい 苦しい場面ってきっと出会うと思うんです。
震災の時にどれだけしんどくてもつらくても生きようと必死で頑張ってきた人たちがいたからみんなも、もし困難に直面しても乗り越えていける力がきっとあるということを知ってほしい」
【井口さんの話を聞いた児童】
「1年生の時からちょっとずつ勉強してきたので心には刻まれているので中学生になってあまり学ばなくなってもずっと覚えていきたい」
「先生が真剣に考えてくれたからその気持ちを受け取ってずっと大人になっても忘れずに今度は僕たちが伝えていかないといけない」
あの日を巡る記憶と思いは彼らとともにあしたに繋がっていきます。