受け継いだ伝統 播州織の挑戦

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北播磨の特産品の播州織は最盛期の10分の1以下にまで生産量が減っています。この播州織に新たな風を吹き込み魅力を伝えている人を丹波の松本カメラマンが取材しました。

松本カメラマンが訪れたのは、西脇市のアパレルメーカー「tamaki niime」です。会社の名前は代表を務める玉木さんの名前から付けられています。

玉木さんの工房で製造されているワンピースやストール、男性もののネクタイなど、すべて播州織の製品です。中にはキュートな丸いフォルムのバッグや小物入れもあり、全身をコーディネートできるアイテムが並びます。

玉木さんが案内してくれたのは、播州織の芯となる「染め」の工程です。

【tamaki niime 玉木新雌さん】
「いろんな染めに挑戦しようと思っている。糸で染めるのが播州織の特徴。
彼女もやってますけど、『かせ』という糸の束を『むら染め』している。」

播州織の一番の特徴は先染であること。仕上がった生地を染めるのではなく、先に糸の段階で染めて、染まった糸を使って生地を織ります。

真っ白な糸に何種類かの染料を染み込ませて糸にグラデーションを付ける作業をしています。

【玉木さん】
「播州織は無地で一色にきれいに染めるのが特徴なので、すごく新しい挑戦だと思う。」

播州織の糸は単色が基本。玉木さんはグラデーションの糸を使うことで新しい播州織に挑戦しています。

1792年に広まったとされる播州織は、誕生から200年以上の歴史を誇ります。昭和30年代からは全国から女性労働者が西脇市を中心とした北播磨地域に集まるなど黄金期を迎え、国内の先染織物のシェア率は70%以上を占めていました。

しかし、平成に入って円高や海外との価格競争の影響で生産量は減少。2016年の生産量はピーク時の8.8%にまで落ち込みました。

【玉木さん】
「播州織って景気が下がっていってニーズが減っていると聞いていた。
どうせやるならみんながやっていないようなこと、みんながびっくりして驚いて喜んでくれるようなことをしないと多分生き残れないだろうなと思って、すごい開発には力を入れました。」

これは玉木さんが積み上げた色の標本です。グラデーションの糸など新しい糸を使うのは、播州織の生き残りをかけた挑戦です。

この機械ではセーターを織っています。

【玉木さん】
「本来は大量生産のための機械で、これを24時間ずっと動かし続ける。
私たちの場合は一点ものを作りたいから、毎回この縦の糸を1枚編みあがるたびに交換して、毎回毎回違う色をやろうとチャレンジしている。」

玉木さんが力を入れたのは一点ものであるということ。

【玉木さん】
「ニーズがないものとかお客様が喜んでもらえないものをいくら作っても商売にはならないだろうなと思ったときに、世の中に1個しかないと言われたら私だったら買ってしまう。そういうのを作ろうと挑戦しました。」

しかし、ここまでの道のりも決して簡単ではありませんでした。

玉木さんの出身は福井県です。服飾の専門学校を卒業後、播州織の職人と出会い、没頭していきます。そもそも播州織は生地を作って出荷しているだけで製品加工していませんでした。よそ者が新しい播州織を生み出すことに快く思わない人もいたといいます。

【玉木さん】
「基本的には反対派が多かったかな。播州織というものがあるから(これは播州織)じゃないと批判は多かった。
自分としてはそれでもやりたいという気持ちが強かったし、だからこそ最終的には播州織のためになるって信じていたので。
目先の苦情とかよりも『絶対これは』と信じている気持ちが強かったので、続けることができました。」

少しずつ理解者も増え、今は同業者からの支持も受けているそうです。

挑戦し続ける玉木さんは、今では西脇市で綿の栽培を始めています。この日、播州織について知ってもらおうと、馴染みの客や近所の人を招いて収穫体験が行われました。

まだ収穫量は少ないですが、夢は綿を収穫して糸を紡ぎ完全オリジナル商品を作り出すことです。

【玉木さん】
「播州織だけでなくて、日本のものづくり全体がなくなっていきそうな勢いがある。
私は、自分が受け継いで自分ができるようになったからそれでいいじゃなくて、それを次の若い世代に作ってもらえる技術を継承して、より長く播州織を続けていけるようにしていきたい。」

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