2022年05月24日(火曜日) 18:04 報道特集・ドキュメント

【特集】笑顔や泣き顔、思い出す日常の息子 神戸連続児童殺傷事件25年

  • インタビューに答える土師守さん

  • 送検される少年Aの足元

  • 新あすの会創立大会の様子(東京都内)

  • 土師守さん・次男の淳君

土師守さんは事件によって息子の命を理不尽に奪われ、 ある日突然、“犯罪被害者”になりました。 「なぜ、息子は殺されたのか」何年経っても変わらない父親の思いです。

事件で息子の淳君を失った土師守さん。 様々な思いが渦巻く、決して穏やかではない日々を過ごしてきました。

【土師守さん】
「普段思い出すところというのは生活の中での子どもの姿ですね。いろんなことで笑ったり泣いたり怒ったり、そういう状況を思い出します。それが一番幸せな状況だったんだろうなと今でも思います」

凄惨な事件 メディアは遺族に殺到

1997年5月24日、土師さんの次男の淳君(当時11)の命は当時中学3年生だった少年によって奪われます。

神戸市須磨区で淳君が殺害され、その後、遺体の一部が中学校の正門で見つかりました。

逮捕されたのは淳君と顔見知りだった当時14歳の少年で、一連の事件では淳君のほか小学4年生の山下彩花ちゃん(当時10)も犠牲となるなど児童が連続して襲われました。

【土師守さん】
「事件に遭った後に自分の親しい友人とかに話をすることが多いと思うが、いくら友人で会っても事件について話すことができないことは非常に多い。そういう面で言うと被害に遭った人しかわからない。事件に遭った時のつらい思いを次に事件に遭った方が自分たちと同じ思いをしないようにそういう思いで活動している」

被害者の権利や少年法の改正 動かしてきたのは遺族の思い

事件後、全国犯罪被害者の会=あすの会に参加し、犯罪被害者基本法の成立に携わるなど解散する2018年まで事件後、全国犯罪被害者の会=あすの会に参加し、 犯罪被害者基本法の成立に携わるなど解散する2018年まで精力的に活動を続けてきた土師さん。 中でも土師さんが注視してきたのが少年法の改正についてです。

事件当時、加害者が少年だったため少年審判の傍聴すら許されず、事件の真相を知ることが叶わなかったことから少年法の改正を求め活動してきました。

しかし、この春、成人年齢の引き下げに伴い改正された少年法には歯がゆさを感じています。

改正少年法では事件を起こした18歳、19歳を「特定少年」とし起訴された場合は実名での報道が可能となるものの、少年法の対象年齢自体が18歳未満に引き下げられたわけではないからです。

【土師守さん】
「国の将来を考えて判断して選挙をする。国がそれだけの能力があると認めている。それを与えられた人が犯罪を犯した時だけ少年法という堅牢な傘の下で庇護されるというのはおかしな話。権利と責任は表裏一体のもので当然権利を得ている限りは責任を果たすべきだと思います」

解散から4年 新あすの会が経済補償改善求めて再結成

ことし3月、土師さんの姿は新しい活動に参加するため東京都内にありました。

土師さんら被害者が中心となり被害者の権利確立に向けて活動を続けてきた全国犯罪被害者の会=あすの会の解散から4年、進展しない犯罪被害者の経済補償の問題について改善を目指そうと再び立ち上がったのです。

【新あすの会発起人代表・岡村勲弁護士】
「あすの会としたのはきょうは苦しい、しかしあすはきっと我々の力で良い世の中にしてみせようという願いを込めてつけた愛称。ここにいる方は加害者にはなりません。しかし、一歩外へ出ると被害者になる可能性はみんな持っている。いつ被害者になるかもしれないということになるとしっかりとした保証制度を作っておく必要がある」

【土師守さん】
「なぜ私たちが活動しているかというとこれから新しく被害に遭う方、そういう方々が私たちのような重い荷をしないようにという思いで活動している。自身としては亡くなった子どもに対して自分が何ができるかと考えた場合に犯罪被害者の活動という風に思っています」

「息子はなぜ」 25年経ても変わらない想い

事件から24日で丸25年。淳君と過ごした時間よりも長い年月が経ちましたが、思いが変わることはありません。

【土師守さん】
「なぜ子どもが彼に命を奪われなければいけなかったのか。それを私たちが納得する回答を欲しい。それが親としての義務だと思っています」

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