【発見】1945年3月17日の神戸空襲の映像見つかる 米軍用ニュース映像から特定

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アメリカ軍の空襲映像の解析を行っている姫路市出身の男性がこれまで見つかっていなかった1945年3月17日の神戸空襲の映像を探し出しました。

アメリカ軍の記録によりますと、1945年3月16日、Bー29部隊331機がサイパンを出発。 3月17日の午前2時29分から4時52分にかけて神戸市街地を目標におよそ2300トンの焼夷弾が落とされました。

映像を特定したのは、大分県宇佐市で戦争の証言や資料を集め研究している市民団体「豊の国宇佐市塾」のメンバー・織田祐輔さんです。
織田さんはアメリカの国立公文書館から膨大な映像を入手。 軍の戦闘報告書や資料、地図と照らし合わせて時期や場所を特定しています。

神戸では大規模な空襲が3度あり、織田さんは、これまで東灘区の川西航空機甲南製作所を狙った5月11日の空襲と、東京大空襲を上回るおよそ3000トンの焼夷弾が落とされた6月5日の空襲の映像を特定していました。

残る1つが3月17日の空襲でしたが、夜間空襲は暗くて映りづらいため、多くの映像は保存されていない問題を抱えていました。

藤岡キャスター「3月17日の空襲は未明の空襲でしたので真っ暗で場所が特定できないという問題があったと思うのですが?」

織田さん「今回見つけてきたのは、アメリカの国立公文書館に保存されているアメリカ軍の部内で公開するだけのニュース映画みたいなもの。ニュース映画のキャプションで神戸の空襲(と記されていた)」
「本当にあれが3月17日の映像なのかというのは確証は持てないんですよね。ただ、米軍が部内で公開するニュース映画でそういう風にしているというのは、ほぼ9割は3月の初めての市街地の映像じゃないかなと思います。」
「低高度からBー29による絨毯爆撃の1番最初が東京大空襲なので、東京大空襲がうまく成功したのでその次、大阪・神戸・名古屋と。大都市への夜間焼夷弾攻撃がうまく行き始めたから、しっかり映像を残そうとして撮れた可能性が高いですね」

神戸を襲った空襲は84回あったと神戸市の資料に記録されています。

アメリカ軍の空襲によって神戸では市街地の8割が焼失し、8000人以上が亡くなったと推定されています。

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