乗客106人と運転士1人が死亡したJR福知山線脱線事故から25日で17年となりました。
当時の取材映像などから事故を振り返ります。 2005年4月25日。
兵庫県尼崎市久々知では、懸命な救出活動が続けられていました。
午前9時18分ごろJR福知山線の塚口ー尼崎間で、快速電車が制限時速70キロの現場カーブに116キロで進入、脱線し、マンションに衝突しました。
1両目は線路脇のマンションの駐車場に突っ込む形で停車。
多くの乗客が取り残され救出活動は難航しました。
この事故で乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負い鉄道の安全を脅かしました。
事故後、過密ダイヤや速度超過を防ぐ自動列車停止装置=ATSの整備の遅れなどが問題となりJR西日本の安全対策が問われました。
そして、2007年には事故調査委員会が事故は運転士のブレーキ操作の遅れが原因とする最終報告書を公表しました。
事故をめぐってはATSの整備指示を怠ったとして、歴代4人の社長が業務上過失致死傷罪で起訴されましたが、裁判でいずれも無罪が確定し多くの犠牲を生んだ鉄道事故の刑事責任を幹部が負うことはありませんでした。
2018年には現場マンションの一部を保存し慰霊施設「祈りの杜」が完成。 翌年の2019年は事故現場で初めて追悼慰霊式が営まれました。