防災研究の第一人者で、半世紀にわたり震災や防災を研究してきた室崎益輝さん(77)が3月末で兵庫県立大学大学院を退職しました。災害に向き合い被災者に寄り添ってきた室崎さんの思いとは?【取材:藤岡勇貴】
1995年1月17日、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。最大震度7の揺れが襲い、6434人が亡くなりました。
【阪神淡路大震災 消防庁調べ】
死者6434人 行方不明者3人 重傷1万683人
住宅全壊:10万4906棟 半壊14万4274棟
火災293件
火災の被害が大きかった神戸市長田区。この27年間、毎年1月17日は長田で追悼し、復興を見届けてきた防災学者がいます。
藤岡 「先生は毎年こちらに?」
室崎さん「そうですね、いつもここ(長田)が原点なので。一番最初に火事が起きた翌々日に来て菅原市場があった」
神戸大学名誉教授で、3月まで兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長を務めていた室崎益輝さん。
尼崎市出身で、防災の研究者を志したのは京都大学大学院生だった1968年。
有馬温泉の旅館で30人が亡くなった火災を調べ、「避難できない建物の構造に問題がある」と考えたことがきっかけでした。
室崎さん
「そういうことについての授業、講義があるのかと思うとそういうものがない。それなら私自身が建物の避難、安全のためのあるべき姿を研究しようと」
1月17日の朝、室崎さんは長田区を歩いて回り、長田区の日吉町ポケットパークの「あわせ地蔵」を訪れました。
日吉町5丁目自治会 菅利秋会長
「先生、ことしで大学を」
室崎さん
「大学を退職します。それでも来年も来ますよ」
菅利秋会長
「ぜひ来てよ先生」
被災者の声を聞くことなく減災の心は生まれない。
徹底した現場主義を貫き、現場の声を聞いて、数字に表れないことを検証しようと研究に取り組んできました。
1月17日の朝、室崎さんはFMわぃわいを訪問。代表の金千秋さんがその場にいた神戸大学の学生に室崎先生を紹介しました。
金さん 「室崎先生は火災の研究の第一人者。だから長田はとても思い入れが」
室崎さん「半分責任もあるので、燃えたのは僕の責任」
金さん 「そんなこと…」
室崎さんが自責の念を抱いているのは、震災前に委員の1人としてまとめた神戸市の地域防災計画です。
室崎さん
「震度5の強の地震を前提に防災計画をつくった。
その結果として多くの人の命が奪われたことも確かなので その結果責任はとても大きい」
震度6の想定を提案するも、膨大な対策費用がかかることに神戸市は反発し、過去の最大地震を参考に震度5の強に。しかし、実際に起きたのは震度7の地震でした。
室崎さんの講演
「神戸なり阪神間のまちが地震に対して安全なまちをつくるという形で大きな運動をつくる。
そういうところまで責任を持ってやれなかったというところでは非常に悔いが残っている。非常に無念な気持ちがいたします」
震災の事実や教訓を未来に伝えていくことが被災者に報いる道だと、室崎さんは、大学教授や都市計画の専門家らと約50万棟におよぶ建物の実態調査を始めました。
神戸大学や神戸芸術工科大学、大阪大学、京都大学など、のべ1000人の学生たちが、交通網がストップしている中、大学のエリアによって調査場所を分担し、被災地すべての建物の実態調査をしました。
室崎さん
「世界で最初で最後じゃないかと思います。そういうことができるのは。残っている図面は全部色鉛筆で色を塗る。今だったら考えられない。
私の責任は専門家としての責任は被災地の記録を残すことなので」
1998年、室崎さんは震災犠牲者聞き語り調査会を設立。神戸大学の学生たちとともに遺族を訪ね、10年間で363人から話を聞きました。
室崎さん
「亡くなられた人の声を聞くということ。防災研究者の原点というのはいかに悔しい思いをして多くの人が亡くなったのか。
悲しみというものと真正面から向き合わないといけない」
その後も、当時の総務省消防庁消防大学消防研究センター所長や関西学院大学災害復興制度研究所長などを歴任。国や自治体の防災関連の委員を務めてきました。
研究者として豪雨や台風、熊本地震、東日本大震災など被災地を訪れては自分の研究が生かされているかどうかを探ってきました。
宮城県気仙沼市で語る室崎さん
「阪神淡路大震災も東日本大震災も、専門家の在り方を問いかけたと思う。
専門家と市民との間のコミュニケーションができあがっていないと思う。
その結果として専門家の思うとおりに防災が進んでいないという反省があるので、改善しようと思うと正しく市民の方と向き合ってリスクコミュニケーションという話し合いができているかどうかが気になる」
防災研究の第一人者として研究を続けて半世紀。
3月12日の最終講義
「最近の若い研究者、防災の研究者は現場に行きません。文献資料、データを取り寄せて考察した方が早いかもしれないけど、本当に大切なことは現場に行かないといけない。数字のデータというのはある現象の一側面なんですね。
「減災」というのは、命と暮らしを守るということで我々が生きていく上での最も大切な分を扱う研究科学の領域だということ。
「復興」というのは未来の社会を描くということなんですね。
とても大切な人類にとても大切なこれ以上大切な科学はないという誇りを持たないといけないし。その裏返しに、とても大きな責任を持ってこの科学に取り組んでいかないといけない」
災害に向き合い、被災者に寄り添ってきた室崎さん。学生や後輩の研究者たちにメッセージを残し、思いを託しました。
4月1日。室崎さんの新たな職場には大学院から次々と本や資料が届いていました。
本の整理をする室崎さん
「退職したので全部家に持って帰ってこないといけないので
入れるところがないんですけど。みんな届く…」
室崎さんは、現在、桜が見える京都市内の疎水近くのアトリエで研究を続けています。
まだやり残したことがある。これから全国の被災地を駆け巡るそうです。
室崎さん
「被災者、市民と密接に一緒になって仕事ができなかった。研究者、専門家という立場で少し距離を置かざるをえなかった。
これからは距離を縮めることができるので、できるだけ近い距離で一緒に取り組みたい」
取材:サンテレビ報道部キャスター 藤岡勇貴