芦屋市の住宅街にある打出公園。高さ4.6メートルの大きな檻があります。中をのぞいても動物はいません。使われている様子がないにも関わらず、なぜ檻が公園にあるのでしょうか?
(女性)子どものころにまだおさるはいました。見たことあります。
檻は1958年に市が設置。当時の写真を見ると数が3つあります。翌年に芦屋動物愛護協会がタイワンザル7匹とリス・インコを寄贈。その後クジャクも仲間入りし、約50年間、公園は「街中の小さな動物園」として市民に愛されてきました。
動物たちは2010年までに寿命を迎え、檻だけが残されました。それでも公園の呼び名は…
(子どもたち)「おさる公園」。檻におさるが入ってたから。
長年親しまれてきた憩いの場は、来年リニューアルが始まります。市は去年から市民と話し合いの場を設け、アイデアを募ってきました。完成予想図を見てみると檻はなくなっています。市はリニューアルに合わせ撤去を決めたのです。
「檻を残したい」と訴える男性がひとり。ある理由があります。
(男性)
村上春樹の処女作がこの場所なので。文化財は壊したらもう残念ながらもとに戻りませんからね。
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』。中にこんな一節があります。
”僕がショックから醒め、壊れたドアを蹴飛ばして外に出ると、フィアットのボンネット・カバーは10メートルばかり先のサルの檻の前にまで吹き飛び、車の鼻先はちょうど石柱の形にへこんで、突然眠りから叩き起こされた猿たちはひどく腹を立てていた。”
主人公の「僕」が友人と意気投合するきっかけになる「檻」。打出公園がモデルになっています。檻にはゆかりの地であることを示す看板やパネルがあります。
(市民)
有名な檻なので寂しい。
村上春樹さんのずっとファンで、なんとかならないかと思って。文化遺産ではないですか、芦屋の。
「ハルキストの聖地」をなぜ撤去することになったのか。芦屋市に聞きました。
(芦屋市都市建設部 道路・公園課 三柴哲也さん)
公園を利用する中でいろいろな年代の方が広場を利用する。広場が有効に使えない。広場の真ん中付近に檻があるのでうまく広さを生かしきれない。
道路の裏に死角ができてしまって防犯上も良くない。
市民たちで作る「打出公園リニューアル計画実行委員会」は、2018年に750世帯を対象にアンケートを実施。145世帯から回答があり、およそ7割が撤去を求めました。檻は1988年に建て替えられていて、村上春樹が描いたものではないとの見方もあります。
(市民)
撤去は賛成。あそこにボールを当てたりしている子が多い。音が鳴る。
歴史的に何か思いがある方がいるのは聞いているが、動物を飼育しているわけでもないし。
一方、檻の価値を訴える人もいます。芦屋市・西宮市の歴史と村上春樹作品を研究する小西巧治さんです。
(西宮・芦屋研究所 小西巧治副所長)
日本の新聞社・東京の新聞社・英字新聞・中国からも来られたりして私も案内しました。価値がどんどん発信された。
芦屋市、もっと大きな意味での文化的なレガシーになった。
芦屋市に住む映画監督の大森一樹さんも、この公園に特別な思いを寄せるひとりです。
『風の歌を聴け』を実写化し、1981年に公開しました。映画を撮ることを決めたのは、この場所がきっかけだったと話します。
(大森一樹監督)
サルのいる公園が出てきたときにやっぱり打出公園やと思って。精道中学の村上さんかなというのがあってぜひ映画にしたいと。
結局スタントのやりやすいところというので西宮球場の下に。これは結構不評でしたね、サルの公園が出てこないので。ここでやりたかった。
大森さんの記憶にあるのは初代の丸い檻。建て替えられたことに寂しさを感じたといいます。しかし、撤去する方向で話が進む今、大切なのは、何を残すかではなく、文学をどう残すかだと話します。
(大森監督)
サルの檻も村上春樹がなくなっても、建物とこの雰囲気あれば文学の香りがする。ものじゃないしそういう有名な人でもないし、村上春樹よりも「村上文学」が残ったほうがあれじゃないかな。
半世紀以上にわたり公園を見守り続けた猿の檻。姿を消す日が静かに近づいています。