27年前、震災直後の神戸の街をビデオカメラで撮影した1人の男性がいます。震災を知らない娘に27年の時を経て伝えたかった思いとは。
部屋からカメラを片手に眺めた27年前の光景が目に焼き付いています。
1995年1月17日。阪神淡路大震災。明け方に発生した大きな揺れが神戸の街を襲いました。6434人が亡くなったあの日。崩れ落ちた神戸の街をビデオカメラでとらえた1人の男性がいます。片山雅之さんです。
当時、外資系医療機器メーカーに勤めていた片山さんは神戸市東灘区で被災しました。自身や家族にもけがはなく、惨状を記録しようと、避難する道中や会社があった神戸・三宮の様子をカメラに収めました。
片山雅之さん
「びっくりしたのはJRのすぐ北側、阪急・神戸三宮駅と書いてあるでしょう。あの向こうにあったビルが倒れていました。あれはすごい衝撃でした」
撮影したのは、震災発生直後から1月23日まで。子どもたちの成長の合間に収められた映像は27年間誰の目にも触れず、忘れ去られていました。
この日、片山さんは久しぶりに震災当時に暮らしていたマンションを訪れました。
片山雅之さん
「この辺にチェストがあったと思う。その上に木箱があってごぞっと倒れていて、普通だったら寝ているんです、家内が。ところがその時は歯を磨いていたから命拾いした。この場所は経験で命を救われたと良い意味で考えています」
当時、妻のおなかの中には赤ちゃんがいて、震災の2カ月後に生まれました。あの日、お腹の中にいた娘へ。
片山さんは映像を見つけたことをきっかけに、27年前の震災を知ってもらおうと、自分が撮影した神戸の街を見てもらうことにしました。
片山さん
「JRのレールがアメのように曲がったりとかマンションごと壊れている。あの日はサイレンが鳴りっぱなしだった」
片山芽美さん
「生まれて物心がついたときはその震災の跡がなかったから、阪神淡路大震災の記憶は特になくて。無事に生まれてこられたのが奇跡だなと思う。生かされているということは常に思いながら、亡くなった方の分までというのは常に考えてはいます。生きている以上は」
片山雅之さん
「あの時、ただ必死でした。映像を見てもらって彼女が言うように見たうえで『生かされているんだな』ということを考えてもらえたらありがたいと思っています」
27年の時を経て、つながったバトン。父から娘へ、思いと記憶が引き継がれます。