6434人が犠牲となった阪神淡路大震災。震源地は淡路島北部で震源の深さは16キロメートル。淡路島の洲本市に住むサンテレビの神子素孝輝駐在カメラマンは、震災直後から島内を取材し、被災した市民を励ましながらその惨状を記録しました。
淡路市では7000を超える家屋が全半壊し、58人が犠牲となりました。
曾谷哲也さんは当時、消防団として救助活動に奔走しました。
淡路島で最も大きな被害を出した淡路市は、震災の教訓をどのように生かしたのでしょうか?淡路市の門康彦市長は震災当時、県の職員として震災対応にあたりました。
淡路市の市長となってからは、防災に強い街づくりを目指しました。淡路市の本庁舎の入口には津波対策として防潮扉が設置されています。
さらに門市長は就任後、防災あんしんセンターを本庁舎近くに建設。災害時には速やかに対策本部を設置し、各部署と連携が取れる体制を構築しました。テントで使用できる非常用のトイレや段ボールベッドも備えられています。
防災あんしんセンターにはこんな機能も備えられています。
1階にある学校の給食センターは災害時には1回で4500食分を作る炊き出しの拠点に変わり、迅速な食糧提供の対応が確保されています。
また、防災に強い街づくりを実現するため市内の大幅な区画整理も行いました。狭かった道幅は整備され、災害時でも緊急車両が通行できるようになりました。
またこんな整備も実施されていました。災害時の生活用水を確保するため、公園には井戸が設置されているほか、ベンチには炊き出しができるようかまどベンチが採用されています。
さらに北淡震災記念公園を建設し野島断層を保存するなど、阪神淡路大震災の記憶を後世に語り継ぐ取り組みにも尽力しています。
自治体がすべき防災。市民が備えるべき意識。27年前の阪神淡路大震災を教訓に、淡路市は近い将来に起きるといわれる南海トラフ大地震に備えています。