2021年11月16日(火曜日) 18:56 地域・まち報道特集・ドキュメント

【追悼】ワダカン 和田幹司さん(77) 1.17KOBEに灯りをinながた前実行委員長

1月17日に新長田で行われている阪神淡路大震災の追悼行事「1.17KOBEに灯りをinながた」の実行委員長を16年務めた和田幹司さんが10月5日、神戸市長田区の自宅で亡くなりました。77歳でした。
長田を愛してまちづくりに関わってきた和田さんの人生の軌跡をたどります。

(和田幹司さん 2016年のインタビュー)
「ちょっとだけ邪魔せん程度に支えていくのが年寄りのやるべきことちゃうかなと思いますね」

和田幹司さん。77歳。長田で生まれ育ち地元では「ワダカン」の愛称で親しまれてきました。

(藤吉修忠さん)
「この遺影は僕が撮った写真なんです。初めて会ってから55年ずっと一緒で。」

和田さんの親友 藤吉修忠さんです。当時の大手カメラメーカー ミノルタ(現:コニカミノルタ)に入社し、藤吉さんはイギリス支社長、和田さんはフランス支社長として、長年、切磋琢磨してきました。

(藤吉修忠さん)
「正義と公正というリーガルマインドは死ぬまで彼は持ち続けていましたよね。」

和田さんは生前、長田の魅力や自身の人生をまとめた4冊の本を出版しました。
和田さんの人生を一転させたのが。

<和田さんの著書:グレーター真野の町から~震災21年の報告~> 
突然、ズドンと突き上げるような地ひびきがした。地球最後の日がやっぱりあったんだな

6434人が亡くなった阪神淡路大震災。長田区にあった和田さんの自宅も全壊しました。

(藤吉修忠さん)
「揺れて倒れて、あっ自分の命これで終わったなと思ったそうです。生かされたんだと。助け合わないといけないと。一挙に人生観が変わったそうです。」

震災後、和田さんはボランティア団体「すたあと長田」の一員として、被災者に役立つ情報を届けるボランティアに加わったほか、毎年1月17日に新長田駅前で行われる追悼行事の実行委員長を2004年から16年間務めました。

(和田幹司さん 2009年のインタビュー)
「震災で燃えたり崩れたり人が亡くなったりしましたからね。これは私が育った地やないかと。元に戻ってさらに良くなるようにね。」

近所に誰が住んでいるかも知らなかった人生が一転。
長田のまちづくりに携わり、人と人とをつなぐ地域のキーパーソンになりました。

(KOBE鉄人PROJECT 正岡健二 前理事長)
「地元に対する愛を僕にぽろっとこぼしたことがあって、会社員の時はサラリーマンの時は何にも地元のこともできなかったし、地元のことも本当に知らなかった。

退職されてフリーになって初めて地元への愛着も増して。鉄人28号のモニュメントを作る時に、地元でも様々な意見がある中、ワダカンさんは率先して協力していただいて。長田のまち なんとかせないかんなと。」

まちづくりに関わるだけではなく、母校の兵庫高校の生徒をはじめ、若い世代に震災を伝える活動にも積極的に取り組んでいました。

(和田幹司さん 2016年)
「負けないぞということで鉄人28号を。みんなのお金と、神戸市と兵庫県が出してまちの人がつくりあげたんよね。」

次世代への記憶の継承。震災の直後から長田区、須磨区、兵庫区の被災地をめぐり定点撮影も続けてきました。FMわぃわぃでパーソナリティーとしても活躍。代表理事の金千秋さんと番組をともにしてきました。

(FMわぃわぃ 金千秋 代表理事)
「次の若者にあなたたちの世界をつくるためのバトンタッチを考えてらっしゃったのかなと。地域の中学生たちがしあわせ運べるようにを歌ってくれるんですけども、歌うだけではなくてなぜ私たちはここの会場でこの歌を歌うのか、それぞれの中学生たちがメッセージとして出すというのに方向転換をしていった。」

若い人が追悼行事に関わっていくということ。
ロウソクは、地元の子どもたちが作っています。

(和田幹司さん 2008年)
「ろうそくを作りながらあるいはろうそくに火を灯しながら若い世代もそういう悲しみと二度と起こさないように。」

(FMわぃわぃ 金千秋 代表理事)
「どうして1.17のろうそくを作ってくださいと言うのかなというのを子どもたちに2歳、3歳の子どもから中学生の子どもたちまでにお話をする。」

(和田幹司さん 2008年)
「地震が起こったりしたら下の方に隠れて広いところに逃げます」

2020年、和田さんは、16年間務めた実行委員長を退任しました。

(和田幹司さん 2019年1月17日の中継)Q若い世代の皆さんが参加されていることは‐
「うれしいことですね。中学生、高校生、大学生も来ますから。随分とこの広場が若返っていると思います」

パーキンソン病を患い、1年半自宅で闘病生活を送りましたが、10月5日午前0時22分、77歳でこの世を去りました。

(FMわぃわぃ 金千秋 代表理事)
「途絶えさすのではなくて次の方にバトンタッチしていくということも、私たちにできる素敵なことだと思っています。ワダカンという名前でいろんな方々に広まっていったこと、すごく感謝しています。」

NPO法人 たかとりコミュニティーセンター代表の神田裕さん。和田さんを通じて様々な人が集いつながっていったと話します。

(NPO法人 たかとりコミュニティーセンター 神田裕 代表)
「たかとりの救援基地。たかとりコミュニティーセンターと言うんですけども、年に1回、忘年会をする。その中でも皆を楽しませてくれるムードメーカーのところがありました。

人と人とをつないでいく力を持ってはったかなと。和田さん、帰ってきてねということかな。物理的には無理ですけどみんなの中にこれからもいてくださいねって。」

震災をきっかけに長田のまちづくりに尽力し、人と人の縁を結んできた「ワダカン」こと和田幹司さん。来年の1月17日以降、長田区内でしのぶ会が開催される予定です。

LINE

あわせて読みたい

広告

広告

広告

PAGE TOP