2021年08月11日(水曜日) 13:03 報道特集・ドキュメント

戦時中そこに何が? 伊丹市で日本海軍の不発弾

(伊丹市総務部危機管理室 細川隆弘主幹)
こちらの建設現場の北と南側で掘削作業をしているところを土の中から見つかった。

ことし6月、伊丹市平松にある建設現場で、不発弾2発が見つかりました。

長さおよそ70センチ、直径18センチ。自衛隊によると、太平洋戦争のころに日本海軍が使っていた「30キロ爆弾」とみられています。

(女性)
びっくりですね。ずっと工場があったところだから。興味出てきたので調べてみたい。

(細川主幹)
海軍ときくと普通魚雷というイメージを持っていたが、なんでここから見つかるのかな?というのは思いました。

市はすぐに調査しましたが、戦時中の記録は少なく、突き止めることはできませんでした。

その場所になにがあったのかを調べるため、伊丹市立博物館へ。街の人たちが寄贈した軍服をはじめ、招集令状など激動の時代を物語る展示物が並びます。

学芸員の松田さんがある資料を見せてくれました。

(伊丹市立博物館 学芸員 松田拓也さん)
こちらは伊丹市史になりまして。こちらには市内にも工場があることが示されていて、その工場に学徒動員された話が書かれている。

戦局の悪化とともに、企業は国の厳しい統制を受けました。伊丹市内にも機械工場や鉄工所があり、中には軍需に応える体制をとったところも。工作機械や砲弾を作っていたという記録が残っています。

資料をもとに現地を取材したところ、当時工場を構えていた企業はほとんど残っておらず、一部住宅街になっていました。

伊丹市平松に何があったのか。確実に割り出すため、ある人に調査を依頼しました。

兵庫地学協会の研究者で、高校教諭の松本裕行さんです。専門は国土地理院が開発した電子地図を駆使した分析です。来年度から高校の新指導要領にも盛り込まれている注目の分野です。

松本さんは、中でも西宮市や宝塚市など、兵庫県南部を中心に研究を重ねてきました。

(兵庫地学協会 松本裕行さん)
使い方はグーグルアースとかマップと同じで、検索窓に住所を入れて押すとこの場所が出てきましたね。

まずは住所を検索。あとは知りたい年代を選ぶだけです。今回は戦時中の1942年をチェック。すると…

(松本さん)
当時は、ああ!農地ですね。何もない。

不発弾が見つかった現場は畑。しかし、そこには謎を解くヒントも映り込んでいました。

-屋根の模様が他と違うように見えるが?
(松本さん)
これは防空迷彩ですね。上空から爆撃をそらすためにカムフラージュする。偽装ですね。
爆撃を受けては困るような場所。生産関係でしょうね。

現場の南と東に何らかの生産工場があったことが判明。さらに住所を米軍の調査資料と照らし合わせると、航空機の部品を作っていた工場があったことがわかりました。

(松本さん)
軍需に関わる製造をしていたということは大いに考えられる。そこがこのものを作ったのかはわからないけれども。
処分に困ってとりあえず埋めたと。そのまま忘れ去られてしまっていたところに出てきたということしか言いようがない。

今回の取材では真相にたどりつくことはできませんでしたが、松本さんは、調べること自体に大きな意味があると話します。

(松本さん)
今後いっそう生き証人という風な人と、それを記録する資料と出会うことがなかなか難しい時代になってくるだろうなと。
新しいツールで新しい発見、研究の方法をより活用してもらうというのが期待するところ。

長い時を経て地中から現れた戦争の爪痕。令和の時代、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。

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