2021年04月26日(月曜日) 18:42 地域・まち報道特集・ドキュメント

JR脱線事故から16年「忘れない」負傷者の今

新型コロナウイルスの影響で2年ぶりに行われたメモリアルウォーク。

最後尾をゆっくりと歩く一人の女性がいました。

増田和代さん。

16年前、母親とともに3両目に乗っていた増田さんは、事故で腰の骨などを折る重傷を負いました。

腰や足の痛みといった後遺症に悩まされながらも毎年、参加しています。

「事故当日と同じような空だよねとか 花が咲いていたら花がきれいだねという話とか、ずっと暗い 落ち込んでいても怖がっていても亡くなった人は戻ってこないし私たちが伝えていかないといけないし、そんな暇はないんじゃないかと思って生きています」(増田さん)

2005年4月25日。JR福知山線 塚口―尼崎間を走行していた快速列車が脱線し、マンションに衝突。乗客と運転士合わせて107人が死亡し、562人が負傷しました。

事故から8年後、増田さんはペットサロン「yume&fairy」(ユメ&フェアリー)を立ち上げました。事故のフラッシュバックで沈みそうになる気持ちを和らげてくれたのは、愛犬やトリマーの仕事で関わった多くの犬でした。

「トリミングしている時とライブに行っているときは痛いの忘れる」

「同じ電車に乗っていたのになんであなたは生きているの?みたいな感じではじめは見られていた。誰がどうなってもおかしくない状況で私が死んでいた方がよかったと思うのかもしれないけれど私も死にたくないし。生き残った限りは何かしようと ミクロなことかもしれないけれど頑張ろうと思っている」

「(関わる犬たちは)人間対人間みたいな感じというか 犬の形をしているけれど同じ立場 同志みたいな…」

あの日感じた事故の凄まじさや恐怖、やるせなさ。抱えきれない思いはともに事故を経験した母・洋子(ひろこ)さんと分かち合ってきました。

「はじめのうちはいろんなところに参加したり、JRにみんなで乗り込んでいったりとか。いい思い出と言ったらだめなんでしょうけど悪い思い出でもない。母と一緒に戦ってきた」

母、洋子さんは、去年7月に79歳でこの世を去りました。

増田さんはことし、母がいない初めての4月25日を迎えます。

事故現場で営まれていた慰霊式は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2年連続で中止に。この日、増田さんは地元・伊丹市で追悼のバルーンを飛ばすことにしました。

バルーンに込めたのは犠牲者と母への思いです。

「(事故が)きのうかおとといのような気もするし16年と言われたら16年の月日は長いねという気もする。16年経とうと17年経とうと関わった人が全員あの世に行くまで忘れることはない」

母とともに歩んだ16年間。増田さんは17年目を歩み始めました。

「あの日を忘れない」という決意とともに。

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