【特集】ハンセン病療養所で学んだ2年間~看護師へ踏み出す新たな一歩

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この春、岡山県にあるハンセン病療養所の看護学校から12人の学生が巣立ちました。療養所で2年間学んだ兵庫県出身の女性は、これからどんな看護師になるのでしょうか。

岡山県瀬戸内市に浮かぶ小さな島。かつて、多くのハンセン病患者が隔離されていた地でこの日、卒業式が行われました。
巣立つのは12人。島で暮らした2年間でたくさんのものを得ました。

兵庫県赤穂市出身の大野咲子さん。介護の仕事を経て、2018年4月にハンセン病療養所・長島愛生園に付属する看護学校に入学しました。

「ハンセン病について准看護師過程で学ぶことなかった。歴史とか病気については知識は不足していた。」(大野さん)

国が推し進めた隔離政策の影響で、ハンセン病にかかると、患者本人だけでなく家族にまで差別や偏見の目が及ぶ時代がありました。
長島愛生園には、家族と離れる選択をせざるを得なかった入所者も多く、隔離が終わった今も帰る家がない人々がここには大勢います。

そんな人たちが楽しみにしているのが園内の行事。入所者を喜ばせようと大野さんたちも夜遅くまで踊りの練習に励みます。

見守るのは長島愛生園に入所するハンセン病の元患者たち。病気によって引き離された故郷や家族に思いを馳せます。

中尾伸治自治会長
「いつも、あぁやって若い力で夏祭りを盛り上げてくれる。本当だったら夏休みでいなくなる(地元へ帰る)ところですけど、これがすむまでおってくれるのはうれしいことです」(中尾伸治 自治会長)

「皆さん笑顔で手拍子してたりしてよかった」(大野さん)

大野さんは、入所者たちと同じ時間をともに過ごしながら看護師への道を歩んでいます。

大野さんの実家では…
「1年に2回ほどしか集まる機会はないけどな、よう集まってくれました。ありがとう」(大野さんの父・修二さん)

帰る場所がない入所者たちと関わる中で、帰りを待っていてくれる家族の大切さに気づきます。

「きれいな島やで」(母)
「話聞くまで全然わからんかった」(兄)
「受験前にお父さんと2人で行ったんやね、どんなところかないうて。またお天気のええ日でね。すごいきれいな島 私大好き」(母)
「移住しようかと思ったわ」(父)
「話聞いてネットで調べたけど橋がかかったりしたんやろ?」(兄)

入学を後押ししたのは、実際に島を訪れた母・律子さんでした。

「知らなかったんです。ハンセン病の島だということを。人間的に看護のことだけを勉強するんじゃなくて、違った世界を見て実際に話を聞いて人間性が向上するにはいい環境と」(母・律子さん)

「どこの学校行ってるの?ってなって『あそこ』ってなった時、『ハンセン病(の施設)じゃないの?』っていう人もいて。その時は自分が学んだこと 伝えることができるので学んでよかったと思う」(大野さん)

2年生になった大野さんは、3回目の実習に臨んでいます。

接するのはかつてハンセン病だった入所者たち。病気の後遺症による手足の変形や年齢に伴う疾患などを抱えています。

「ハンセン病の後遺症でここまでできないであろうという自分の先入観が、実際にかかわってみるとできることのほうが多かったりとか、実際に見て接しないとわからないことが多いです」(大野さん)

「(園には)若い人いないから楽しいです。本当だとうちの孫になる 孫くらいの年だからね。この方ね、まじめなゆっくりゆっくり几帳面にやられるから。いい看護師さんになられると思います」(入所者の女性)

島で暮らした2年間で、入所者は自分にとって身近で大切な人になっていました。

そして、この春。大野さんは自分の意志でこれから歩む道を決めました。
「4月からはこの愛生園で働くことになりました。自分が想像していた最初入った時は(入所者を)みられるかな。という思いがありましたが、実際会うと自分が持ってたイメージ、怖いとかみられるかなという思い自体が偏見だったと。気持ちが変わったというか自分自身もハンセン病というイメージにとらわれていたのかな。看護だけじゃないんだろうな。看護しに行くためだけじゃなくて関わりとか自分を待ってくれてる人がいるのはやっぱりうれしい。」(大野さん)

この島で看護師として新たな一歩を踏み出す大野さん。
約束した「またね」はすぐそこです。

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