神戸市東灘区に住む稲富歩美さん。宮城県気仙沼市から届いた手紙をとても大切にしています。
「早いもので3月11日の震災からもう5ヶ月になりますね。
私は着の身着のまま車で逃げました。
家は全流出しましたが、幸いなことに家族はみんな無事で、子どもたちは仮設住宅に入居できました。
元の生活に戻るまでは早くても5年から10年くらいかかると思います。
それまで生きているかな?子ども、孫たちのことを考えるともう少しがんばらなくてはと思います。
体には気をつけて命のある限り前向きに生きようと思います。
ではお元気で。」
(稲富さん)
純粋に嬉しかったです。
被災地に入って現地を見たときに、お返事を書いたりする余裕ってないんじゃないかなっていうくらい街がぐちゃぐちゃだったので、返事が来ることを期待せず送ってたんですけど。
この手紙をきっかけに1対1の支援の大切さに気づいた稲富さん。
以来、全国から寄せられた東北の被災者宛の手紙を宮城県気仙沼市に送る活動を続けています。
活動を始めて8年、送った手紙は800通近くに上ります。
(稲富さん)
阪神淡路大震災のとき、私は小学1年生で西宮市に住んでいた。
すごく助けられて震災を経験したっていう記憶が残っているので、大きな東北の震災が起きたときに何かできるなら自分が動きたいなって思ってた。
阪急・岡本駅近くにある文房具店・堀萬昭堂では、東北宛の手紙を受け付ける特別なポストが設置されています。
阪神淡路大震災当時、芦屋市の本店が被災した堀萬昭堂。ポストを置くことで活動を支えています。
(稲富さん)
久しぶりにことしの秋くらいに東北に行けるかなぁ。6年ぶりくらいなんですけど。子どもが大きくなってきたので、一緒に連れて行こうと思って。
私もお手紙、実はやり取りしてるんですけど、そのおばあちゃんが子どもを気に入ってくださってて。またどうやったかをお話させていただきます。
(堀萬昭堂 岡本駅前店 湊和枝店長)
小さい子がいるとにぎやかになるから、その方が気がまぎれて良いと思う。
活動を始めてから8年。顔見知りになった店長と、ポストの状況や近況について報告し合います。
(稲富さん)
(ポストが)いろんな人に知っていただくきっかけになっているので、よかったらこれからもよろしくお願いします。
のんびりですけど長く続けるのが目標なので。
(湊店長)
頑張って活動を続けてください。
手紙を被災地に送るのは2カ月に1度。この日は、一緒に活動を続ける 早瀬友季子さんと、手紙を送るための準備をします。
活動の目的は手紙の差出人と受取人を無理なくつなぐこと。
現地に送る手紙には返事が来やすいよう返信用はがきを同封しています。
(稲富さん)
序盤からずっと送ってくれてるイタリアの方がいて。
震災が起きたときに離れてるからできることがなくてもどかしくて、ずっと2カ月に1度は絶対書いてくださってて。
この間「返事が来ました」っていう連絡が来て本当に嬉しかったです。
彼女たちがボランティア活動や現地支援ではなく、手紙にこだわるのは理由がありました。
(稲富さん)
(手紙のやり取りで)被災地を自分の知らないところで震災が起きた場所じゃなくて、自分の親しい人が住んでる街にしてしまったら、他人事じゃなくて自分のことのように受け止められるんじゃないかなと思って、お手紙を選びました。
終わりのない支援だと思っています。必要とされなければそれはそれで良いことなので、そこで活動は終われたら良いんですけど、必要とする人がいる限りは続けたい。
この手紙でつながる輪が被災者の心を溶かしていくと信じて、彼女たちはこれからも手紙を送り続けます。