2019年07月03日(水曜日) 11:48 地域・まち

【特集】73年ぶりに復元 紫電改に託す思い

かつて日本海軍の切り札と呼ばれた戦闘機「紫電改」のレプリカが全国で初めて加西市で作られました。73年の時を経て再会を果たした人々は、紫電改にどんな思いを託したのでしょうか?

「紫電に主に乗ってましてね。終戦間際に福知山のつくば海軍航空隊の防衛で福知山へ来てからは紫電改に乗って。」(元戦闘機パイロット 岡田良さん)

三木市出身の岡田良さんは元戦闘機パイロットです。当時48人いた仲間は戦況が悪化するにつれて1人、また1人と命を落とし、生きて終戦を迎えたのはたった4人だけでした。

「特別攻撃隊で爆弾抱いて行ってる友達の心情を思うと堪えきれないつらさがありましたけどね。悲しみや苦しみもあるけどそんなことにかまけてたら戦いはできない。戦争というのは本当に非情なもん」

現在、92歳。足腰が不自由になった岡田さんですが、この日、どうしても行きたい場所がありました。

「懐かしい紫電に、紫電改にもう一度接したいなという気持ちが強い」

目指したのは、加西市にある鶉野飛行場跡地です。

「命はもうない覚悟で出撃 飛行機そのものが命だった」

戦闘機「紫電」の後継機として改良された「紫電改」は旧日本海軍の切り札とも呼ばれ、加西市鶉野(うずらの)にあった川西航空機の組み立て工場で46機が組み立てられました。

加西市では、戦争遺構を平和学習に役立てようと2016年に飛行場の跡地を購入。飛行場の歴史保存に取り組む団体の協力を受け、3年前から加西市にゆかりの深い紫電改の実物大レプリカを制作していました。

岡田さん、73年ぶりの再会です。

「なつかしいなぁ。私の命を懸けて乗った飛行機だから」

レプリカを一目見ようと訪れた人々の中にはかつての紫電改を知る人もいました。

「私は整備をしてた。この紫電改をずっと。やっぱり懐かしく乗れるもんなら乗ってみたい感じがする」(紫電改 元整備士 増川正康さん89歳)

「涙が出るほど嬉しかった。こういう飛行機をつくって戦争に立ち向かっただけで戦争はやりたくない。したらあかんと」(川西航空機 元技術者竹本忠雄さん102歳)

「戦争が終わって70年あまり、見ることはないと思ってたけど見れて嬉しいという感謝の言葉をもらった」(レプリカの制作を提案  上谷昭夫さん)

73年ぶりに再会した紫電改にそれぞれが託すのは、たったひとつの思いです。

「優秀な戦闘機が復元されたことには意義がある。この飛行機が実際に役に立たない世が来てほしい」(岡田さん)

残された歴史に込められた思いを伝えていくこと。それが今を生きる私たちにできることです。

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