【2024ドラフト裏側】SB1位指名に涙した153㌔右腕

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「二度と味わいたくない経験ですね」

そう語ったのは、日本歴代1位のホールド・ホールドポイント保持者で関西学院大出身の宮西尚生投手。

2007年11月、私は、自宅から大学の会見場まで密着取材をしていた。

当時は、大学・社会人ドラフトの時代。

1巡目候補と報道されていた宮西投手だったが、待てども待てども名前が呼ばれず。

3巡目の最後となる日本ハムの指名の瞬間、喜びというより安堵の気持ちが大きかったのを今でも覚えている。

今年のドラフト会議当日、そんな思い出を甦らせながら、神戸市北区にある神戸弘陵学園高校に出向いた。

注目の153㌔右腕・村上泰斗投手の取材である。

中学時代は、硬式野球チームで捕手としてプレー。
投手に転向したのは、高校入学後という経歴の持ち主。
2年夏の兵庫大会で滝川第二の坂井陽翔投手(現・東北楽天)と投げ合い、一気に脚光を浴びた(試合は●)。

今年の夏の兵庫大会は、優勝候補に挙げられながら3回戦敗退も重みのある直球を主体とした投球は「三振を奪える将来性豊かな投手」として、メディアに取り上げられることも多くなった。

久しぶり会った村上投手は、「お久しぶりです!」と元気よく挨拶をしてくれた。

ドラフト会議直前にも関わらず、「昨日はぐっすり眠れました」と笑顔だったが、いざ会見場に現れると、一気に緊張の表情に。

私は、いつも会見場にいるときは、チーム名読み上げのあと、苗字の頭文字を必ずイメージするが(今回は“む”)、「福岡ソフトバンク」のあと、見事なくらい、それが一致した。

その瞬間、私はずっと村上投手の表情を見ていたが、笑顔から涙に変わった。

意外だった。

「本当はずっと笑顔でいようと思っていたんです。でも、2年半の中で苦しかった時期を思い出すと、涙が止まらなくて・・・。自分でも予想外でした」

彼は、決して、鳴り物入りで高校に入学したわけではない。
球速も135㌔からの出発だった。
今年の春も、練習試合解禁初戦の報徳学園戦で実力を発揮できず、プロの夢が遠のいたと思ったこともあった。

しかし、その後、カットボールの習得や体重アップなど、もう一段階ギアを上げて、上位候補にまでたどり着いた。

1位指名―。プロ入りが現実に。しかも、パリーグのチャンピオンチームから。
様々な思いが去来するのも無理はない。

会見では「奪三振王」「藤川球児さんのような地を這うストレート」「沢村賞」など、目指すべきキーワードもたくさん出た。

岡本博公監督も
「夏の大会以降は、ピッチングの量は減らし、体作りに意識を置いてきました。でも、時々プルペンに入るのを見ると、ボールの威力は“えげつない”ですよ」と語る。

投手歴、わずか2年半。
伸びしろしか感じさせない17歳の今後の活躍が、本当に楽しみである。

帰りの道中、
「ドラフトは、本当にいい思い出になっただろうな」と感慨に浸る中、ふと気づいた。

村上投手は、2007年2月20日生まれ。
この年、小久保裕紀(現・監督)選手がチームに復帰、そして率いていたのは、王貞治監督。
その二人が同席した今回のドラフト会議で、彼がドラフト1位で指名されたのは
必然だったのかもしれないと・・・。
(湯浅明彦)

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