みなさん、兵庫県発祥のモノと言えば何を思い浮かべますか?あまり知られていませんが、私たちの生活にとても身近なアレも兵庫県発祥だったんです。
「日本全国、どこのスーパーにもある」身近な食べ物。それは…卵!
そう、今回の主役は卵…ではなく、それを入れている容器。「卵パック」の発祥に迫ります。
「卵パック発祥物語」。その舞台は、兵庫県南東部に位置する猪名川町です。
【猪名川町教育委員会 青木美香さん】
「こちら加茂守さんなんですけど、猪名川町の広根というところのご出身の方で、スーパーでよく見かける『卵パック』を発明された方になります」
卵パックの生みの親、加茂守さんは猪名川町広根に生まれました。
29歳の時に独立し、プラスチック製品や総菜を入れる容器などの開発や製造・販売を行う会社を設立。この頃から卵パック開発の長い道のりがスタートします。
【青木さん】
「私は猪名川町で多田銀銅山の調査であったり保存をする仕事をしていまして、多田銀銅山が国の史跡に指定される前後に加茂さんとお会いしています。
加茂さんはこの銀山の土地の所有者で、国の史跡にするのに同意していただく関係にあったんですが、話をしているうちに卵パックの発明までのお話がとても楽しくて、お話を伺えるのがとても楽しかった」
卵パックの開発に人生をかけた加茂さんの偉業を後世に伝えようと、去年、その開発秘話がマンガ化されました。
まだ卵が高級品だった1960年代、ある相談が加茂さんの元に寄せられました。
「大量に陳列できるように、積んで陳列しても割れないパックが必要不可欠なんです」
積んでも割れず、しかも透明で中身が見える卵パック。今では当たり前の形状ですが、当時はかなりの難問でした。
「割れないためには浮かせればええんや」「卵を浮かす、浮かす、浮かすどうすればええんや~」
加茂さんが公園で頭を悩ませていた時、ある光景が目に飛び込んできました。
「これや!」
息を吹き込んで、籠の中の玉を浮かす子どものおもちゃ「吹き上げ風車」でした。
「玉が下までついてへんやろ?この玉を卵に見立てて、この形状で卵パックを作れば…」
こうして生まれたのが、底を八角錐形にした卵パックです。
卵が宙づり状態となり、パックを上下に重ねても卵同士が当たらず割れないという画期的な発明。この原形は50年以上たった今でもほぼ変わらずに使われています。
加茂さんが残した卵パックが製造されている工場を訪ねました。
現在は環境にも考慮し、ペットボトルをリサイクルした原料が使われています。
【エフピコ近畿亀岡工場 有木幸一さん】
「点で支えているようなイメージで卵が乗っている。負荷がかかりにくいというのが特徴的な形状になっています」
このパックを使って卵を発送する姫路市の養鶏所です。
卵を詰めるラインでは強い力が卵に加えられていますが、割れる気配は全くありません。
【藤橋家姫路夢前公園 平木悠太さん】
「結構な衝撃を与えても底にクッションが十分あるので、割れなく安定した商品です。遠距離の流通にも耐えうる商品、パックです」
アイデアマンだった加茂さんは、その後も卵パックに改良を重ね、現在では当たり前となった、テープを引くだけで開けることが出来る仕掛けも開発しました。
割れにくい卵パックの誕生で、卵の長距離輸送が可能になり、国内の卵消費量は飛躍的に拡大しました。
かつて猪名川町にあった工場の跡地は、加茂さんの業績に触れる場として保存されています。
この地で車の板金・塗装業を営む和田さんは10年ほど前、加茂さんから工場の一部を借りて会社を始めました。
【Auto Innovation 和田広大さん】
「もともと機材がたくさん入っていたんですけど、借りるんであれば全部撤去して『自分のやりたいようにやれ』と言われて始めました」
【青木さん】
「私が見た加茂さんは基本的におおらかな方で、人の話を否定せずに聞いて考えてくれるような方でした」
加茂さんのマンガはウェブサイトでも読む事ができ、猪名川町では町内の小学校でタブレットを使い、町の偉人としてこどもたちにその偉業を伝えています。
【猪名川町 中西一成教育長】
「何度も失敗する中で失敗を繰り返しながら実用化に向けて努力されたという姿を、子どもたちに学ばせたいと思っています」
【加茂さんについて学んだ子どもたち】
「授業を受けて、スーパーとかに行ったら卵パックを見て加茂さんを思い出すことはありました。
(加茂さんが)考えて作られた卵パックが日本に広まっていることを知って、猪名川町を誇りに思いました」
「加茂さんみたいに、ひとつひとつの経験とか大事なことを積み重ねていって、大きなことをしたいなと思いました」