あの年以来か・・・。
11月5日、阪神タイガースが日本シリーズ第7戦を戦おうとしていたまさにその頃、私は、ある光景を思い出していた。
夕暮れ近い千葉会場、ただひたすらにボールを追いかける彼の姿―。
今から14年前の第88回全国高校サッカー選手権大会2回戦、神戸科学技術(以下:神戸科技)VS青森山田戦。
青森山田の10番は、柴崎岳選手(現・鹿島)が着けていた。
試合開始早々、神戸科技高のエース伊佐耕平(現・大分)選手がケガで交代、劣勢の中で奮闘していたのが、洞ケ瀬太一主将だった。
後半26分、35分に立て続けに失点して、初戦敗退が決まった後、肩を落とし涙に暮れる164㎝の彼の姿は、いまだに脳裏に焼き付いている。
「高校サッカーって、“人生の糧”だと今でも思っています。選手権だけを見ると、華やかに見えますが、実際は、毎日の苦しい練習があってこその結果なんです。社会に出ても同じで、毎日生活していると厳しいことも多いじゃないですか。でも、毎日、コツコツ積み上げていくことがあって、成果を生み出す。すべて高校サッカーで培ったものなんです。あの経験があるから、今、仕事で上手くいかないことがあっても乗り越えられるとハッキリ言えます」。
四半世紀以上、高校サッカーを見てきたが、その中でも洞ケ瀬さんは、指折りの主将だった。
大学時代に一緒に食事をしたこともあったが、声を聞くのは久方ぶり。
卒業から干支が一回り以上したとは思えないほど、高校サッカーに対して全く淀みがない答えだった。
第102回全国高校サッカー選手権兵庫県大会において、神戸科技は、14年ぶりに決勝進出を果たす。
準々決勝で高校総体県準Vの相生学院、準決勝では名門・滝川第二を倒して勢いに乗る神戸星城を延長の末に下し、堂々たる戦いぶりで勝ち上がってきた。
最大の特徴は「堅守」で、決勝までの4試合、すべて無失点。その中心にいたのが、河邉天真主将である。
「大会で勝っていくごとに雰囲気がよくなってきて、みんな絶対勝ってやろうという気持ちが
強くなってきています。相手の神戸弘陵学園さんは、総体の兵庫県代表ですし、攻撃も個人個人で打開できる選手が多く、確かに強いです。でも、僕たちの最大の特徴である“集中力”を切らさず、最後まで足を出してシュートブロックをしたり、気持ちを強く持てば上手く抑えられるのではないかと思っています」
決勝前の感触、手ごたえありー。
この1年、神戸科技は決して、順調な歩みを進めてきたわけではなかった。
新人戦はベスト16止まり。高校総体予選もベスト8で涙を飲んだ。
河邉主将は、責任感も強く、且つ負けず嫌い。結果が出ない焦りや、時には、サッカーにかける選手間の意識の違いもあり、高校総体予選後、一人で思い悩む日々が続いた。
ただ、中学生時代から主将を経験している彼には、曲げられない信念があった。
それは、“背中で見せる”こと―。
「自分が何もしていなかったら、“河邉やってないやん”
“何で河邉に言われなアカンねん”となってしまう。だから、まずは自分でやる。これしかない、と」
サッカー面では、誰よりも声を出し、対人練習では、誰よりも体を張る。
サッカー以外では、グランド整備から荷物の出し入れまで、率先して行動する。
これまでも、すべて背中で見せてきた。
後悔はしたくない、最後までやり遂げよう。
いつしか、迷いは消えた。
「今年の3年生はおとなしい選手が多い」と谷知典監督も苦笑いするが、「チームの精神的支柱」と指揮官も全幅の信頼を寄せる河邉主将の姿を見て、夏場以降、チームは一致団結する。
「相手は強豪ですが、集中力を切らさずやれば、チャンスは来ると思います。
最後のホイッスルが鳴り終わるまで、全力でやり切りたいです」
河邉主将の言葉は、部員74人全員の思いでもあった。
11月12日、ヴィッセル神戸が浦和レッズに勝ち、初のリーグ制覇に近づいた日。運命の決勝戦はキックオフを迎える。
「前半はまず無失点」(神戸科技・谷監督)というプランは、わずか3分で崩れた。
ショートコーナーでかく乱して一気に先制点へ、さすがは神戸弘陵学園という電光石火の攻撃だった。
大会初失点にも動揺せず、カウンター攻撃を仕掛ける神戸科技だが、中々シュートまで持ち込めない。
そして、後半26分、29分と連続して失点。
最後に桑原選手の得点で1点は返したが、結局1-3で敗戦。
14年ぶりの夢は潰えた。
優勝インタビューを終えた私は、神戸科技ベンチに視線を移した。
そこで見たのは、うなだれる河邉主将、そして、彼に寄り添った二人の人物―。
一人は、背番号24番の松本翔希選手。
彼は、大会登録選手だったが、予選では1試合も出ることはなかった。
決勝は、ベンチ入りメンバーから外れ、マネージャーとしてチームのサポートに回っていた。
河邉主将とは、基礎練習でいつもコンビを組み、ポジションはともにセンターバック、いわゆるライバル関係でもあった。
「翔希は、僕がいるために、試合に出られず、だから、ずっと翔希の分も背負って戦おうと思ってきました。
誰にでも優しく接してくれる彼を人間として僕は尊敬していたので、心の支えにもなっていた。
2点目は僕のせいなのに・・・、“お前のせいじゃないよ”“お前のおかげで勝ってきたんだから”と声をかけてくれて・・・」
肩を抱かれながら、涙が止まらなかった。
そして、もう一人は、谷知典監督。
「負けた悔しさとミスと両方あるんか?」(谷)
「はい、もちろんです」(河邉)
「でも、今まで河邉が中心でやってきたことには胸を張らなあかん。胸張って、終わろうや」(谷)
応援団の労いの声が響く中、そっと語り掛けていた。
試合終了から30分後―。
ロッカールームから河邉主将が出てきた。
「自分自身は最後にチームに迷惑をかけてしまった思いが強いです。
悔しい結果になりましたが、ただ、自分たちのサッカーは出来たと思います。
今大会、ここまで来られて、スーパースター不在でも、
チームが本当にまとまれば大きな力になるんだということを最後に学ぶことが出来ました」
涙は浮かんでいるものの、その目は前だけをしっかり見つめていた。
最後に聞いた、高校サッカーとは?
「僕の人生そのものです」
長年、高校サッカーに携わってきた。
いつも思う、この記憶がいずれ、光り輝くものになってほしい。
例え、負けた記憶であっても。
決勝のスタンドには、14年前の神戸科技主将・洞ケ瀬太一さんの姿があった。
卒業以来、母校の試合を見に来るのは初めてだった。
「科技高の最後の最後まで諦めない姿、これが高校サッカーですね。
一言で言うと、“勇気”をもらいました。見に来て、本当によかった。実は、僕も高校2年生の時、決勝戦で自分のミスから失点して、逆転負けをしてしまったんです。メチャクチャ苦しかった。でも、社会に出てから、“失敗をたくさんしている人ほど、それをバネにして、いい結果を出しているんだぞ”とある時、言われてハッとしました。今も大切にしている言葉です。
悔しいと思いますが、河邉君には“今日の経験は、必ず輝く未来に結びつくから”と伝えたいですね」
2人は、会話を交わしたこともない。今後、人生で交錯することはないかもしれない。
それでも、いつか河邉主将が、洞ケ瀬さんの言う意味を理解する日が来ると信じている。
先輩から後輩へ。
後輩が、先輩となり、また後輩へ。こうして、伝統は受け継がれていく。
高校サッカーの真髄を見た気がした。
(湯浅明彦)