あの日、あの瞬間多くの阪神ファンがテレビにかじりつき18年ぶりの悲願に歓喜しました。
遡ること18年前の2005年。岡田阪神の初優勝もサンテレビが中継しました。
あの日、放送席で実況していたのは、当時50歳のベテランアナウンサー、谷口英明さんでした。
「岡田阪神大願成就という言葉で優勝の瞬間を締めたんですけど、これは考えていました あらかじめこの言葉だけは絶対言おうと」
谷口アナの ボックス席初実況は1988年。入社10年目、33歳の時でした。
「夢はとにかく甲子園で放送席に座ること。究極の夢はタイガースの優勝実況をすることだったんですけど」
デビュー以来、 様々なチームの優勝を実況してきました。
「阪神だけ残ってて 暗黒時代も味わっていましたから、でもいつかタイガースの優勝のチャンスが来るんじゃないかと思ってやっていたのが2005年でした」
「朝、湯浅アナウンサーからメールをもらって『気持ちのいい日本晴れですね』と優勝を決めて涙を流しましょうと、新たに気持ちを引き締めて球場に行った思い出があります」
この日、阪神は本拠地甲子園で見事勝利を収め、念願の優勝試合の 実況アナウンサーとなりました。
「これでアナウンサー辞めてもいいなとあの時ちょっと思いましたね」
その放送を支えた、当時のスタッフに話を聞きました。
中継車の中でカメラマンに指示を出し、映像をセレクトするスイッチャー。
優勝試合という大役を任されたのは中継スイッチャー歴3年目の福本でした。
「前日までは僕の頭の中ではああせなこうせなってのはあったんですけど、打ち合わせの段階でみんなで統一したのは優勝だからと変に意識しない」
「変なことしてしまうとそれはサンテレビの中継ではないのでしょ、というのはみんなで意見一致できたかなと思います」
福本の想定では、優勝の瞬間は岡田監督を映すはずでした。
「打球が飛んでる映像を見た時に、普段よりもカメラマンが金本さんに詰めていったので、これはこのまま置いとかなきゃということで金本さんが喜ぶところまでしっかり見せてから監督に切り替えたと思うんですけど、そこは案外冷静にできてたかなと思います」
「後々まであの金本さんの映像というのは残っていると思うので、そこをしっかり選択できてたことは良かったのかなと、それ以外のことに関してはもう一回見返したら反省だらけになるかと思います」
放送席周りのディレクターを担当していた水野は、スポーツ部に配属され4年目の年でした。
「約20年に1回周期なので、すごくラッキーな入社からの生活でした」
「試合後はビールかけ会場からの中継も担当しました。テンション上がりまくりで今でも自分が何していたかわからないぐらい、当時はなんか夢のような感じだったですね」
「次の年もそうだし 2008年とかも優勝しかけたので、黄金時代というかこの先ずっと優勝争いが続いていくのかなという思いはありました」
しかし、その思いとは裏腹にもどかしい日々が積み重なります。
「祝勝会場に予定されているところに下見に行ってこういうスタイルで特番やろうとか実際に動き出したという年もあるので、結局ダメだったというのも経験しているので」
「スポーツ部としては最後まで油断しないというところは学んだことかなと思いますね」
「タイガースが強いとこれだけ関西が盛り上がるんだというところが(18年ぶりに)実感できて、18年とはいわず、10年に1回ぐらい味わいたいね」
ベンチリポートを務めたアナウンサーの湯浅明彦は、あの日の観客の熱狂が忘れられないといいます。
「スタンドが揺れてましたよね。「この日決まるんじゃないかと、しかも相手は巨人という(観客も)そういう思いが強かったと思います」
湯浅は当時、選手会長だった今岡誠選手を密着取材していました。
「彼にいろいろ優勝に向けた中でことであるごとに聞いた思い出と優勝が決まる日もいろいろ打ち合わせというか、胴上げをする時にこういう風にみたいなのも当日もしてたんですよね彼は」
「チーム全体のことを選手会長として考えているというか、役割なんだなという野球の打つとか守るとか以外の部分を垣間見ることができたのは貴重な財産というか思い出ですね」
今回、このインタビューをした時点で、阪神は残りマジックは3。
湯浅は、翌日にボックス席の実況が控えていました。
「優勝が決まる可能性があるという風になればもちろん通常の中継と気持ちは違いますけれど、そういう時だからこそ、基本的に原点に返るというか普段通りいつも通りやるという気持ちで放送席に臨みたい」
9月14日、優勝へのマジックを1として迎えた甲子園での巨人戦。サンテレビの中継車が到着しました。
技術チームはいつも通り、セッティングに取り掛かります。
米山カメラマン
「優勝なんて初めてですからね。めちゃくちゃどきどきしますけど、わくわくの方が勝ってます」
午後1時半ごろ実況の湯浅アナが球場に到着。
選手やコーチから試合当日の生の声を聞き出します。
「2005年の時は私が(谷口さんに)「優勝日和ですね」とメールを送って優勝して、今日また谷口さんから けさ「きょう優勝日和やね」とメールが来たので、そういう先輩方が築いてきたものをしっかり受け継いで当然後輩たちも見てますし、サンテレビボックス席の伝統をちゃんと受け継いでいきたいなという思いが谷口さんからのメールで強くなりました」
午後4時過ぎ、中継車の前でカメラワークなどを最終確認します。
午後6時、全てのセッティングが整い、運命のプレイボールとともにサンテレビボックス席がスタートしました。
先発の才木は重圧をものともしない投球で巨人打線を抑え、得点を与えません。
阪神にチャンスが訪れたのは、4回でした。
先頭バッターから3者連続安打でノーアウト満塁。
絶好の場面で打席には佐藤輝明。
空振り三振。
さらに、ノイジー。
ゲッツ―。
湯浅さんを励ます水野さん。
6回ウラ、先頭の近本がヒットで出塁すると森下もつないで1アウト1塁3塁に。
再び巡ってきたチャンスでバッターは4番・大山。
大山犠牲フライ。
先制点をもぎとり、なおも続くバッターは佐藤輝明。
佐藤2ラン。
リードを保ったまま、9回のマウンドには守護神の岩崎。
残すはアウトはあと1つ。
あと一人コール。
優勝セレモニーまで中継し、午後9時半。
サンテレビボックス席の放送が終了しました。
18年ぶりの歓喜の瞬間。
時代が変わっても変わらない思いとスタイルで、サンテレビボックス席はいつの日も阪神ファンとともに。