「福本豊のプロ野球まちがいない!」 鈴木啓示「投げたらアカン」に込められた意味

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1994年。私は当時、大学1年生でした。
今も残る夏の記憶―、それは「近鉄の快進撃」。

福本豊さん、湯浅明彦アナウンサー、鈴木啓示さん(左から)

この年、近鉄バファローズは、6月中旬の時点で当時黄金期の西武に16ゲーム差をつけられ、下位に低迷していましたが、7月26日から8月10日にかけて、13連勝という怒涛の快進撃を見せ、一時首位にも立ちました。
この時期、プロ野球界と席巻したイチロー選手が毎週のように表紙を飾った週刊ベースボールに、近鉄の主砲ラルフ・ブライアント選手が登場したことは、今でも鮮明に覚えています。

「監督としては、何も結果を残せなかったけどな、ある時、知り合いに言われたんや、球団の連勝記録を作ったじゃないですか、と。
言われるまで全く気付かなかったけどな(笑)」

声の主は、現役時代に通算317勝(プロ野球歴代4位)を挙げた鈴木啓示さん。
1994年当時、近鉄を率いていた監督、その人です。

サンテレビに入社して26年、何度も甲子園の関係者レストランでお見かけしました。
挨拶もしました。
でも、直接お話を伺う機会は一度もありませんでした。

あの近鉄の球団記録13連勝から29年が経った2023年8月下旬―。
「福本豊のプロ野球まちがいない!」の収録現場で、”その時”は訪れました。

1947年生まれの福本豊さんと鈴木啓示さんの同級生トークは予想通り、盛り上がりました。
会話が止まらない、止まらない・・・。
現役時代は、オールスターでもほとんど話したことがないという間柄とは思えない程、
お二人の掛け合いは絶妙でした。

鶴岡一人さん、西本幸雄さん、金田正一さん・・・、実際にお二人の口から伝説の選手・監督の秘話が飛び出すと、鳥肌が立ちました。

そんな中、1984年の流行語にもなった「投げたらアカン」の話題も出ました。
当時、私は小学4年生。
テレビから流れる鈴木さんが足を引きずりながらも暗闇を歩いていく姿に、
”大人のかっこよさ”を感じたものです。
「あれは、地元・西脇の言葉で、”諦めたらアカン”という意味やったんや。
でも、言うてる本人が最後は投げてしもたけどな(笑)」

鈴木さんが意味するのは、現役引退のこと。
翌年の1985年7月、突如、引退を発表しました。
「走れない投手はダメだと思って投げてきた。
でも、もう足が全然ダメやったから、無理やった」
通算317勝。
歴代3位の小山正明さんまで、あと「3勝」。
近くて遠い「3勝」でした。

でも、私は子供のころから、鈴木さんの引退を”投げた”とは一度も思ったことはありませんでした。
逆に、1試合に1球にかける思いがどれほど強いのか、”プロの矜持”を小学生の頃に鈴木さんから学ばせてもらったと思っています。
それは、今、この仕事をさせて頂いている中でも、生きていることです。

最後に一つ、収録後の一コマ。
帰り際、収録現場の階段を下りながら、ふと鈴木さんがつぶやきました。
「不思議とな、記録を残した日にちがな、面白かったんや。
2度のノーヒットノーランやろ、300勝やろ・・・」

初のノーヒットノーランが1968年8月8日東映戦、
2度目のノーヒットノーランが1971年9月9日西鉄戦、
通算300勝が1984年5月5日日本ハム戦。

8月8日、9月9日、5月5日、確かに・・・。
ゆあペディアの引き出し、増えました(笑)

投げたらアカン

(湯浅明彦 サンテレビアナウンサー)

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