JR福知山線脱線事故の風化防止と安全を願う栞が、毎年、負傷者やその家族によって作られています。栞のイラストを担当している女性は事故で重傷を負いました。当時車内で起きていたことやその後の苦悩、栞に絵を描き続ける理由を取材しました。
真っ青な空が描かれている「空色の栞」。18年前のあの日。空は澄み渡っていました。裏面には「あの日を決して繰り返すことなく安全で安心な社会をみんなで育んでいきたい」というメッセージが刻まれています。
栞のイラストを担当しているのは、宝塚市に住む福田裕子さん(39)です。2011年から事故当時の真っ青な空をベースに、毎年異なるデザインで描いています。
当時大阪芸術大学の3年生で日本画を学んでいた福田さんは通学のため、1両目に乗車していました。幸いにも一命は取り留めたものの、頭部や足の皮膚が裂け、鎖骨を骨折するなどの大けがを負いました。
入院期間は3週間に及びました。退院後も精神的なショックが大きく、電車に乗ることができなくなり、大学の近くに部屋を借りざるを得ませんでした。人物画を描くこともできなくなったと言います。
事故の起きたおよそ2年後に福田さんが制作した作品、タイトルは「此の岸より」です。仏教の言葉で亡くなった人たちの世界「彼岸」と生きている人たちの悩みの多い現実世界「此岸(しがん)」を表現しています。
ふたつの世界は隣り合わせになっていて、境界線はあっても事故で亡くなった人たちを近くに感じているという福田さんの思いが込められています。
福田さんの心のよりどころとなったのが、負傷者やその家族が立ち上げた集いです。娘が事故で重傷を負った三井ハルコさんが中心となって活動を続けてきました。
事故で負った心の傷は決して癒えることはない。けれども苦しみや悩みを分かち合うことで少しずつ前を向くことができたと言います。
集いのメンバーたちは、事故を風化させないようにと2009年から栞づくりを始めます。三井さんは福田さんに栞のイラストを依頼しました。栞は4月7日からJRの尼崎駅など6つの駅に設置されていて、自由に手に取ることができます。
25日、福田さんは事故が起きた時刻に合わせ、現場を訪れました。
「あの日の出来事を風化させずに伝えていきたい」福田さんはこれからも当時見た景色や思いを栞に描くことで、記憶をつないでいきます。