東日本大震災を忘れない 被災地をつなぐランナー

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高砂市の福石健一さん(53)。自身3大会連続となる神戸マラソンの出場に向けて練習に余念がありません。

【福石さん】
「大会をボランティアとしてもエントリーしていたが、せっかくランナーとして当たったんで、何かしら(思いを)発信できたらなと。」

2011年5月、福石さんは明石市の災害派遣職員として1週間、宮城県気仙沼市を訪れました。

避難所の後方支援を行う中で、東日本大震災から2か月後の惨状を目の当たりにしました。

【福石さん】
「きのう津波が襲来したかのように、川を色々なものが遡上して、ぐちゃぐちゃで。向こうに行って愕然とした。無力感しかなく、心はズタズタになって帰ってきて。」 

被災地の惨状を忘れないため、福石さんは兵庫県に戻ってから8年半布団を使わず座布団で寝る生活を続けました。そして、あることを決意します。

【福石さん】
「平穏なこの兵庫の街に帰ってきて、このギャップを絶対忘れへんぞと。そして伝えていくんやと、あらためて。
阪神淡路を経験した兵庫だからこそ、同じ被災地の歩幅に合わせて。」

福石さんは個人的に気仙沼の仮設住宅などに足を運ぶようになりました。お茶会でギターを演奏するなどして交流を深め、気仙沼と兵庫、お互いを行き来することがライフワークとなりました。

【福石さん】
「仮設住宅で生まれた子どもさんもおられて、住民の方、すごく元気なんで。これ、カラ元気なんやろうなと。
この人たちに会いに行きたい、少しでも寄り添いたい。もうずっと通おうと思いました。」

【福石さん】「由美子さん。」
【小野寺さん】「福石さ~ん、久しぶり。」

気仙沼市の小野寺由美子さんです。乾物店を営む小野寺さんは、家族は無事だったものの、津波で家も店もなくし、路上販売や仮設店舗を経て店を再建しました。

【小野寺さん】
「落ちるところまで落ちると、人間て這い上がるしかないんだなということを知った。人間は思いのほか強い生き物なんだなというのは感じた。
神戸の皆さんの支えがなかったらここまで頑張れなかった。」 

小野寺さんは前回3年前の神戸マラソンに出場。福石さんに伴走を依頼し、見事完走を果たしました。

【小野寺さん】
「神戸の皆さんにありがとうを伝えたい気持ちでエントリーしたんですけれど、こんなにフルマラソンがきついものだと思いもしなくて。ただ、沿道の皆さんの声援や、チームになって同じTシャツを着てくださった皆さんの応援がすごく励みになりました。」

この日、小野寺さんから神戸マラソンに出場する福石さんにエールが送られました。

【小野寺さん】「いや、ほんと素晴らしいです。頑張ってください。」
【福石さん】「ありがとうございます。」
【小野寺さん】「気仙沼から応援しています。」
【福石さん】「なんとかやってみます。」

【福石さん】「お互いよそ行きじゃなくて、本当にすごく気持ちが伝わってきた。本当にありがたい。」

福石さんは、朝昼晩、気仙沼の地元FMラジオを聞くことが日課となっています。

【福石さん】
「メッセージとリクエスト曲(を送って)。番組に参加する。」

東日本大震災をきっかけに、福石さんは手作りの防災減災紙芝居を各地で実演しています。来年の3月には気仙沼で小学生に披露する予定です。

【福石さん】
『大変だ、津波がやってくるに違いないと五兵衛は思った。』

神戸マラソン当日は東北を象徴するプロレスラー、ザ・グレート・サスケ選手のコスプレで臨むといいます。

【福石さん】
「東日本大震災。薄れていく皆さんの関心を引くために、コスプレして走ります。
過去の災害を忘れずに伝えていくことが(大切)。防災力、減災力をマラソンを通して伝えていければ。」

東北への思いと防災・減災への啓発を胸に、神戸の街を駆け抜けます。

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