【駐在リポート】淡路島の海底に沈んだ白石村伝説に迫る

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淡路島には過去の大地震で海底に沈んだという白石村伝説が伝わります。
500年前に失われたとされる村を古い地図をもとに探し続ける男性を淡路島の神子素カメラマンが取材しました。
白石村は本当にあったのでしょうか?神子素カメラマン:「淡路島と沼島の間には地震で水没したという言い伝えがあります。果たしてその村は実際に存在するのでしょうか」

南あわじ市にはかつて沼島に向かって延びる半島がありましたが、大地震で海底に沈み、この時白石村も一緒に海の底に沈んだと言われています。
村は本当にあったのでしょうか?
白石村伝説を解明しようと15年近く研究を続ける男性がいます。
林幹昭さんです。

神子素:「白石村を研究したきっかけは?」
林:「近所のおじさんがこの土生のほうで、沼島に向かって半島が沈んだというのを聞いたことがあった。それは小学校4年生くらいの時なんですよ」

林さんは子どもの頃の記憶から調べ始めます。

神子素:「白石村の存在に確信が持てたきっかけは?」
林:「最初は年代も分からないし島が沈んだというぐらいで、この絵図ですねこれは淡路温故之図です。
ここに初めて白石村という名前が出てきました。五ヵ村明応9年大地震海没と
これが沼島で白石村が確かにあったんだと確信が持てた」

古い地図には白石村と書かれているだけでなく、1500年明応9年の大地震で5つの村が沈んだと明記されています。
この他にも集めた地図にはそれぞれ半島の形跡がしっかり描かれています。

ただし半島が沈むほどの地震は1500年・明応9年ではなく、1498年の明応7年か1605年の慶長9年と指摘されていて、信憑性が疑われています。
白石村はただの伝説でしかないのでしょうか?

林さんは海底図を取り寄せ、それをもとに立体模型を作成しました。

林:「こうやって立体模型作ったんで非常に分かりやすく、半島の大きさとか分かってきた」

白石村があったのはどんな場所だったのでしょうか。
立体模型をもとに現地を訪れてみると、500年前に沈んだとされる半島の形跡を確認することができました。

林:「淡路島で垂直に切り立っているというのはここだけしかないんです。いろいろ調べたらこの断層が白石村のもともとの始まりであるここから沼島のほうへ半島が延びていた」

ここから延びていた半島はなぜ海に沈んでしまったのでしょうか?

神子素:「なぜそこだけが沈んだ?」
林:「砂州だったんですよね。ちょっと離れたら沼島は岩盤なんですよ岩盤なら沈まない。
何十万年かけてどんどん大きく延びていったが、それはあくまでも砂なんですけど下でがたがたと揺れたらざっと流れる」

また白石村の痕跡はこんな所にもありました。
南あわじ市の諭鶴羽神社です。
境内の至る所から村の名残りが見つかりました。

奥本憲治宮司:「境内の方、おにまさを敷き詰めておにまさの下になってますが
おにまさを取り除いたら白石が出土してくる。
いろんな所に集めて捨てたりしないように大切に奉納した形でお預かりしています」

この白い石が白石村の存在を確信へと変えてくれました。

奥本宮司:「昔白石村という所があってきれいな海岸があって、白石を拾って願い事を込めながら神社へお参りされて境内に奉納して願い事をかなえた祈願が掛かっているものだから、大切にしてくださいと、この神社には伝わっています」

諭鶴羽神社に伝わる白石信仰。
このあたりにはない白い石が豊富にあったことから白石村と名付けられたと考えられています。
奥本宮司は神社に残るこんな逸話も教えてくれました。

奥本:「明治時代のはじめのころでしたら漁師さんが沖へ出ると波がない凪いだ日に白石村が船から下に見えたというエピソードも聞いている」

次々と見つかる白石村伝説にまつわる資料。
林:「僕の最後の願いは海に潜って先頭の半島の所に畑の跡で海では絶対に一列に並ばないような石垣が見つかれば、100%確信が持てるといつも思っている」

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