1月24日、原口選手が自身のツイッターで自筆のメッセージを掲載。
そこには、年末に受診した人間ドックでガンと診断されたと書かれていた。
間もなくタイガースの公式サイトでは大腸癌であると発表された。
1月9日に開設したと思しきこのツイッターアカウントには、24日まで何もコメントが残されていない。
この発表のために準備したのだろうか。
ガンとわかってから今日発表するまで、原口選手らしい配慮と準備で球団とも調整を重ねたのだろうと、考えなくてもわかる。
このツイッターを作った気持ちや綴られた言葉をなぞっては、何度も涙がこぼれ落ちてくる。
神様、なんてことすんだよ。
「いつも応援して頂きありがとうございます」
このメッセージも書き出しは感謝の言葉から。
あるカメラマンさんに聞いたことがある―
シーズン中、試合前練習が終わったとき、原口選手が一人で突然カメラマン席に寄ってきて
「いつも映してくれてありがとうございます」
と挨拶し始めたというのだ。
驚いていると、「お名前を聞いてもいいですか?」とも。
普通、選手がカメラを気にすることはほとんどないし、カメラマンさんは選手にとって大勢の人たちだ。
だけど原口選手は、カメラマンさんの名前を覚えて一人のプロフェッショナルとして接してくれる。
そのカメラマンさんはベテランさんだけども、そんな選手は他に今までいなかったそうだ。
阪神電車での帰り道、原口選手がどれだけ素敵な選手で人としても尊敬できる人かって、乗ってから降りるまでずっと原口選手のことを熱く教えてもらった。
スタンドにいるファンだけがファンなのではなくて、原口選手のファンはたくさんいる。
そのカメラマンさんは、原口選手がカメラマン席に寄って「ただいま」って言ってくれる日を待ってる。
私にも原口選手を応援する正当な(?)理由がある。
いつか言える機会が与えられるなら言おうと思ってたけど、もう今、言おう。
2016年の鮮烈なデビューはタイガースファンならすぐに思い浮かべられると思う。
育成から支配下登録され、即一軍。
交流戦ユニが間に合わなくて、当時の山田ファームバッテリーコーチのユニフォームを着てベンチに入って。
4月27日の巨人戦だった。
代打が告げられ、スコアボードが「清水」から「原口」に書き変わったんだ。
私、清水誉さんをめちゃめちゃ応援していたのだけど、あのとき…あの試合が一軍最後となって、その年、プロ野球選手を辞めちゃったんだ。
だからなおさら、あの試合で打ってくれた原口選手には感謝しているし、夢のような漫画のような活躍するのを、少し眩しかったけどワクワクする気持ちを抑えられずに、応援してきた。
私に言わせると少々乱暴だけども、原口選手には活躍する義務がある。
原口選手のメッセージはこう締めくくってある。
「どうか、これからも応援の程
宜しく、お願い申し上げます。」
原口選手が復帰を目指してスタートした。
原口選手のチカラになりたい。
けれど、頑張って
しか言えないのがもどかしい。
でも言う。頑張ってください。
不安に襲われたとき、辛いとき、どうかファンの声を思い出してくれませんか?
みんな、甲子園で待ってます。