「ハジメリマシテ!」
ジョークを飛ばせるほど日本語が上手になったマートン先生が、来日すぐの記者会見で使った日本語はこんなだった。
ただ、当時私は、この一声だけで大好きになった。
いや、だいたいそもそもが、私は日本へやってくる新外国人野手に抜群に興味があるのだ。
関西スポーツ紙の見出しは「盛ってなんぼ」の風潮があるから、半分に流し見してちょうどなのだとわかっていても自然と心が踊るのだ。
理由はよくわからない。
マートン先生の来日も、それまでやってきた多くの「助っ人」に対する気持ちと同じでいた。
ただ、マートン先生のことはいつもより好きになる角度というのが急だった。
日本のことをたくさん勉強してくれている。馴染もうとしてくれている。タイガースにとても好意的だ。
なんたって、スカウトは大好きなシーツ先生なのだ。
「愛する阪神タイガース以外でプレーする気はない」と現役を引退したシーツ先生が、日本行きを薦めてくれたのがマット・マートンという選手だ。トントトン♪と韻を踏むようなリズミカルさもいいではないか。
赤星引退。そのセンターのポジションを、タイガースファンの大きな心の空洞を、埋められる選手なんてそう簡単にいるもんか。
オープン戦に入ってもしばらくは、「センターの経験がほとんどない」ことなどから、酷評も聞いた。
だけどマートン先生はやってのけてくれた。
守備範囲、走塁、それらをカバーしたとは言えないけど、1年目に日本新記録(当時)である214安打を達成したのは、衝撃と同時に誇りをもたらせてくれた。
あれから6年。
記録もさることながら、記憶に残る選手だ。
とても真面目で勉強熱心。ベンチで背中を丸めて「マートンノート」をつける姿が愛おしかった。
だけどやらかしちゃうことも多かった。
ある雨の日、アウトカウントを間違えてボールをスタンドに投げてしまったことがあった。
確かにふがいないプレーには違いなく、新聞には随分な書かれ方をしたけど、守備に就いて、「1アウトー!」「2アウトー!」って指を作ってレフトスタンドやアルプススタンドのファンと一緒にアウトカウントを数えるあのファンサービスは、このプレーがあってからだ。
「能見さんキライ」だなんて日本のマスコミにはおおよそ通用しないブラックジョークを発したかと思えば、「能見さんアイシテル!」とこれまたファンを沸かせたり。(能見さん、巻き込まれすぎ。笑)
マジメ過ぎるがゆえ、譲れない部分が彼の中にはたくさんあって、歯をむきだして反発することも多かった。
ベンチでもその空気をそのままにするから、他の選手にも与える影響も少なからずあったと想像に容易い。
だけど、マジメ過ぎるがゆえ、というのが理由だから、キライになることは一度もなかった。
ちょっとゆるい守備や走塁が難点。
やれば出来るコなのになんで、とずっと思ったままいたけど、今年のクライマックスシリーズの頃、親指の炎症があるっていうのを聞いてこれって巻き爪やったりするんかな…だとしたらめっちゃ痛いからな…もしかしてそんなことが原因やったりしたのかな、とふと思ったり。
考えてみたら、どこが痛いとか、そういうことをマートン先生から聞いたことがない気がする。
そして大きな故障もなく、6年間ほとんどの試合に出続けてくれた。すごいこと。
マイペース過ぎるマートン先生の浮き沈みに一喜一憂するのも、それはそれで楽しかった。
試合前の外野芝生での「ひとりストレッチ」だとか誰もやっていなかったことを、ただ自分で決めたことを、黙々とやってた。
あのマイペースな姿は、周囲の目を気にして無難に生きようとしてるそんじょそこらの私には、憧れの存在でもあった。
「みなさんとお別れするのは寂しいですが、同時にこの先に待っている次なる挑戦も楽しみにしています。」
マートン先生のメッセージに、私もマートン先生の次の挑戦が楽しみになってる。
マートン先生!
日本へ来てくれてありがとう!タイガースに来てくれてありがとう!
ちょっと寂しくなるけど、これからもずっとアイシテルで!