久保田投手ありがとう。

2013年4月23日
中日 15-3 阪神
(ナゴヤドーム)

5回裏。
打者12人に56球
被安打5
四球4
8失点

久保田の昨年の初登板の数字だ。
それも1イニングでの。
ヒットされ四球でランナーをため、そしてタイムリーを浴びる。
ストライクが入らないどころか球威もない。
4点ビハインドの場面だったので、ある程度投げさせる覚悟で送り出したと思われる和田監督も、さすがに代えるかと思ったけど、動かない。

久保田の調子は一向に上がらず、ベンチが行くのが早いと思ったのか、野手たちも声をかけに寄るタイミングを逸してしまったかのよう。
久保田は周りが見えなくなっていた。
私にも久保田がひとりに見えた。

ベンチが慌ただしい。
中西ピッチングコーチが、ブルペンへ電話をかける。
だけど和田監督は、ベンチの奥から動かない。
ブルペンには、「このイニングは久保田に投げさせる」とでも連絡したのだろうか。

失点を重ねる久保田から目を離さない和田監督。
30球、40球…

久保田は、和田監督の思いを知っている。信頼を感じてる。
和田監督も、久保田の復活を祈るように、そして、久保田自身がつかみとる「一球」を待ってる。

久保田にはそれが痛いほどわかる。
若いピッチャーの登板機会よりも優先された久保田の昇格。
二軍から送り出してくれ、そして呼んでくれたコーチたち。
思えば思うほど、自分自身への憤り、不甲斐なさがつのる。

久保田は、長かった3つ目のアウトのあと、帽子のつばを下げ、目元を隠してベンチに下がった。

3つのアウトをとること。
和田監督が久保田に託し、何十球かかってもそれをさせたのは、和田監督が久保田の再起を願っていたからだ。

その後、一軍での登板となったのは、8月9日。
またナゴヤドームのマウンドだった。
この舞台が選ばれたのは偶然なんかではないね。
勝ち試合ではなかったけど、1イニングしっかりおさえた。

再出発―
心から嬉しかった。
この年、2イニング投げると尻上がりに良くなるあの鉄腕久保田も見れたし、2014年が楽しみだった。

そして今年。
オフに手術をした影響が残り、一軍での登板機会がないまま、引退の発表となった。

“JFK”の一角を担い、「6回までにリードされていれば負け」とまで他球団に言わしめた右腕だったが、いいことばかりではなかったように思う。
心無い野次を浴びマウンドに上がったこともあった。そう、投げる前から。
私は耳を疑った。
「がんばれ久保田!」の声が届かないのももどかしかった。

最後にもう一度、久保田には、満員の球場で久保田コールを聞いてもらいたかったな。
毎日のように投げてくれたあの日みたいにね。

おつかれさまでした。
久保田の剛球はずっと忘れない。

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