昭和の残り香が漂う空間
10年ぶりくらいにお好み焼き万味に寄った帰りに、その存在に気がついたのが長田区久保町9丁目にある横山酒店である。
新長田の町名は南北につくものと東西につくものがあり、久保町は東西に細長く伸びている。この久保町より南の万味(その後廃業)がある東西の筋に鈴木酒店や大原酒店があることは以前から知ってはいたのだが、横山酒店は視界から漏れていた。
外観から惹かれるものがあり、お昼すぎに入ってみると店の方の姿はない。だが、ここで帰ってしまっては元も子もない。声を出してみると美人の若奥様が出てこられてほっとした。
小ぶりではあるが年季の入ったカウンター、むき出しの配線、これらは花隈の須方酒店や和田岬の木下酒店を彷彿させる。
チューハイとチーズをもらった。チューハイは出来合いのものではなく、きちんと一杯作ってくれた。角打ちが好きで長田の町をよく巡ることなど他愛のない話をさせてもらった。
次の予定があったのでチューハイ1杯だけにして店を出た。また来たい店である。そう思ったのが2年半ほど前の秋のことだった。
そして今回の訪問となったのだが、初めてのときにあった看板が無くなっていた。すわ廃業か、と頭をよぎったが台風のせいと判明した。
店主の横山セツ子さんにまず店の歴史について話を聞いた。
「創業したのはいつ頃でしょうか?」
「三代目だった主人の後を継いだので四代目になるでしょうか」
「大正末期か昭和初期のころだと思います。まもなく百年ですね」。以前訪問した和田岬の木下酒店やリカー&フーズむらかみと同じ頃か。
お客さんが来られるのは午後6時頃と聞いていたのでそれより少し前に寄ったが、すでに常連さん2人の姿があった。
いつものようにまず瓶ビールをもらった。アテは大小のホワイトボードに記載されている。大きいボードには手作りの旬のアテ約20種、小さい方にはおでん10種以上が書いてある。大きいボードにアジのたたき、マグロのすき身があったのでアジのたたきをチョイスした。
続々と仕事帰りのお客さんが来られ、午後6時前にはこじんまりした店のカウンターとテーブルが埋まってしまった。
店主は、お客さんから女将さん、あるいはママと呼ばれているのかと思ったが、なんと”セッちゃん”。注文の都度、親しみを込めてそう連呼されているのだ。この”セッちゃん”、カウンターの中にいたのが、小さな子供さんの世話をするために奥に引っ込んでしまう。そういう時は先にいた常連さんが後から来たお客さんにビールを出したりグラスを渡したりしていた。相生町の渡辺酒店で見た光景だ。
奥から小さな子供さんが姿を見せた。すかさずお客さんが相手をする。どこからともなく「昭和3、40年代には店の子はお客さんに育ててもらった」との声が聞こえてきた。ここ横山酒店は昭和のままで止まっている。
子供さんが店主の孫と聞いて驚いた。初めて来たときの印象として「美人の若奥様が出てこられてほっとする」なんて記録してますなあ(笑)。カウンターにいたマイグラスのお客さんが「原節子似の美人」と言えば、セッちゃんは「そんなこと言うのは、この人だけ」と一笑に付した。
常連さんの話も聞いてみよう。
「家が近くで毎日来ている。角打ちなのにアテが豊富にある」
「1000円あったら十分。2000円やったらフラフラや」
「19歳のころから30年以上来てるなあ」
当時なら飲酒は20歳からなどと野暮なことは言わなかったであろう。現在では通らないことでも、昭和の時代はおおらかだった。そんな雰囲気が下町長田にある横山酒店にはまだ残っているということだ。
ビールが空になったので、おでん(焼き豆腐、じゃがいも、鱧ダンゴ)とカメラの福田さんは菊正宗のコップ酒、筆者はチューハイを追加。このチューハイは焼酎を布引礦泉所のレモンサワーで割ったもので大きなグラスにたっぷりと入れてくれた。布引礦泉所と言えば布引の滝という言葉から神戸の会社を連想したが西宮だった。但し、原料水は布引山麓の湧出井戸より西宮工場へ運搬使用しているそうだ。
気がついてみるとお客さんは更に増え、男性客に混じって女性客も和気あいあいと楽しんでいるのが印象的だ。声を掛けていた久保町の事務所で働く知人女性も加わった。「仕事帰りにのぞくとお客さんが一杯で入りにくい気がした」そうだが、「これで明日から一人で来れるね」と囁いた。今回の筆者らのような一見にも常連さんはとても親切に接してくれた。
後に”セッちゃん”にとって角打ちとは何かと聞くと「お客さんから元気をもらっています」と。お客さんとて”セッちゃん”から元気をもらっているに違いない。そんな憩いの場での一夜、楽しませていただいた皆様、ありがとう。そして、このような場をいつまでも続けられることを祈ってやみません。
神戸市長田区久保町9丁目1-6
TEL078-611-5616
営業時間 17:00~21:00
定休日 日曜