39杯目「前田酒店」

源氏物語で有名な現光寺前の名店

JRまたは山陽電車須磨駅前から東へ行き、山陽電鉄の高架を抜けると見えてくる現光寺の向かいに前田酒店はある。山陽電車の車窓からもその姿が見えるのだが、しっかり目を凝らさないと見逃してしまう。

さて現光寺であるが、正式には藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)という。本尊は阿弥陀如来で、浄教上人の開基と伝えられている。源氏物語の須磨の巻の舞台とも伝えられていることから、源氏物語ファンが立ち寄る源氏寺として知られている。阪神淡路大震災で倒壊したため、本堂や石組みなど新しく建て直された。

そういう由緒ある寺を望む位置にある前田酒店の創業は、三代目店主の前田稔さんによれば、昭和初期ではないかと思われる。震災時の火災で自宅兼店舗を失った。1カ月後、仮設店舗での営業再開にこぎ着けたが、自宅兼店舗の再建が叶ったのは2002年、震災から7年が経っていた。店は稔さんと妻の節子さん二人で切り盛りする。

店を入ったところに立ち席のテーブルがあり、左手に缶詰やお客さんがキープした酒を保管している棚がる。その棚の奥には椅子の入ったテーブルがある。混んでいないときは、椅子ありテーブルに座るお客さんが多いようだが、最近では背の高いテーブル側でも椅子を利用するお客さんが増えた。春になればテーブル席から道路を隔てた先に現光寺の桜を見ることができる。酒は売るほどにあり、花見には最高のロケーションだ。

酒やビールは配達価格と同じ。自分で勝手に冷蔵ケースから取って申告するシステムで、新長田の永井酒店を思い出していただきたい。棚にアテの古びたメニューが張ってある。と言うことは、長いこと値段が変わっていない証だろう。乾き物や缶詰のほかに、簡単な一品がある。例えば、たこ焼き180円、シューマイ180円、とうふ100円、するめ天ぷら200円、6Pチーズ70円、ソーセージ70円などで高くても200円。
面白いのは焼酎をお湯割するときに必要なお湯が50円である。確か宇治川商店街の奥にあった福徳屋酒店(現在は閉店)でもお湯は有料だった。もともと酒は配達価格なので、これは愛嬌というものである。

いつものようにキリンビール大ビンをもらった。すると節子さんが裏メニューの日替わりの一品を出してくれた。漁師の方や他のお客さんが海の幸や山の幸を届けてくれるそうで、タイミングがよければお裾分けにあずかることができる。裏メニューの注文方法は「今日は何がある?」と合言葉を言えばいいようだ。

取材時にはワカメ、茎ワカメ煮、土筆のあえたもの、鶏のから揚げを出していただいた。酒が進む。カメラの福田さんは日本酒、筆者は宝の焼酎ハイボールを追加した。日本酒は保温器で温められているので燗をする必要がない。ところ変われば燗をする方法もさまざまである。

そうこうしていると背の高いテーブルの方が賑やかになってきた。なんと外国人のお客さんが会話に加わっていた。尋ねてみると「教師をやっています」と流暢な日本語が返ってきた。高校か中学の英語の先生だろうか。国際都市神戸らしい出会いである。

ここでエピソードをもうひとつ紹介する。今年の2月に旧グッゲンハイム邸で開催されたイベント「まちのかたち キオクノキロク」に夜行バスで来られた方がいた。空いた時間に友達にもらった「神戸立ち呑み巡礼復刻版」を頼りに角打ち巡りを行った。日曜で垂水の店は休みだったが、須磨の前田酒店で飲みの実践をした。「前田さんはお母さんもお客さんも優しくて最高!」とtwitterに綴っていた。

前田酒店は店の人との距離感もいい。客の方に立ち入るでもなく、自然体である。繰り返すが店内から見る現光寺の眺めがすばらしい。酒を飲みながら光源氏に思いをはせる、これもまたいいのである。

最後に節子さんにとって角打ちとは何かを聞いた。 「生活の一部です。ボケないためでもありますが、お客さんとの会話が楽しくて毎日が充実しています」と。願わくは生涯現役を貫いていただきたい。

《お詫び》新型コロナウイルス感染が広がり、緊急事態宣言が発令されました。店主やお客さんとの会話を楽しむ角打ちも営業を自粛されるところが多くあるようですので、しばらくの間、角打ち巡礼を見合わせることにしました。再開の1杯をお楽しみに。

「前田酒店」
神戸市須磨区千守町1丁目1-9
TEL078-731-3310
営業時間 8:00~19:30
日曜8:00~18:00
12:00~15:00は立ち飲み休み

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