戦火、震災と2度の苦難を乗り越えて
神戸市営地下鉄長田駅および高速長田駅の南、御蔵通と菅原通からなる御菅地区が東西に広がる。25年前の阪神淡路大震災で甚大な被害があったところである。拙著「神戸懐かしの純喫茶」の取材で御蔵通1丁目にあった喫茶ホワイトを訪問して以来8年ぶりに御菅地区を歩く。
区画整理され道路も広くなった町から路地や長屋は消え、元の住民もほとんどが戻っていない。どこにでもある新興住宅地のようで震災の傷跡は伺い知ることはできない。
筆者の調べでは、この界隈には震災後に5軒の酒屋が残っており、いずれも角打ちをやっていた。その後、藤本酒店(菅原通2丁目)と竹谷酒店(同4丁目)が廃業して現在は戸田酒店(御蔵通4丁目)、砂川商店(同6丁目)、黒田酒店(菅原通3丁目)が残るのみである。
今回、取材に快く協力していただいた、みくらすいせん公園近くにある戸田酒店を訪れた。創業百年を超える酒屋の暖簾を守るのは三代目の戸田一弘さんと奥様のお二人である。昨年までは朝8時から店を開けていたが、朝はお客さんが少ないので今年から午後2時開店となった。
重厚なカウンターに大きなテーブルと小テーブルがある典型的な角打ち。壁には平成天皇御夫妻が”すいせん公園”に行幸されたときの写真が掲げてある。その店内で戸田さんに話を聞いた。
-創業はいつ頃でしょうか。
「明治の終わり頃のようで、私で三代目。百年は超えていますね」
-創業もこの場所ですか。
「もともとはJR兵庫駅の北、塚本通で営んでいました。戦争の空襲で焼けてしまい、土地は困っている方に譲りました。戦後、御蔵通で再開しましたが、阪神淡路大震災でまた焼けてしまいました。その頃は明石や西区、そして丸山まで配達に行ってましたね。まだ若かったですし。震災後、仮設で営業を始め、再建できたのは平成11(1999)年の秋でした」
跡継ぎ問題も含めて商売は難しいと、戸田さんの話にうなずくばかりであったので、ビールをもらって気分転換することにした。
戸田酒店の看板酒である江井ヶ嶋酒造の神鷹の名が入ったコップに麒麟ビールを注ぐ。アテは角打ちの定番の乾き物、缶詰、ソーセージ等があるが、季節柄おでんが煮えている。厚揚げ、大根、すじ肉、こんにゃくを皿に盛ってもらった。よく煮込んだおでんはうまい。こんにゃくを2人でシェアするのは難しいと思っていたら戸田さんが親切にも包丁を入れてくれた。うれしいね。
ビールが空になったので神鷹の熱燗に切り替えることにした。酒かん器がレトロな物で、タンクに酒を貯めておいて、スイッチひとつで酒かん器を通過する際に温まる仕掛けになっているようだ。
200cc入るコップに表面張力いっぱいに注いでくれている。カウンターの席までこぼさずに持って歩けないので、少しだけ鳥のくちばしのように口を近づけて飲んで減らした(笑)
この後もニッカの水割りや江井ヶ嶋酒造のむぎ焼酎福寿天泉のお湯割、ミレービスケット等をもらった。
-角打ちのお客さんについてお聞きしますが。
「御菅地区には酒屋が9軒もありました。造船所がにぎわっていた頃は朝6時から夜の11時まで大忙しでした。震災後は西区の仮設住宅に移られた方も来てくれてましたが、段々と歳を重ねて、震災前からの馴染みは、ほとんどいなくなりました。いまは川重の兵庫工場の方などが仕事帰りに寄ってくれます。自販機で買って帰る人もいますが、若い人はさっぱりですね」と戸田さん。
一方、奥様は「若い人はこの冷蔵ケースの中からチューハイなどを取って飲まれますよ」と若いお客さんが皆無ということでもなさそうだ。
この巡礼の企画はまだ角打ちの楽しさを知らない方に知ってもらおうと始めたので、掲載後に役立つといいなあ。
気が付けば仕事帰りのお客さんで店はダーク状態になっているではないか。もう20人近くおられるようだ。席を空けねばならない。
最後に戸田さんにとって角打ちとは何かを聞いた。
「古いだけやね。でも元気の素かな、町のいろんな話も入ってくるし」
「知らない者同士が友達になって仕事の紹介ができるのも角打ち。両方の人を知っているので橋渡しができるかな」
震災後の区画整理で道路は広く町並みは整然となった。便利にはなったが、どこにでもありそうな風景に震災の悲しみが隠れている。その悲しみを知り尽くし、自治会役員を長年やってこられた戸田さんだからこそ、一見の客にも優しく接してくれる。角打ちに一人では行けないと思っていたら、ぜひ戸田酒店の扉を開いてください。
これにて長田区の角打ち巡礼を終え、次回からは須磨区にある角打ちを旅する。
神戸市長田区御蔵通4-7
TEL078-576-7660
営業時間 14:00~21:00
定休日 日曜、祝日