「番組スタートまで」と「阪神淡路大震災」

昨年中は大変お世話になりました。阪神淡路大震災やドキュメンタリー番組の取材で時間に余裕がなく、なかなかブログを書くことができませんでした。番組の裏話を書くと言いつつあまり書けなかったことをお詫び申し上げます。

2018年4月。サンテレビとしては34年ぶりとなる帯の情報番組「4時!キャッチ」(平日午後4時~4時55分)が4月に放送を開始しました。実をいうと、スタート当初、間に合うのだろうかとドタバタの状況でした。放送開始4カ月前となる2017年12月ごろ、私も番組の立ち上げメンバーに加わることになり、ギリギリまで放送時間、出演者、番組内容を協議してきました。この人数で本当にできるのか?というのが正直な気持ちでした。
2018年4月の放送開始後も、内容を再考しながら進む毎日でしたが、多くの方に支えていただき、1月22日で放送200回を迎えようとしています。取材にご協力いただいた皆様、そして、視聴者の皆さまに厚く御礼を申し上げます。
兵庫のタイムリーな情報を、そして多くの方にご覧いただける番組をつくっていけるように努力していきたいと考えております。

※帯番組とは…複数日の同じ時間帯に放送されるレギュラー番組のこと
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1月17日で阪神淡路大震災から24年を迎えました。

去年は報道部(記者) 兼 制作部経済グループ(ディレクター)として、モノ知りSUNデーという番組のディレクターを担当。そして、報道部記者として、ニュース取材や阪神淡路大震災の特番も担当しましたが、去年の2時間の震災特別番組で大きな反省がありました。それは、1995年1月17日の映像を特別番組にほとんど反映しなかったことです。

サンテレビでも震災後に生まれた世代が入社する時代を迎えました。知らないではなく、ましてや生まれていない時代の出来事。震災後に他の地域から兵庫に引っ越してきた人、そして、経験するも亡くなられた人。震災を経験した人よりも知らない人の方が多くなろうとしている時代に、阪神淡路を伝えるためには、やはりあの日の映像は絶対に必要であったはずだと…。


【神戸市長田区火災】

サンテレビのアーカイブ映像には、涙が出てしまうほどの衝撃的な映像が保管されています。取材や特集制作を重ねる中で、私は何回も、中には100回以上見ている映像もあります。だからこそ、1番怖いのが「慣れ」で、「自分が知っている=他の人も知っている」という想定で構成をつくってしまうことも。阪神淡路大震災が1995年1月17日午前5時46分に発生して、死者6434人行方不明者3人ということをどれくらいの人が答えられるでしょうか?その慣れに陥ったが去年の私でした。

去年4月、私は報道部を離れ、「4時!キャッチ」を制作する社会情報部に異動しました。中途採用で2015年に入社した私は、過去に8年間アナウンサーとして働いていたことから、火曜と木曜の番組キャスターを担当することに。他の曜日は、取材や特集の制作を担当しています。

そして、丸24年の震災報道について。社会情報部と報道部で震災番組について話し合う機会もあり、「4時!キャッチ」と夜の「特別報道番組」で当時の振り返り映像を3分にまとめて放送することになりました。


【神戸市東灘区 阪神高速道路】

その動画の中には、洲本市の中核病院、県立淡路病院の動画が含まれています。私は震災当時、淡路島の洲本市に住んでいました。瓦屋根のほとんどが落ちて、台所がぐちゃぐちゃになったのを覚えています。家から歩いて5分ほどの場所には、(当時)県立淡路病院がありました。あの時、10歳(小学4年生)。救急車のサイレンが鳴り響いていたのは覚えていますが、家の近くの病院でトリアージ(助かる人の治療を優先する)が行われていたことはサンテレビに入社して取材するまで全く知りませんでした。

4時!キャッチでは火曜を中心に震災・防災の特集をお伝えしていますが、当時を振り返ることと、防災・減災に向けて「未来へ」の両輪での報道が必要だと考えています。地元の放送局として、その力は微力かもしれませんが、少しでも経験した人たちの思いや教訓を伝え、防災・減災につなげられる報道を心がけていきたいと考えています。

勝手ながら、ドキュメンタリー取材のため、1月24日(木)、29日(火)、31日(木)、キャスターを小濱アナウンサーにお願いすることになりました。詳しくはまた後日、お知らせさせていただきます。2019年もどうぞよろしくお願いします。

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