火垂るの墓の著者 野坂昭如さんの晩年の原稿

「火垂るの墓」をテレビや小説、DVDでご覧になった方も多いのではないでしょうか。14歳の清太と4歳の妹・節子が終戦前後の世の中を必死に生きようとした姿は、著者の野坂昭如さんの神戸空襲の実体験が題材とされています。

神戸では、1945年の①3月17日②5月11日③6月5日に大空襲が。小規模のものを含めると、アメリカ軍の神戸への無差別爆撃は、100回以上に上りました。その爆弾の多くは、日本の木造家屋を燃やすための焼夷弾で、神戸の市街地の8割が焼失。正確な死者数は分かっていませんが、神戸で8000人が亡くなったと推定されています。

ことしで戦後75年。私は5年前、戦後70年の年に神戸空襲の特別番組を制作しました。戦後80年、90年と年月が経っていけば、当時の経験者から話を聞くことは難しくなります。そこで、炎に包まれた神戸の「炎の証言」を記録し、次の世代へ残そうという趣旨からです。

1945年3月17日の空襲当時、お母さんのお腹の中にいた中田政子さん。空襲でお姉さんを亡くされています。現在は代表を退かれていますが、5年前は、市民団体「神戸空襲を記録する会」の代表として、お母さんの思いを代弁し続けてきました。

75年前、妊婦だった中田さんのお母さん 三木谷君子さんは、神戸市兵庫区で1歳10カ月だった娘の弘子ちゃんを背負って逃げ回っていました。ここなら大丈夫と大和田橋の下に逃げ込みましたが…。

川には焼夷弾の油が表面に浮かび、水と火が風を呼び、橋の下の全員が炎に巻き込まれました。お母さんが気付いた時には、上に多くの人が乗っかかり下敷きの状態になっていました。よく見たら、上の人はみんな焼け焦げていたそうです。体に覆いかぶさった遺体をかき分け、変わり果てた娘の弘子ちゃんを見つけました。両手両足も全部焼けただれて、子どもを抱きしめることもできず、念仏をとなえるしかできませんでした。その後、火災旋風に吹き飛ばされ、意識を失ってしまい、弘子ちゃんの姿を見つけることができませんでした。


お母さん自身も空襲で手足に重度のやけどを負い、医師からはお腹の子どもは諦めるように言われていましたが、終戦から3週間後に次女の政子さんが生まれたのです。
阪神淡路大震災の50年前に、このような悲惨な出来事が神戸で起きていたということを若い人たちは知っているのでしょうか?私自身、これだけしっかりと多くの方から戦争体験をうかがうことは初めてのことでした。

3月17日の空襲では神戸の西側が焼かれ、5月11日には当時飛行機を製造していた東灘区の川西航空機甲南製作所周辺が。6月5日には、神戸の東側と焼け残った須磨区を中心に焼夷弾が落とされました。この6月5日の空襲をもとに描かれたのが、作家 野坂昭如さんの短編小説「火垂るの墓」です。

神戸市東灘区の阪神石屋川駅近くで暮らしていた野坂さん。空襲で養父を、栄養失調で妹を亡くしました。サンテレビのアーカイブ映像では、1975年の野坂さんのインタビューの様子が保管されています。


「今の方たちにとにかくぼやきでもね、つぶやきでも、愚痴でもいいと思うんだけど、つぶやき続けるしか手がない。若者たちには、また年寄りの苦労話が始まったと言われるけど、僕らの両親はつぶやき続けていましたね。同じように僕らもあれを特別なことだと思わないならば、つぶやき続けるべきだと思うんですよ

私は、2015年7月、野坂昭如に「若い人たちへのメッセージ」をテーマに原稿の執筆を依頼。野坂さんは、2003年に脳梗塞を患い、当時リハビリ中でした。右半身がまひしている野坂さんの言葉を妻の暘子さんが聞き取り、原稿用紙に代筆してくれました。

「戦争の記憶も空襲の恐怖も風化してしまった。だが、気づけば今の日本、すぐそこに戦争が近づいている。いや戦争が近づくというより、日本は自ら戦争を迎え入れようとしている。
いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態、しかし世間は他人事。若者よ、大人に騙されるな。」

「今度日本が戦争をしたら、日本は滅びる」という強いメッセージを私たちに伝えてくださりました。放送では、このメッセージの全文を紹介しています。この番組は、2015年8月9日に放送しましたが、野坂さんは、放送の4カ月後の12月9日に85歳でこの世を去りました。まさに私の手元にある原稿は、野坂さんの晩年のメッセージとなったのです。

この番組をもう1度放送できる機会がないかと…。放送から5年後、サンテレビの報道アーカイブスという番組枠で再放送されることになりました。新潮社からも許可をいただき、「火垂るの墓」のアニメも一部使用させていただいております。先日、野坂暘子さんよりお手紙を頂戴しました。

「野坂の熱いメッセージが1人でも多くの方に届きますように」と。

これは偶然ですが、5年前に放送した日時、曜日が全く同じ時間に再放送が決まりました。この日は長崎原爆投下75年の日です。

8月9日(日)午後8時~ 再放送。報道アーカイブス「炎の証言」をぜひご覧いただけたらと思います。

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