娘が産まれた日

2年前の2月1日―。
予定日より1か月半早く、娘は産まれてきました。

出産を迎えるのは2回目ということもあり、その時が近づいてきたら、
何となく、感覚で分かるだろうと、思っていました。

出産日前日も、軽いお腹の張りはあったのですが、
妊娠後期だったら通常かなと、普段通り、眠りにつきました。
ところが、軽いお腹の張りが、鈍い痛みへと変化し、
どんどん間隔が短くなっていき、

午前3時ごろに、はっと目が覚めました。

この時でもまだ、予定日よりは早すぎるし、
まさか、陣痛だとは思っていなかった私は、
ひとまず、トイレにこもり、病院の通常診察時間になったら
一度診てもらった方が良いだろうか…
いやいや、でも、いつもより張りが強く出ているだけなのかな…
と考えを巡らせていました。

しかし、次の瞬間…バチンッ。
お腹の中で何かが弾けた感覚が全身に伝わり、ちょっ…と待って。
この感覚は、知っているぞと、急に息苦しさを感じ始めました。

しかも、確認のために恐る恐る手を伸ばすと、
赤ちゃんの両足に触れたことが分かり(娘は逆子だったため)
すでに産まれかけている状態だという現実に、
ますます呼吸が荒くなります。

トイレに産み落としてはならないと、必死に立ち上がろうとするも
もう、身体のどこにもうまく力が入らない状態で、
それでも何とか立ち上がり、トイレの外に出られたと思ったら、同時に
そのまま倒れ込んでしまいました。

そこからは、もう、家族が大慌てです。
何の準備もできぬまま、目の前には、
すでに赤ちゃんの身体半分が飛び出している状態で。

救急車をすぐさま呼んでもらおうとしますが、
大パニックの家族は、妊娠周期も、私の年齢も、住所さえも、
誤った情報を電話口でしどろもどろで訴え、

その度に、力のない声で訂正を呼びかける私…。

普段は、ドキリとするはずの救急車のサイレンが遠くから聞こえた時には、
心の底から、安堵しました。

救急隊が駆けつけてから、救急車で運ばれるまでの間、
そのスピーディーな対応には、緊急事態ながら、心の中で感嘆の声でした。
ただ、「どうにか、いきむのを我慢してください」
始めから繰り返し言われ続けていたのですが、
耐え切れず、救急車の中で、そのまま出産。

救急隊の方々もすぐさま車両を停めて、緊急対応で、
娘を取り上げてくださいました。

しかし。
なかなか聞こえてこない産声に、車内には緊張が走ります。

病院に到着するまでの間、
救急隊の手によって、娘の心肺蘇生は行われ続けましたが、
心肺停止のまま、私とは別々に、処置室へと運び込まれました。

その後、病院スタッフの皆さまの尽力もあり、
娘は一命を取り留めましたが、

今後まだまだ何が起こるか分からない状態に
「覚悟をしておいてください」という話を医師から受けた時には、
まるでドラマのワンシーンのようだ…と、
ぼんやりと回らない頭で、他人事のように思考を停止し、
その先のことは、何も考えられなくなっていました。

娘が産まれてきてくれた2月1日。
あの日のことを思い出すたびに、今でも胸が苦しくなることがありますが、
救急隊の皆さんの迅速な対応と、その後の病院での処置のおかげで、
娘は今、無事に2歳を迎えることができています。

2年前、人工呼吸器が取れ、自発呼吸ができるようになったときの安堵感、
手や足を動かせるようになった時の感動、
生後5日目にして、ようやく産声をあげてくれた時の愛おしさ。

妊娠することも、出産することも、そして成長していくことも
日々、一つ一つが奇跡の積み重ねなのだと、改めて感じています。

コロナ禍により、日常が変わってしまった今、
娘の命を繋いでくれた医療従事者の皆さまには、
心から感謝してもしきれないと…
より強く思うようになりました。

加えて、混沌としたウクライナ情勢に、
なかなか明るい気持ちになれない状況にあるかもしれませんが…
失われていい命なんて一つもありません。

繋いだ命が輝き続けられる世界であることを
心から強く願っています。


*シャベル片手に、後ろ姿も頼もしくなってきた娘

*たくさんの方々に感謝しつつ、2歳を迎えました!
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