2020年01月09日(木曜日) 15:25 地域・まち

【阪神淡路大震災25年】「震災を知らない世代へつなぐ」

藤本真一さんに聞く 

阪神淡路大震災の遺族や支援者らが2004年に結成した認定NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯りHANDS」の理事長。毎年1月17日に神戸・三宮の東遊園地で竹灯籠で「1.17」の文字を灯す「阪神淡路大震災1.17のつどい」の実行委員長も務める。神戸市で宅配すし店を経営。35歳。

<震災25年を迎えて>

日ごろから活動している者からすれば、メディアが盛り上がってくれるから気は楽ですね。むしろそのあとが嫌なんです。26年、27年とか……。以前も震災21年、22年とかネタが無いわけなんです。震災21年目に、それまで1月17日の「つどい」を行ってきた「神戸・市民交流会」から実行委員会を継承し、(竹灯籠で新たに描く)文字を公募するとか、炎上気味に仕掛けました。最初が<未来>で、<光>、<伝>、<つなぐ>です。「つどい」を続けるのに反対の意見もありましたが、震災風化の象徴になるのは避けたかったし、メディアからは存続を望む声が強い。やはり目に見える活動が戦略的にはほしかったので「つどい」を残すための仕組みを考えました。(2020年の文字は「きざむ」)

<竹のジレンマ>

竹灯籠に使う竹を神戸市北区や京都などへ採りに行って運んで保管するのは大変です。重いし危ないし、竹を採る地域自体の存続も危ない。

でも2019年のルミナリエで若者ブースを作ったんですが、一番ヒットしたのは竹灯籠に文字を書くブースだった。僕も予想外だった。600本も文字が書かれた。外国人も書いていた。参加してる感があるんですね。

だから「つどい」の一番のジレンマは竹ですよ。今後、次の世代になれば竹がネックになってくる。竹じゃない方向にもっていかないと保たない。『竹が無いからつどいを止めよう』にならざるを得なくなる。でもルミナリエであれだけ竹にメッセージが書かれた。難しいですね。竹は一番の課題です。

最近は若い人が会場に来るようになりました。世代が変わった。子連れで来たり。一方で年を召した方は来れなくなる。僕の最初の目的としては、「つどい」に若い子たちをもっと呼んで震災経験者と交流させたいことが一番あったんですが、まだハードルが高い。早朝なので小学生・中学生は動きにくい。だから高校生・大学生を掘り起こしたい。でも1月17日は普通に学校があるんです。その辺が矛盾してるよなと思います。

<継続が関心を高めた>

震災20年を超えてから東京とか全国の目が増えました。東日本大震災はじめ自然災害がこれだけ多い中で、なんで神戸だけこんなに追悼行事が続いているのかという“異様”さにメディアの関心が高まった。2019年に日比谷公園小音楽堂に「つどい」の東京会場を作ったのも理由はそこにあるんです。関西だけの報道の壁を越えていかないとあかんと思ってやりました。メディアと30人ぐらいの人が来てくれたらいいと思ってたら300人と多くのメディアが来た。東京の新聞の一面に載った。それは異様なことですよ。年月が経って行事が増えていくという勢いは神戸らしいと思う。もっと全国にひろげていけると思う。

やっぱり続けていることが大事です。20年で終わったとか、隔年とかでは強みがなくなる。神戸以外の人から見れば、まだ毎年やってる、どないなってんのと……。

神戸外から来た新聞記者の人も、阪神淡路が風化しているという前提で取材をスタートさせるんですけれど、神戸は逆なんですね。ふつうに市民が店でしゃべっていても震災のことがいっぱい出てくる。それが驚きなんでしょうね。

<活動に加わって>

震災が起きた時は10歳でした。自宅は神戸市北区だったので何ともなかったんですが、爺さんと婆さんが中央区の二宮にいたので朝7時ぐらいに車で父と行き、長田の方も行きました。震災を見ている、経験してるのは絶対的に違うんですね、若い世代とは。

僕は3.11に衝撃を受けて、HANDSの活動に加わり、(HANDSの創立者で俳優の)堀内正美さんらと一緒に活動を撮り続けたんです。それまでHANDSの名前も知らなかったし、希望の灯りも知らなかったです。

僕は遺族の立場にはなれないし、堀内さんのように最初からやってきたという経験もないし、遺族の横で僕がしゃべったり動くのがはたして正しいのかというのはありました。しかし遺族から「こうして活動して、震災を伝えようとしてくれているのがありがたい」と言われ、“免罪符”みたいなものをもらっているので僕はできていると思います。

<語り継ぐ仕組みを作りたい>

今は経験者がいっぱいいるから震災が伝わっている。知らない人同士でも震災のことが話せます。今のうちにいろんなことを考えてチャレンジしないといけないというのが僕の焦りなんです。もう10年もしないうちに様変わりしていく。亡くなっていく人が増える。今だったら震災の生の声を聴ける場所や企画や仕組みを作っていけます。でも、おそらく10年後にそれをしても震災経験者がいないから反応しなくなっている。

だから今のうちに、「経験していない世代」に橋渡しをして、「経験していない世代」から「経験していない世代」へつないでいく仕組みを、若い子たちと作っていかないといけない。でないと、経験者がいなくなると立ち消えちゃうんで。

戦争体験を伝えるのと似てますが、違うのは今はネットやSNSがあることなんです。

昔って図書館とかに行ってよっぽど熱心に調べないとその出来事に触れ合えなかったのが、今はウェブとかユーチューブでちょっと見たらだいたい見えてくる。入り口さえあればあとは勝手に自分で調べていく。会いたい人にはコミュニケーションツールを使えば会える。その入り口をきちんとしてあげないといけない。あとは放っておいてもやれるんですよ。

<学ぶだけでなく発信の場も>

神戸は小学校中学校で9年間、震災学習をするんです。でも発表・発信する場ってゼロなんです。学ぶばっかり、話を聞くばっかりです。それを知って可哀想だなと思って、それで今回、ルミナリエの企画を思いついたんです。ルミナリエで展示発表するアウトプット系の場所を作ったらみんな頑張ったんです。だから教えるだけで満足になっちゃってるのを打破しないと……。

先日、小学校に竹を持って行って3年生に文字を書いてもらったんですが、「つたえる」とか「わらう」とか「かたる」とか熱心に書いてました。見ていた校長先生が、「いつもキャッキャしている子たちが悩みながら真面目に考えていて泣きそうになった」と言ってました。そういうのが大事だと思うんですね。震災学習の授業は三分の一か半分にして、各々が考える場所を作るのが今後、大事かなと思います。

<IT企業との対話>

25年前と今とでは通信手段が全然ちがう。あの時は固定電話で掲示板しかなかった。今は各個人がつながって発信できるツールがある。でも優れた機能があっても、みんなが事前にわかっていてちゃんと使えないと本当に災害時に役立つツールにならない。それをLINEの幹部に言ったら、「そういう説明するような機能やメニューはカッコよくない。“クール”じゃない」と言うんです。一方で行政が災害アプリを作ろうとしているがそれではダメで、やはりみんなが普通に使っているプラットホームをいかに活用するかが大事だと思うんです。

それで(2019年12月に)神戸で、ヤフー、LINE、フェイスブックに集まってもらって話し合った。それぞれ営利企業でライバルだけど横並びで役員や幹部が集まったのは日本で初めてです。

避難訓練ってSNSでやるのがいいと思うんですよ。SNS上で避難訓練をバーチャルでやることで、こんな機能があると周知することになる。あと、ファイスブックは防災ガイドブックを作り、うちと一緒になって震災の写真や動画を時系列に並べてデジタルアーカイブを作って交流できるようにしている。各社それぞれでやりつつ、災害時はどこで手を結べるかをお互いに想定しておいた方がいい。今回の顔合わせはその入り口です。各社、関心もあるし、どうしたらいいかと思っているはずです。

<神戸市民の誇り>

震災は大変だったけど、そこを乗り越えて俺たちここまで来たんだというのが神戸市民のアイデンティティであり、誇りだと思うんです。

神戸市がこれまでやっていた1月17日の「シェイクアウト訓練」を、緊急速報メールがうるさいと苦情があったから今回やめるという。でもバイク屋のおっちゃんとか「あのニュースなんやねん。神戸が最初にやめたらあかんやろ」って当たり前にみんな言うわけですよ。

僕が今こうやってやれてるのは、そういうみんなの気持ちとつながってるし協力してもらえているからです。

(2019年12月20日   聞き手:浮田信明)

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