2019年11月14日(木曜日) 14:50 地域・まち文化・スポーツ

神戸マラソン 71歳で初めてのフルマラソン

2万人が港町・神戸を駆け抜ける神戸マラソン。71歳で初めてフルマラソンを走る男性を紹介します。

近藤昭さん、71歳。3人の子育てを終え、神戸市垂水区で妻と2人で暮らしています。

月の半分、駐車場管理の仕事をする傍ら、自宅からバイクで10分の場所にある畑で野菜を育てるなど、落ち着いた毎日を送っています。

近藤さんは50歳のとき趣味でランニングを始め、神戸マラソンで初めてのフルマラソンに出場します。

(近藤昭さん)
(フルマラソンは)初めてです。どちらかというと不安だらけですけれど、とにかく完走したいと思ってます。

およそ30年前から垂水区で暮らしている近藤さん。阪神淡路大震災が発生した1995年1月17日は、勤務先の尼崎市の郵便局にいました。

(近藤さん)
地震でグラグラっと揺れたものだから、リフトを動かそうと思っても停電で電源が切れて動かない。
配送が遅れると(各局に)連絡してくれということで手配した。

震災から2日後、友人のバイクを借りてようやく自宅に帰りました。

(近藤さん)
翌々日に友達のバイクを借りて帰ったら、途中みんな壊れている。
武庫川を渡って西宮の橋を渡ったら、つぶれている家も多いわ燃えている家も多いわ。
芦屋、長田。涙なくては行けなったね。
「えらいこっちゃえらいこっちゃ」「どうしたんやろどうしたんやろ」と。

妻と子ども3人は避難し、無事でした。自宅は半壊しましたが、修繕して今も住み続けています。

震災から3年後、明石海峡大橋が完成したことで近藤さんに転機が訪れました。

(近藤さん)
明石大橋ができて記念の10キロマラソンがあったので、せっかくの機会やから走ってみようと。
10キロくらいやった走れるやろうと思ったから。

橋の開通を記念した10キロマラソンを完走すると、徐々にランニングの魅力に惹かれていきました。

(近藤さん)
走れたという達成感かな。誰にも束縛されずに自分のペースでやれるということじゃないかな、はまったのは。

その後、近藤さんは10キロマラソンやハーフマラソンを中心に大会に出場してきました。

一番印象に残っている大会は5年前、クオーターの部に出場した神戸マラソンと語ります。

(近藤さん)
嫁が初めて応援来てくれたんです。嫁と娘が反対車線から「あきら~頑張れ~」って呼び掛けてくれて。
(あとで)「お前偉そうに昭って呼ぶな」と言ったら「お父さんはだれでもお父さんや」と。
「だから名前呼ばなあかんかったんちゃうか。だから呼んだんや」って。

(近藤有子さん)
とりあえず大きな声で「あきら~頑張って~」って言ったんです。
せっかく来て頑張ってって言いたいのに「知らんかったわ」じゃ本人も私も切ないじゃないですか。
喜びとプレッシャーとあると思いますけど、頑張ってほしいですね。

走り始めて21年。自宅のベランダからの眺めも少しずつ変わりました。

(近藤さん)
あれだけどんぞこに突き落とされたというのか、焼け野原だとかつぶれた家とか空き地だとか、たくさんあって通る度に悲しい思いでしたけれど、少しずつ少しずつ家が建ってくるのを楽しみにしてきましたので、ようやくここまで来たのかなという思いは持っています。

週に2、3回ランニングするのは、須磨海岸から明石海峡大橋にかけての海沿いの道。中でも特に気に入っているのは、舞子海岸沿いです。

(近藤さん)
海の音が聞こえることと、時々カモメなのかさえずっている音が聞こえたり、季節季節のいい風が吹くので、とってもいいなと思っています。
沿道の人たちが応援してくれるのも想像がつきますので、6時間完走ということで沿道の人と楽しく走りたいと思ってます。

震災から少しずつ変化したまち並み、そして思い出の明石海峡大橋を見ながら、初めてのフルマラソンを走ります。

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