2019年06月10日(月曜日) 19:15 地域・まち

【特集】幻の聖火ランナー 2020への思い

大阪府池田市、ここに1964年の東京オリンピックで聖火ランナーに選ばれた一人の男性がいます。

森純也さん72歳。写真に写る本人です。
「嬉しいはずが、表情もこれ(嬉しそうでない)なんで、やっぱり心は晴れてなかったんちゃうかなという気がする」(森さん)

大役を任されたのに浮かない表情に見える青年時代の森さん。その理由とは-。

当時、西宮市にある甲陽学院高校の陸上部でキャプテンを務めていた森さんは、聖火ランナーとして走るために練習を積み重ねていました。

前回の東京オリンピックの聖火リレーでは、兵庫県は南北二つのコースで合わせて235.7kmをランナーが走る予定でした。

ところが、森さんが走る予定だった9月25日は、台風20号の影響により兵庫県庁から大阪府庁までの約40kmでリレーの中止が決まり、参加するはずだった約670人が涙をのみました。

「前日の24日の方が風雨強かったんですね。夜中に台風が通過してしまって、25日はどちらかと言うと風は強かったんですけれども快晴で走れないことはなかったと思うのですけどね」(森さん)

森さんはいてもたってもいられず、走る予定だった夙川橋まで一人で出かけて行ったそうです。

「5~6台の黒い車が聖火の火を積んだまま同じ場所を通過していたんで、それを見送りましたね」(森さん)

6日後、西宮市教育委員会などの計らいで模擬聖火リレーという催しが開かれ森さんも参加しました。

この写真はその時のもので、浮かない表情に見えた理由は悔しさだったんです。

「聖火リレーを走れなかった思いをずっと引きずってきたんじゃないかな」(森さん)

森さんとは対照的で1日違いで無事、聖火ランナーを全うできた人もいます。

「(これが)実際持って走ったト―チですね」(西岡さん)

兵庫県市川町に住む西岡斉さん72歳。

飾磨工業高校の陸上部で活躍していた西岡さん。姫路市内をリレーした後、陸上競技場の聖火台に灯されるのを見届けたそうです。

「偉大なこと(オリンピック聖火リレー)に対してその当時の恩師の先生が推薦してくださったんだなあというありがたさを改めて感じますね」(西岡さん)

聖火ランナーには当事者だからこそ感じる大きな喜びがあったのです。

西宮市にある県立総合体育館。ここで半世紀前の聖火リレーにまつわる「ある物」が見つかりました。

兵庫県の花、のじ菊があしらわれた丹波焼の聖火台です。

1964年の聖火リレーで兵庫県庁に到着した聖火をここに灯しました。

その後、神戸市長田区の県立文化体育館で保管されていましたが、阪神淡路大震災の後の混乱で所在不明になっていたそうです。

「今年の1月、たまたまこの資料室の整理をした時に見つかりました」(聖火リレー実行委 長島さん)

当時県庁で(聖火)の「受け」はしたんですけれども、出発に使えなかったというところもありますので、今度のオリンピックは県庁が出発 になりますので、出発式に何らかの形で活用できればなと思ってます。

一方、幻の聖火ランナーとなってしまった森さん。実は今もまだその夢をあきらめていませんでした。

来年開かれる2度目の東京オリンピックがきっかけとなり、ある団体を立ち上げて活動を続けています。

その名も「56年目のファーストランの会」です。

「一番の目的は2020年の東京オリンピック走らせてもらうこと」(森さん)

森さんは前回、走ることができなかった670人の仲間を探し、来年の東京オリンピックで今度こそ聖火ランナーとして走れるよう、講演会や試走などを行ってきました。現在メンバーは240人以上に増え、活動の熱気は高まっています。

「言葉は悪いですがずっと50年根に持ちながら過ごしてきた人もいるので、2020年の東京五輪開催が決まった時には『走れる』と 思ってスポーツジムに行き出したり、泳ぎを増やした人とかいます」(森さん)

56年越しの夢を叶えるため森さんたちの活動は続きます。

「10万人の聖火リレーのランナーがいて、走れなかったのは兵庫県庁から大阪府庁までだけ。我々だけが駅伝でいったらタスキがつながっていない場所ですから是非聖火リレーを走りたいですね」(森さん)

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