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震災企画~阪神淡路大震災20年に向けて

第1回(2014年4月1日)

阪神淡路大震災を経験した行政や財界のトップらにインタビューした 口述記録「オーラルヒストリー」が、 人と防災未来センター資料室で公開されている。 当初は30年間非公開の予定だったが、 東日本大震災を受けて「早く役立ててもらおう」と方針転換。 “その時”を語る貝原前兵庫県知事などの貴重な証言を紹介する。

第2回(2014年4月8日)

先月末、神戸市が「帰宅困難者対策」の基本方針を発表した。
災害時、中央区で最大20万人と想定される帰宅困難者。
一時的な避難先の確保が急がれる中、市は民間施設の力を借りようと、三ノ宮駅周辺の施設で作る協議会を発足させた。
地域での連携を強化するための課題とは・・・

第3回(2014年4月15日)

阪神淡路大震災後の復興まちづくり事業が続く新長田駅南地区を活性化させようと、
神戸の高校生がウェブサイトづくりに取り組んでいる。テーマは商店街の集客力アップ。
若者向けの店が少ないというイメージを打ち破り、
幅広い年齢層で認知度を上げようと意気込む高校生の取り組みに、地域の商店主たちも熱い視線を送る。

第4回(2014年4月22日)

1925年5月23日に起きた北但大震災。
現在の豊岡市内で死者400人以上、全壊家屋千棟超の大惨事となった。
火災が激しく甚大な被害が出たことから、街の復興に当たって、防火性の高い鉄筋コンクリート造の建築が奨励された。
「復興建築群」として今も姿を残し、物言わぬ語り部として教訓を伝える。

第5回(2014年4月29日)

三田市にある三田祥雲館高校の生徒9人が先月、東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市を訪れ
地域住民らと木工クラフトを通して交流を図った。
生徒たちは2011年5月に中古自転車を送った縁から被災地との交流を継続して行っている。
風化が懸念されている中、現地を訪れた生徒の思いや活動を取材した。

第6回(2014年5月6日)

宮城県に本社を置く河北新報は東日本大震災で大きな被害を受けながらも、
号外と翌日の朝刊を発行した。最前線の記者はどういう思いで記事を書いているのか。
被災地の中心で取材を続けている記者と、震災の年に入社し、現在は福島に駐在する若手記者に密着した。

第7回(2014年5月13日)

南海トラフ巨大地震が起きた際に、今自分がいる場所は最大で何メートルの津波が来るのかを検索できるサイトを神戸市が開発した。
サイトはスマートフォンやタブレット向けで、GPS機能を活用して場所を特定し、その場所の浸水深や津波の到達時間が分かる。
市の担当者に開発の思いやこだわりを聞いた。

第8回(2014年5月20日)

鈴木佑一さんは5歳の時、神戸の母子寮で阪神淡路大震災に遭い母親を亡くした。
施設で育った鈴木さんは自らの手で将来を切り開きたいと語学を学ぶため半年間イギリスに留学、帰国後はIT関連会社で働きながら起業を目指している。
震災で家族を失った悲しみを乗り越え前を向いて歩み続ける鈴木さんを取材。

第9回(2014年5月27日)

サッカーJ1のヴィッセル神戸は、JFL参入初年度の1995年、大きな苦難に直面した。
チーム始動日に発生した阪神・淡路大震災。消滅の危機を乗り越えて開幕を迎えると、
地元出身選手の活躍もあって、翌年、念願のJリーグ昇格を決めた。
当時の選手やフロントの思いを通し、復興とともに歩んできたクラブの姿を追った。

第10回(2014年6月3日)

日中に地震が発生した場合、家族は職場や学校などでばらばらに過ごしている可能性が高い。
無事に再会するためには、避難場所や誰がどこにいるかなど、日頃から家庭内で情報を共有することが重要だ。
また、学校と災害時の態勢を事前に確認することも必要だ。子どもの命を守るための取り組みを紹介する。

第11回(2014年6月17日)

神戸市は公共施設の倉庫などを借りて市民15万人分の食料や物資の備蓄を進めている。
また、阪急不動産は各地で備蓄倉庫付きのマンションを開発し好評を得ている。
一方で家庭の備蓄率は兵庫県で4割程度という調査結果も。
個人の防災意識の薄れが指摘される中、特集では備蓄をテーマに災害への備えについて考える。

第12回(2014年6月24日)

阪神淡路大震災で9割の住宅が倒壊・焼失した神戸市須磨区千歳地区で住民を対象に防災アンケートが実施された。
結果は震災が風化しているという回答が7割を占め備えも不十分だった。
震災で二男を亡くし、アンケートを企画した自主防災福祉コミュニティの崔敏夫委員長は防災意識の啓発に取り組んでいる。

第13回(2014年7月1日)

阪神淡路大震災では多くの負傷者が被災した病院に運ばれて現場は混乱した。
また要介護者や難病患者などは満足な治療を受けられず、死亡する例もあった。
この経験から兵庫県医師会などは船を避難所や医療施設として活用する「災害時医療支援船構想」を進めている。災害関連死を防ぐ活動を取材した。

第13回(2014年7月8日)

阪神淡路大震災の翌年から、犠牲者に向けた鎮魂歌を歌い続ける神戸フロイデ合唱団。
今月25日の演奏会を前に練習も佳境を迎えている。
震災から20年を前に、今年のプログラムは初回と同じドボルザークの「レクイエム」を選び、原点回帰を目指す。団員の思いを取材した。

第14回(2014年7月15日)

神戸市垂水区千代が丘小学校区の住民らが災害弱者を守るための活動をまとめたDVDを制作した。
市内でも高齢者や障害者など、要援護者が多い垂水区。
中でも千代が丘周辺は急な坂道や階段が入り組み、自力で避難できない住民が孤立する恐れがある。
災害弱者を地域で守る、先進的な取り組みを紹介する。

第15回(2014年7月22日)

淡路市に住む全盲の吉田善平さんは視覚障害者団体の淡路支部長を務め災害弱者に対する支援の充実に向け活動している。
しかし去年の淡路島地震発生時も吉田さんの元に情報は届かず、近い将来予想される南海トラフ地震に不安を募らせる。
災害弱者への対策は果たして進んでいるのか、淡路市で取材。

第16回(2014年7月29日)

東日本大震災の被災地を訪れるボランティアが減少している。
もっと多くの人が支援活動に参加できるよう、神戸の学生などが、災害の被災地に行くボランティアに交通費や宿泊費を割引する「災害ボランティア割引制度」の実現を訴えている。
支援を継続するために必要な環境とは。

第17回(2014年8月5日)

神戸市の元町高架通り商店街でカフェを経営する美術家の宮崎みよしさんは阪神淡路大震災後、復興の願いを込めてアート活動に取り組み、現在は津波の防災ワークショップを開いている。
若者らと一緒に独創的な視点で取り組む防災活動を取材した。

第18回(2014年8月12日)

空襲に震災と数々の災害に見舞われた神戸の街で、生まれ育った詩人・安水稔和さん(82)。
13歳の時に神戸空襲、63歳で阪神・淡路大震災に遭った安水さんは、当時の経験を後世に伝えようと詩をしたためてきた。
災害から何度も立ち上がる街・神戸とともに歩んできた安水さんを取材した。

第19回(2014年8月19日)

神戸大学附属図書館「震災文庫」には、阪神淡路大震災の避難所で配られた食料の記録写真やボランティア腕章など、珍しい資料が多く所蔵されている。
担当者は「震災関連資料を網羅するのは、被災地の図書館としての責務」と話す。
同文庫は95年に創設。当時の職員らの意志は、脈々と受け継がれている。

第20回(2014年8月26日)

阪神淡路大震災から20年を迎えるのを前に、神戸で台風や地震などの全国の被災地の中学生が集まり、
防災について考えるサミットが開催された。
神戸市立太田中学校では、地域住民から体験を聞くなど震災学習に取り組んできた。
被災者の思いを受け止め次世代につないでいきたいとサミットに参加した生徒を取材した。

第21回(2014年9月2日)

先月、全国各地を襲った豪雨災害により、兵庫県内でも六甲山系における土砂崩れの危険性が指摘されている。
76年前に神戸の街を襲った阪神大水害の貴重なフィルムを通し、過去の教訓を学ぶほか、地盤工学に詳しい専門家に意見を聞き、六甲山の水害対策について考える。

第22回(2014年9月9日)

阪神淡路大震災で神戸市兵庫区にあった本社工場が全焼したオリバーソース。
「再起不能」とまで言われながらも4カ月で生産を再開し、ポートアイランドに移転した。
焼け跡のタンクから見つかったソースは来年、震災20年を節目に完売させ、オリバーソースの復興はついに区切りを迎える。

第23回(2014年9月16日)

先月16日から17日にかけて丹波市は記録的豪雨に見舞われ、土砂災害や浸水被害が相次いだ。
その後もたびたび襲う激しい雨で思うように復旧が進まない中、住み慣れた地元を離れたくないと家や店の再建に向け努力を続ける被災地の人々を取材。

第24回(2014年10月1日)

74人が犠牲となった広島土砂災害から1カ月以上が経過した。
被災地では未だに復旧作業が続いており、兵庫からも阪神淡路大震災を経験した人たちが支援の手を差し伸べる。
被災地神戸から広島へ。被災者の視点から行う心の支援を取材した。

第25回(2014年10月7日)

神戸学院大学の学生が、阪神淡路大震災で当時20歳の二男を亡くした、神戸市須磨区の崔敏夫さんの取材を続けている。
息子を失った悲しみや、震災後力を入れている防災活動への思いを聞き取り、教材用のDVDとして年内に完成させる予定だ。
学生は、「自分たちが震災を次世代につながなくてはならない」と語る。

第26回(2014年10月14日)

今や家庭に求められる食糧備蓄は1週間分以上。
これは、南海トラフ巨大地震を見据えたものだ。
1週間となると栄養のとれた食事が必要になるが、限られた食材や道具で何が作れるのか。
特集では、非常食をテーマにした料理教室に潜入。
また食料の備蓄方法について専門家に話を聞き、避難生活を乗り切る術を探る。

第27回(2014年10月21日)

来月開催の神戸マラソンでは阪神淡路大震災から20年を前に、その教訓を伝える「メモリアルランナー」が設置された。
ランナーの1人で、防災について学ぶ大学生は被災した祖父母の思いや東日本大震災の被災地でのボランティア経験を胸に神戸の街を走る。

第28回(2014年10月28日)

神戸市長田区の新長田一番街商店街は、阪神淡路大震災で木造店舗の8割近くが崩壊するなど壊滅的な被害を受けた。
当時、同商店街振興組合の理事長を務めた写真家・松原洋さんを訪ね、震災から20年を迎える商店街の現状への思いや避難先などに届けた成人式の写真について聞いた。

第29回(2014年11月4日)

阪神・淡路大震災を経験した元神戸市職員らで結成されたNPO法人「神戸の絆2005」の金芳外城雄専務理事。
金芳さんは、神戸市職員時代に被災し、避難所や仮設住宅の運営に携わってきた経験などを生かし、後世に震災の教訓や防災の大切さを伝える活動を行っている。
金芳さんに活動の思いを聞いた。

第30回(2014年11月11日)

阪神淡路大震災から20年になるのを前に、先月、開設された神戸市のサイト。
震災の記憶の継承や発信をテーマに、様々な分野の人へのインタビュー記事を掲載している。
そのうちの一人、神戸市在住の小説家・真山仁氏を取材した。

第31回(2014年11月18日)

今年8月記録的豪雨に襲われた丹波市。 今も被災した田畑や家屋の中には復旧の進まないところがある一方で、浸水被害を乗り越えようやく再開にこぎ着けた老舗の割烹料理店や住み慣れた自宅での生活を取り戻した高齢者らが生活再建に向け歩み始めた。
豪雨から3か月を迎える被災地を取材。

第31回(2014年11月25日)

阪神淡路大震災の断層が保存されている淡路島の北淡震災記念公園では震災の語り部によるセミナーが定期的に開催されている。
おととしまで県立淡路高校で防災教育を教えてきた森康成さんは退職後も被災体験を語り、災害への警鐘を鳴らす。
震災からまもなく20年が経過しようとする中、後世への教訓を語り継ぐ森さんの活動を取材した。

第32回(2014年12月16日)

阪神淡路大震災から20年になるのを前に、今年10月、開設された神戸市の特設サイト。
震災の記憶の継承や発信をテーマに、様々な分野の人へのインタビュー記事を掲載している。
そのうちの一人、神戸市の職員を取材。
震災直後、機能がストップした下水処理場で実施した対策などを語る。

第33回(2014年12月23日)

8月に丹波市で発生した豪雨では1人が亡くなったほか、民家や田んぼに土砂が流れ込むなど甚大な被害が発生。
また台風19号では、JR西日本が初となる計画的な運行停止を実施した。
一方、来年の阪神淡路大震災発生20年を前に県内各地で記憶の風化防止と減災に向けた訓練や講演会などが相次ぎ行われた。
このほか南海トラフ巨大地震の津波浸水被害予測など県内の災害と防災の動きをまとめて伝える。

第34回(2015年1月6日)

阪神淡路大震災から4年後、三田市内の復興住宅で生まれた「歌の集い・カトレア」。
芦屋市内で被災して移り住んだ久保田美也子さんが、住み慣れた土地を離れて不安を抱える高齢者同士の交流を図ろうと結成した。
被災者だけでなく地域の人たちも交えて歌を楽しむグループ「カトレア」を取材。

第35回(2015年1月13日)

神戸ハーバーランドの大観覧車に、期間限定で表示されている震災20年感謝のメッセージ。
未曾有の災害を乗り越え、今を生きる人たちの熱い気持ちが綴られている。
特集では、震災で幼い子どもを亡くした女性を取材。
「息子の命が繋げてくれた全ての出会いに感謝」その20文字の言葉に込めた思いを聞いた。

第36回(2015年1月20日)

阪神淡路大震災で生徒7人が犠牲となった神戸市立太田中学校で、防災の集いが開かれた。
集いでは、震災直後に生徒が作詞作曲した歌を、毎年歌い継いでいる。
今回震災から20年を迎え、在校生が歌詞の続きの制作に取り組んだ。
震災を知らない生徒たちが、歌に込めた思いを取材した。

第37回(2015年2月3日)

阪神・淡路大震災から丸20年となった先月17日、交通機関がまひする大災害に備え、大阪から神戸まで徒歩で帰宅する訓練が行われた。
参加したのは40~60歳代の男女12人。防災への意識。家族との絆…。
震災当時を振り返りつつ、それぞれが思いを抱き歩みを進める、30キロの道のりに密着した。

第38回(2015年2月10日)

阪神淡路大震災から20年が経った先月、神戸市長田区で被災した銭湯が閉店した。
被災者や地域住民を癒やしてきた銭湯。惜しまれながらの閉店となった銭湯の最後の1日を取材した。

第39回(2015年2月17日)

芦屋の市街地と日本有数の温泉地・有馬を結ぶ芦有ドライブウェイは、去年8月の台風11号に伴う大雨の影響で、道路が崩落し、今でも一部区間の通行止めが続いている。
災害から6カ月、被災現場を訪れるとともに、たびたび災害が発生してきた六甲山系で進むドングリの育成プログラムを取材した。

第40回(2015年2月24日)

阪神淡路大震災で家族4人を亡くした宝塚市の岡田哲也さんは、自分だけが生き残ったと自分を責めた苦しみを乗り越え、現在は心理カウンセラーとして活躍する。
「つらい経験をしたからこそ人の痛みがわかるカウンセラーでありたい」と話す岡田さんを取材した。

第41回(2015年3月10日)

神戸在住のシンガーソングライター・石田裕之さん。
ミュージシャンとして活動するかたわら、東日本大震災以降は宮城県石巻市への訪問を続け、歌で被災者を元気づけている。
今年1月からは、新たに石巻市のコミュニティFMでDJとしてコーナーを任され、インタビュー取材にも挑戦。
神戸と石巻、2つの被災地を繋ぐ彼が、伝えたいメッセージとは。

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