ゆあぺディア~私とセンバツその③~

昨年のセンバツは東邦高校が優勝しました。「平成最初と最後の優勝」ということで大いに話題を呼びましたよね。
平成最初というと、1989年。当時、私は中学3年生になる春を迎えていました。
ということは・・・、そう、高校受験に向けていよいよ本腰という時期。
ただ、センバツの時期は勉強に身が入らず(笑)友人と一緒に甲子園にも行きました。
大会5日目の1回戦、北海道・東海四―滋賀・八幡商の一戦。八幡商が終盤追い上げるも8-10で敗れた試合です。近畿代表ですし、八幡商を応援していたんですけど、惜敗。
トボトボと帰路につこうとした時、運命の出会いが!

そうです、高校野球のペナントです。偶然立ち寄った売店で見つけた一品。以前にも書きましたが、当時は大阪に住んでいましたし、元木選手のカッコよさに憧れていたので、迷わず上宮にしました。
あれから30年以上が経ちましたが、私は以来、毎年ペナントを買い続けています。
ある1年を除いて・・・。それはまた書きます。

さて、その上宮ですが、私の期待通り、決勝まで進みます。相手は、冒頭に記した愛知・東邦でした。
4月5日といえば、学習塾の春期講習真っ只中。その日も夕方から授業でしたので、自宅のこたつに入って、勉強をしながらテレビ観戦をしていました。試合は、延長10回裏に東邦が2アウトランナーなしから逆転サヨナラ勝ちを収めます。最後にライトの岩崎選手が転々とするボールを追いかけるシーンはあまりにも有名ですが、この試合は実に引き締まったいい試合でした。

上宮の守備は本当に堅かったんですよ。決勝の最後のプレーまでわずか5試合でエラーが1個。
9回裏も1アウトからライト岩崎→セカンド内藤→ショート元木→サード種田の素晴らしい中継プレーで三塁打を阻止しました。延長10回表、岡田選手のタイムリーで勝ち越し、上宮の初優勝を確信しましたが・・・。それが野球ですね。でも、リアルタイムでこの名勝負を見られたのは今となればいい思い出です。

そういえば、VHSのビデオデッキという強力な武器が私の手元に届いたのが1988(昭和63)年。
その翌年のセンバツですから、関西ローカルの深夜のハイライト番組はすべて録画。決勝戦なんて大げさでも何でもなく、擦り切れるほど見ました。

あの大会から31年・・・。
いまだに、決勝の延長10回裏、東邦がノーアウト一塁からバスターエンドラン、上宮が見事な好守でダブルプレーを完成、一瞬にして2アウト!というシーンは目に焼き付いています。私が今まで見てきた中で一番印象に残るダブルプレーです。

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ゆあぺディア~私とセンバツその②~

「松田くん、すごいなあ」という兄の言葉に、最初は戸惑うばかりでした。

1985(昭和60)年、鮮明に残るセンバツの記憶。小学5年生になる春。
「松田くん」とは報徳学園エース、松田慎司投手。

聞くと、兄とは西宮市内の小学校で同級生だったとのこと。
一緒に遊ぶことはあまりなかったようですが、自宅の前で素振りをする日課は近所では有名だったそうです。

ちょうどテレビでは、57回大会の2回戦、神奈川・横浜高戦が生中継されていました。
その日から「松田くん」は私の“身近な”憧れの選手になりました。

1回戦は青森・弘前工に7-6、2回戦は横浜に10-2で勝利し、ベスト8に勝ち進んだ報徳学園。
準々決勝の相手は、強豪・帝京(東京)でした。

この時、私は風邪を引いていて、自宅近くの小児科に行っていましたが、偶然にもセンバツの中継が流れているではありませんか!

食い入るように見つめていると、初回に2点を先制した報徳学園が3回に一挙6失点。
守備のミスなどもあり、「松田くん」は試合の途中で降板となりました。
「あーあ」とがっくりうなだれていると、受付の方に言われました、
あのーすみません、患者の方ですか?テレビを見るところではありませんよ」。
発熱していたはずなのに…、何とも恥ずかしい気持ちでこのあと、受診したのは言うまでもありません。

社会人の西濃運輸を経てプロ入り、日本ハム・ダイエー・ヤクルトと3球団で活躍し、現在はヤクルトでスカウトをされている松田さん。現役時代に、緊張して挨拶に伺ったことは忘れられません。今では、お会いすれば色々なお話をして頂ける間柄になりましたが、いつまでも憧れの「松田くん」であることに変わりありません。

あれから35年・・・。
当時の雑誌に掲載された横浜戦完投勝利後の「松田くん」のガッツポーズは、いまだに目に焼き付いています。

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ゆあぺディア~私とセンバツその①~

私の一番古いセンバツの記憶は、1984(昭和59)年。
当時、小学4年生になる春でした。

兵庫県西宮市に生まれ、小学校入学と同時に大阪へ。
ですから、近畿勢、特に大阪代表を応援していました。

第56回大会、優勝候補は2年生のKKコンビを擁するPL学園。
桑田投手、清原選手の活躍に野球少年だった私は魅了されました。
といっても球場で試合を見た記憶はなく、テレビ観戦のみでした。

我が家はどちらかというと、夏は現地、センバツはテレビ観戦が主でした。
ちなみに、高校野球を甲子園で見た一番古い記憶は、1982年。大阪・春日丘高校が神奈川・法政二高に負けた試合です。父に連れられ甲子園で見ました。まあ、連れていかれたという方が正確かもしれませんが(笑)まだ、KK時代到来の前夜ですね。

さて、絶対PL学園が優勝、夏春連覇と信じていた決勝戦。
しかし、東京代表で初出場の岩倉高校に0-1で敗れ、準優勝に終わりました。
最後の左打者のセンターフライはテレビで見た瞬間、「やった同点ホームランだ!」と立ち上がったのを今でも覚えています。悔しかったなあ・・・。

そういえば、昨年、関西学生アメリカンフットボールの取材で偶然、岩倉高校野球部出身の選手に出会いました。思わず、私は身を乗り出し、
(私)「君が生まれるはるか昔、岩倉高校ってセンバツで優勝したの知ってる?」
(選手)「もちろん、知っていますよ」
(私)「すごいな、勉強熱心やね」
(選手)「いや、部室に決勝戦のビデオが置いてあるんですよ。それを見ました」
(私)「へー、そうなんや!」
アメフトの取材そっちのけで、高校野球の話に夢中になってしまいました(笑)

あれから、36年・・・。
でも、いまだに、優勝を決めた瞬間の岩倉高校・山口投手が両手を広げたガッツポーズは目に焼き付いています。


湯浅野球少年

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器用かつ大胆

「カラフルやなあ」。
最初はそんな印象。

黄色茶色薄いブルー
「でも、それ、グローブ?」
次にそんな印象。

「え、それ自分で結んだん?」
聞けば、びっくりの印象。

元オリックスバファローズ、近藤一樹投手。

縁あって、色々お話させて頂く機会が多い。
とある日、神戸にファーム取材に行った。ベンチでバッタリ出会って、グラブを見た時のこと。
前記のやりとりがあった。

練習用のグラブとはいえ、紐を全部、自分で結んだのだ。
正確に言えば、結び直した。

元々は違う紐がついていた。
そこで、ちょっと遊び心が生まれた。
「何か違う色にしたいな・・・。水色なんかいいなあ。」
メーカーさんに取り寄せてもらって、自分でやり直した。
「昔からグラブを分解するの好きだったんですよ(笑)」

いやいや・・・。私もグラブを持った経験があるが、
そもそも取り外そうという発想自体が思い浮かばない。
私は不器用だから絶対無理だ。
それをプロ野球選手がする。純粋にすごい。
「2~3メートルくらいの紐ですね。そんなに時間はかからなかったですよ」
手慣れたものだ。

元大阪近鉄バファローズ、近藤一樹投手。
2001年、夏の甲子園の優勝投手。日大三高初優勝の立役者。
大阪近鉄にとって最後のVとなったその年、ドラフト7位で指名された。
もはや、そのドラフトで指名された8選手で現役のNPB選手は彼以外いない。
それどころか、大阪近鉄のユニフォームを着た現役選手そのものが
数少ない(現時点で確定しているのがマリナーズ岩隈、ヤクルト坂口と近藤のみ)

阪急と南海はアナウンサーとして仕事をした経験がない。
でも大阪近鉄はキャンプ取材にも行かせてもらったチーム。
何か、すごく寂しい。
一年でも長く、野球している姿を見たい。
そして、練習グラブが、一層鮮やかになるのを見たい。

「手先と違ってピッチングは大胆ですから(笑)まあ、見ててください!」
東京ヤクルトスワローズ、近藤一樹投手。
自身16年目のシーズンに向けて、活躍のイメージは出来上がっている。

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2015年の縁

初めて“少年”に出会ったのは2009年の夏。
少年は背番号2ケタの高校1年生、甲子園を夢見る高校球児だった。

「いい1年生がいますよ。“華のある”投手ですわ」
現在は東洋大牛久監督の堀口監督(当時、東洋大姫路高校監督)は私にそう言った。

実際、話を聞いてみて、その片鱗は見えた。
ひょっとしたら・・・。

それから夏のたびに、取材をした。

2011年、“少年”は高校3年生になった。
雑誌には“プロ注目の右腕”と書かれるまでになった。

「マウンドでの立ち姿が綺麗なんですよね、彼は」
現在も東洋大姫路高校で指揮を執る藤田監督は
会うなり、私にそう言った。

高校野球の指導者は、大器の予感を持っていた。

“少年”は、その年、史上初となる夏の兵庫大会決勝再試合を制して
ついに甲子園の土を踏んだ。

「あの時、もし県の決勝で負けていたら、今の僕はないと思います、
人生のターニングポイントでした。勝って、甲子園に出て、もっと高いレベルで野球をしたいと思いました。だから、大学でも4年間頑張れたんです」

“少年”は“大人”になった。
大学時代、肘の手術も経験した。何度も挫折を味わった。それでも、夢を決して諦めなかった。
「昨年の今頃は、大スランプで毎日不安でした。でも一分一秒を無駄にせず、全力で毎日を過ごしました」

2015年秋、夢は・・・叶った。
“少年”から“大人”へ―。
東洋大姫路高校、東洋大学出身、東京ヤクルトスワローズ ドラフト1位 原樹理。
先日、4年ぶりに彼と再会した。
「高校時代は、70キロくらい。今は80キロ近くになりました」
大きくなっていたのは、体だけではない。
喋り方も喋る内容もすべて、“進化”していた。

15歳の最初の出会いから6年。
素敵な“縁”に感謝したい。

PS.高校3年の夏、甲子園ベスト8に終わった東洋大姫路。
藤田監督は、監督人生で「記憶にない」ことをしていた。
負けた後、そっとボールを原に渡していたのである。

そこに書かれていた言葉―それは・・・
「日本一のピッチャーになれ」

原は、そのボールを間もなく入る寮で飾るという。

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信じてます

「前回よりと立場も代わって、本当に期待してるんですよ」
仕事仲間から最近聞かれた言葉だ。
私は前回からずっと期待している。
岡崎慎司―。
自身2度目のW杯。もう間もなく開幕を迎える。

このコラムでも何度か書いているが、初めて出会った時は“普通の高校生”だった。
サッカーノートの表紙に「世界NO.1ストライカーになる」とあっても誰も信じてなかった。
それが今や、押しも押されもせぬ代表選手だ。

本大会前の強化試合、点を取れなかった。
顔にケガもした。
マインツと代表で求められるものは同じでも、チームのサッカースタイルすべてが同じというわけではない。
「それでもブレないですよ」
岡崎慎司がブレない、そう“ウラを狙い続ける”。この宣言を貫いた時―2大会連続のW杯得点が見えてくる。

ブラジルに行っても、兵庫を、母校を忘れない。
高校時代の親友に尋ねてくる最初はいつも「滝二どうなってる?」

今年のインターハイ、決勝まで勝ち残った滝川第二だが、決勝戦、神戸弘陵に0-3で敗れた。
「兵庫で生まれて、高校3年間で本当に素晴らしい経験をさせてもらったから今がある。それを伝えたい」
常々話している言葉。
母校は残念ながら全国への切符を逃したが、初戦は現役サッカー部員全員が集まって先輩を応援する。

兵庫のために―。ニッポンのために―。

岡崎慎司を信じてます!

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和衷協同(後編)

13年ぶりの選手権となった神戸弘陵。
結果は、2回戦敗退。
沖縄・那覇西戦、0-3から1点差に追い上げる展開。
ベンチもピッチの選手も、そして応援席が一体となって戦う姿に
負けはしたが、ベンチリポートをしながら感動していた。

「応援席に行くと、もうだめなんですよ」
4年前に神戸科学技術高校で選手権に出場した
当時の主将・洞ケ瀬太一さんと副主将・古澤智也さんは、ともに口を揃える。
「負けて、悔しいと思うと同時に、あー終わったなって。整列までは涙を我慢できるんです。
でも、その後、応援席の近くに挨拶に行って、試合に出られなかった仲間の顔を見ると、もう無理です」

今回の神戸弘陵は部員121名の大所帯。メンバー外の3年生だけでも21名いる。
試合に敗れた選手たちが応援席に向かうと・・・、かつての高校サッカーの先輩と同様だった。

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そして、最後のロッカールーム。

「涙のロッカールームにはせーへんぞ!」
声の主は谷監督。
私も長年、高校サッカーに携わらせて頂いているが、これほど、早く身支度をして
引き上げたチームはなかったと思う。

全員が向かった先は、スタジアムの入り口。
そこで待っていたのはー。

神戸弘陵の応援団だった。
メンバーに入れなかった96名だった。

チームの解散式は全員で。試合に出た選手だけ、メンバーだけじゃない。
まさに「和衷協同」の精神。

「負けは悔しいけど、君たちがチームに残した財産は果てしなく大きいものでした。
3年生ありがとう。3年間お疲れ様でした」
本気で全国の頂点を狙っていた。今回夢は叶わなかった。
でも一丸で戦えた。
みんなの前で静かに話した谷監督。そこに涙はなかった。

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今ではすっかり、私のお気に入りの言葉になった「和衷協同」。
この気持ちを大切に、今年も1年間、真摯に仕事に取り組んでいきたい。

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和衷協同(前編)

「和衷協同(わちゅうきょうどう)」
辞書によれば、“心を同じくして、ともに力を合わせること”。

第92回全国高校サッカー選手権大会に兵庫代表として出場した
神戸弘陵学園高校のチームモットーだ。

最初は聞きなれない言葉で、意味も正直知らなかった。

母校を率いて8年目で悲願の初全国となった谷純一監督をはじめ、
濱田・小池・末金・森コーチ、山本トレーナーの6人のチームスタッフの思いは
すべてこの言葉に凝縮されている。

サッカー部員は121名。今大会に出場した48校中、7番目の多さ。
トーナメントを勝ち抜いていくためには、当然、全員一丸になることが必要になってくる。

谷監督は就任当初から、常に“チームの和”を求めてきた。

だから、スタッフには、選手全員に、特にBチーム(公式戦に出られない選手)の選手に、毎日声をかけてほしいと
お願いをした。

例え、サッカーが上手くても、学校生活を怠った選手には厳しく接した。
その選手を出さずに、県大会で早々と姿を消したこともあった。
でも、軸はブレなかった。

そういう姿は、他校の指導者にもすぐ伝わる。
意外とみんな敏感だ。それが、自分と同じポリシーなら、より一層。

今回、県の選手権予選は3年連続で決勝に進出、過去2度は敗戦。
3度目の正直で全国への切符を手にしたが、ライバル校の監督が何人か涙を流していた。
「谷―、よかったな」と。

兵庫県の高校サッカー界にはよき伝統がある。
選手権予選が終わってから全国大会までの一か月ほどの間で、指導者による“優勝校の祝勝会&壮行会”が
長年、行われている。
幹事は決勝で敗れた準優勝校の監督。
今回は、神戸国際大附属の石塚監督がその役だった。

複雑な思いもあるだろう。あと一歩で、全国を逃した監督が優勝校のために動くのだ。
そこはよき伝統の継承、石塚監督は熱心に声掛けをして、約60人が集まる盛大な会になった。

宴も穏やかに過ぎ、やがて、他校の監督からの激励、そして、神戸弘陵のスタッフが抱負を披露する時間に。
そこでサプライズが。

今回決勝で戦った神戸国際大附属には、この春で定年を迎える八木重光総監督がいる。
八木総監督とは谷監督が神戸弘陵の選手時代、国体スタッフでお世話になった間柄でもあった。
その御礼もこめて、弘陵のスタッフがベンチコートをプレゼント。

「僕は神戸で、兵庫でサッカーマンとして育ちました。今、チームが神戸の、兵庫の指導者の方々に育ててもらってます。
兵庫の代表として簡単に負けられません。頑張ってきます!」

会は、谷監督のコメントで締めくくられた。
サッカー王国・兵庫が、まさに「和衷協同」、一体となって選手権に挑んだ。

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校歌

校歌って歌えますか?
高校時代は、クラブ活動はしていませんでした。
だから、母校の校歌、全く歌えません。
PL学園や近大付など、高校野球の強豪なら歌えますけど(笑)

滝川第二サッカー部の栫監督が国立競技場で校歌を聞きながら涙を流した姿を見て
感動したのに加え、ちょっと羨ましかった思い出があります。

あ、ありました。
幼稚園!
兵庫県生まれの私は、西宮今津幼稚園に通ってました。
「い~まーづ ようちえ~ん」
1年しか通っていなかったのですが、最後のフレーズはなぜだか、すごく覚えています。

今年、幼稚園の後輩と仕事をする機会がありました。
アテネ五輪女子マラソン代表・坂本直子さん。
いつかお会いしたら絶対その話題を振ろうと決めていたのですが、
春の「兵庫リレーカーニバル」でついに実現したのです。

「じゃあ、僕が先輩なので、よろしく頼むわ!」
「あ、先輩、こちらこそ、不慣れなのでよろしくお願いします!」

初対面なのに、これくらいの“ノリ”ができる、本当に気さくな方でした。

その坂本さんは17日に放送される神戸マラソンでゲスト出演します。
サンテレビアナウンサーも全員が揃う、1年に1度、本当に楽しみな中継です。
是非、ご覧下さい!

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「『奪』から『頂』へ」

前回、コラムで記した滝川第二の好スタート。
2回戦も苦しみましたが、PKで山口・聖光を下して、3回戦へ。
岡山・作陽との大勝負を迎えます。

今年度のチームは、漢字一文字「奪」という言葉がテーマでした。
滝二では2002年度のチームから、毎年、漢字一文字をその年のテーマと決めています。
2002年度といえば、河本(ヴィッセル神戸)が2年生、岡崎(日本代表)が1年生でした。
最初は「一」。
“全国で一番になる”という思いが込められていました。
金崎(元名古屋)がいた2006年は「向」、全国制覇時は「志」
そして、11年目の今回は「奪」-。

「昨年取られた県のタイトルを奪い返すという意味」(太田主将)で始まったこのテーマも
選手権出場が決まると同時に、「今度は優勝旗を奪い返す」(太田)に変わっていました。

テーマを成し遂げるためにも大切な一戦でしたが、結果は2-5。
栫監督曰く、「完敗」の試合でした。

作陽の野村監督を何度か取材させていただきましたが、本当に研究熱心で、
滝二戦もキーマン⑦高畑をよくマークしていました。
滝二はどちらかというと、相手に合わせるより“滝二らしさ”を出して勝つという伝統があるので、
それがこの試合に関しては裏目に出てしまったかなと個人的には思っています。

ただ、後半アディショナルタイム、試合の行方が見えた中、1点をもぎとった姿勢。
これこそが、滝二の未来に必ずや、つながるでしょう。
栫監督はあの1点を見て、泣いていました。
主将の太田も、応援団への挨拶で
「後輩のみんなは、あの1点を見て感じて欲しい。俺達は決して強くなかったけど、
あれが、1年間やってきてみんなに伝えたかったことや」と涙ながらに話していました。

最後の1点を見て、私はあるシーンを思い出しました。
あれは80回大会2回戦、滝川第二VS静岡学園。
この試合、滝二は0-5で大敗しました。
本来なら0-6のゲームでした。

しかし、6点目は入りませんでした。正確に言えば、阻止しました。
誰もが6点目と思ったシーン。
無人のゴールへ吸い込まれていくボールに最後、足を出して止めたのが
当時の黒田主将でした。
それを見ていた応援席の1・2年生は、
「5点差になってもあきらめない姿勢はすごかった。6点目を阻止したシーンは絶対に忘れません」と
みんな口を揃えていました。
翌年、滝二は2度目の国立行きを決め、全国ベスト4まで勝ち上がりました。
そう、2002年度のチーム、漢字一文字テーマが始まったチームです。
今回も最後まであきらめない姿、それを結果に結びつけられる強さ、きっと、後輩に受け継がれていくでしょう。

神戸に帰ってきて、滝二は、すぐに新チームが始動。
作陽戦の後、下級生で一番泣いていた星野遼河選手が新主将に、
テーマは「頂」に決まったそうです。
まだ取材はしていませんが、おそらく
全国の“頂”点を目指すという意味からでしょう。

また一年、兵庫の高校サッカーが本当に楽しみです。

兵庫の高校サッカーが本当に楽しみ

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