今月20日、神戸市内のとあるレストラン。
滝川第二高校サッカー部OB会主催の優勝祝賀会が行われた。
参加は総勢およそ70名。

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歴代のユニホーム(暗くてスイマセン!)

所狭しと並べられたユニフォームは歴代の滝二の勝負服。
初代ユニフォームはスクールカラーの青を基調に、左胸付近に漢字で「滝川第二」の文字。
中央にローマ字が並び、肩に紺と赤のポイントの入った現在のユニフォームとは全く違うデザイン。まさに歴史を感じさせるもの。

会は、過去の映像が流れたり、1期生から昨年度卒業の24期生までそれぞれの代表がスピーチをしたりと、終始和やかなムードに包まれた。
優勝旗や優勝トロフィーも臨時出張。
主賓の黒田前監督は「滝二での監督生活は第二の青春だった」と話し、
同じく主賓の栫監督も「OBが託した思いが"夢"の実現に繋がった」と粋なコメントで花を添える。

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スピーチする黒田前監督
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栫監督

昭和59年創部の滝二サッカー部―。
1期生はわずか17名。
練習が草むしりと水まきで終わった日もあったという手作りのチーム。
「3年目で全国に旋風を起こす」が黒田監督(当時)の合言葉だった。
その言葉通り、創部3年目でインターハイ・選手権ともに初出場。
翌年、昭和62年の全国インターハイ、2度目の出場で早くもベスト4入りを果たす。
ちなみに、その昭和62年のインターハイ、優勝は市立船橋(千葉)で初出場での快挙。
前年度の優勝は、2度目の出場・国見(長崎)。
つまり、高校サッカーのいわゆる名門校と"全国デビュー"はほぼ同じだったのだ。
ただ、上記の二校が早々と全国優勝のタイトルを獲得したのに対し、滝二の栄光への道のりは想像以上に長かった。
実に創部27年目で手にした初の栄冠。がゆえに、感慨もひとしおなのだ。

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みんな笑顔!

1月10日決勝。
優勝の瞬間、応援スタンドに駆け付けたOBは、泣かずにいられなかった。
そして、この日、最後に挨拶をした坂野OB会長は、また、泣いた。
「先輩もいない滝二に初めて来た日の事を思い出して・・・」
会場からは自然と拍手が起きた。
やはり、今回の優勝は、気付けば600名を超えたOBすべての思いの結集であったのである。

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第77回大会の全国高校サッカー選手権、私はアナウンサー1年目だった。
高校サッカーに携わって、いきなり県勢初の国立を経験。
緊張しすぎてマイクのスイッチをオンにしても、声が出ないこともあった。
ただ、1年目に大舞台で経験を積めたことは、今の自分の礎となっている。

その12年前、兵庫県勢、そして滝二初の国立進出の立役者となったのは、
通算8ゴールで大会得点王、FWの林丈統選手(現千葉)。
3回戦での清水商業戦でのハットトリックは、強烈な印象として今も記憶に残る。

今大会期間中、滝二出身のJリーガーも母校の動向を気にかけていた。
首都圏のチームに在籍している選手が少ないため、直接競技場まで足を運べる選手は限られていたが、それでも、差し入れをしたり、首脳陣を通じてメッセージを送るなど、自らが果たせなかった夢へのバックアップに懸命だった。

林選手もそのウチの一人。
残念ながら所用のため、試合を観戦することはできなかったが、
ならばと、神奈川市内の宿舎を電撃訪問。

準決勝前日の1月7日夕方。
栫監督の要請で急遽、ミーティングで話をすることになり
「何話たらいいんですかねえ」と焦りの表情をロビーで見せながらも
後輩を前にすると、そこはさすが先輩の貫禄。
「まずは国立の雰囲気を楽しんでください。1プレー1プレーを一生懸命するのは当たり前。サッカーは楽しまないと面白くないし、イコール、プレーしている選手が楽しかったら見ている方も楽しくなるもの。自分を信じてみんなを信じて頑張ってください」と
重みのあるコメントで志気を高めた。

これも栫監督からのお願いで、浜口主将が左腕に巻いている主将マークの裏に
直筆メッセージを残した。
書いた言葉は"楽しめ"!

滝二は過去3度の国立準決勝で2点しか取れていなかった。
その2得点はいずれも林選手。
今回の決勝で、12年ぶりに国立で得点を挙げた。
得点者は、林選手のメッセージ入り主将マークを巻いた浜口選手と
林選手と同じ大会8得点でフィニッシュした樋口選手。
そして、当時の林選手の背番号「9」を背負った本城選手。

伝統が受け継がれたゆえの優勝でもあった。

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第89回全国高校サッカー選手権大会。
私はこの大会を一生忘れない。
地元・滝川第二が初優勝。兵庫県勢実に72年ぶりの快挙だった。

1984年、サッカー部員17名で始まった歴史は創部27年目で悲願の全国制覇に辿りついた。全日本ユースのタイトルを黒田前監督ラストイヤーに獲得はしているが、どうしても欲しかった選手権のタイトル。
16度目の出場にしてようやく栄光を掴んだ。
ただ、そこに行き着くまでには、様々な苦闘があった。

特に過去3度、破れなかった「準決勝・国立の壁」。
私はこの3試合、すべて国立の滝二ベンチの横でリポートを担当した。

東福岡、市立船橋、国見。一度もリードを奪えなかった。
後者の2試合は、ともに完封負け。完敗だった。

国立にいいイメージはなかった。

今回は島根の立正大淞南が相手。県勢初の国立とは言え、
河本選手(現ヴィッセル:当時3年)・岡崎選手(現日本代表・清水・当時2年)を擁した第82回大会の3回戦でも相当な苦戦を強いられた。後半37分、河本選手のヘディングシュートで1点をもぎとり、辛くも勝った思い出があり、今回も厳しい試合になると予想していた。

予感は的中した。
「引退がよぎった。あ、神戸に帰らなあかん」と浜口主将が思ったという後半40分過ぎ、立正大淞南・加藤選手のシュート。ベンチからは、本当に見にくい角度で、ポストを通り過ぎるまで、何が起きたか分からなかった。私も負けを覚悟した。

過去、滝二は優勝候補と言われながらも、優勝旗を手にすることはできなかった。
中には、バーやポストに嫌われて負けた試合もあった。
例えば、83回大会、後半35分過ぎ、岡崎慎司選手のシュートは星陵GKのファインセーブに阻まれ、1点差に泣いた。

例えば、85回大会、内田選手(現大分・当時3年)と橘選手(大阪産業大→今季から清水入り・当時2年)のFKとシュートはともにクロスバーに当たり、鹿児島実業に0-1で惜敗した。“たられば”は禁物と分かっていても、思わずにはいられない試合がいくつもあった。

準決勝には、数多くのOBが国立へ。加藤選手のシュート。
今まで涙を流した歴代すべてのOBの思いが、ポストの左横へと“曲げた”と思ったのは
私だけだろうか。
滝二は4度目の挑戦だ。
いつか、加藤選手を含む立正大淞南の全OBの思いが、“国立一勝”へと繋がる日が来ることを信じている。

結局、すさまじいPK戦の末、滝二は勝った。
初めての決勝進出。

栫監督の携帯が鳴りやまない状態になったのは、この瞬間からだった。

PS.プロ野球のキャンプ取材の時期になりましたが、数回にわたって
高校サッカー中継で感じたことを私なりの視点で書かせていただきます。
大変遅くなりましたが、今年もコラムにお付き合いの程、よろしくお願いします。

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さわやかイレブン

1974年センバツ高校野球、蔦監督率いる徳島・池田高校は快進撃を見せ、
見事、初の準優勝を果たした。
ベンチ入りのメンバーはわずか11人。やっと野球ができる程の人数での快挙は
「さわやかイレブン」として人々の記憶に刻まれている。

さて、競技は変わり高校サッカー。
その年の秋以来、全国の舞台から遠ざかっていたのは、報徳学園サッカー部。
今年の選手権予選で、実に、36年ぶりとなる決勝進出を果たした。
緑のユニフォームを身にまとった選手達の溌剌としたプレーぶりは、まさに「グリーン旋風」。

3年前、かつて神戸弘陵の監督として5回全国高校選手権出場の経験を持つ神田豊秀監督が就任。メキメキと力を付けてきた。野球部・ラグビー部に続けと古豪復活に向け、厳しい練習に耐えてきた成果が今回の決勝進出に繋がった。

決勝の相手は、今年の夏、インターハイで創部以来最高の全国準優勝の名門・滝川第二。
戦前の予想では、滝川第二有利と言われていたが、何の何の、試合はPK戦までもつれる熱戦となった。

過去、89回を数える選手権予選の決勝でPKまで決着がもつれたのは、たった1回。
84回大会の滝川第二―関西学院の1試合だけ。
この時は滝川第二のGK清水(現大分)が3人連続のシュートストップを見せ、優勝に導いている。

以来5年ぶりのPK決勝。
9人目で決着するというすさまじい試合だった。

サンテレビは5年前、放送枠を延長したにも関わらず、試合のすべてを放送できなかった。
その反省を生かし、翌年からさらに放送枠を延長し、備えてきた。
が・・・滝川第二の勝利の瞬間から放送終了までおよそ2分。
まさに放送する側もギリギリの攻防だった。

敗れた報徳学園。だが、夢が途絶えた瞬間、画面は笑顔の選手をとらえた。
「敗れて悔いなし」。素晴らしいチームだった。

野球部から134個のメガホンを借り、声の限りを尽くした応援団。
メンバー外の3年生(武内・松岡・中元)に名前とメッセージを書いてもらった主将マークを腕に巻き、全員で戦うと誓った主将・奥村。
準決勝前日に、3年生全員に直筆の手紙を渡し、感謝の気持ちを伝えた神田監督。
まさに、力の限りを尽くした戦いだった。

試合後、私の携帯電話に一通のメールが入った。
全くサッカーに興味のない私の兄からだった。
「お疲れさん。すごい試合やったなあ。感動した。」
絵文字なしのたった3行のメール。
でもこの言葉が、この試合のすべてを表しているのではないかと思う。

試合後、挨拶にベンチへと向かうと、報徳の選手が一人一人握手してくれた。
涙はなかった。
「僕の事、ちゃんと言ってくれましたあ?」
「あのシュート惜しかったでしょ?」
予想外の言葉。高校サッカーの中継を担当させてもらって、負けたチームの選手と今でも
何人かは親交があるが、これほど、試合後にさわやかに会話した記憶はない。

冒頭のセンバツ高校野球―。
池田高校を破り、見事栄冠を勝ち得たのは・・・報徳学園だった。
それから36年後の高校サッカー兵庫大会、今度は準優勝の「緑の戦士」が
まさしく「さわやかイレブン」だった。

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3900円

買うつもりは全くなかった。
だって知ってる曲ばっかりやもん!

世に出たのは、11月3日。
この日、先輩からの一言がなければ・・。
「お前、買ったん?」
高校サッカー準決勝に向かう車中、この言葉がグルグル頭を駆け巡った。
どうしよう・・・。
夜、テレビを見た。
音楽番組、知ってる曲が流れてくる。
久しぶりに聞いた。
ツイッターではなく、本当につぶやいた。
「やっぱええわ」
でも踏ん切りがつかない。

11月6日高校サッカー決勝前日、とうとうCDショップに立ち寄る。
あるか?
あった!
手に取る。
うん?通常版。
あれ、確か初回生産"限定版"があるはずなのに・・・。
あ、売り切れてる。
サッカー資料作成の際、BGMにしようか迷ったが、止めた。
結局、「My song Your song」がBGMに。
「気まぐれロマンティック」10回は聞いた。
う~ん、ノリノリ。仕事はかどる。
よし、もう決めた。
初回生産"限定版"があったら買おう。

11月8日月曜日。三宮のタワーレコードへいざ出陣!
ドキドキ。ミント神戸6F到着。
ポスターが目に飛び込んできた。
あった!あった!!
初回生産"限定版"!
DVD付きで"通常版"より少し高い?これだけ迷ったから、値段は関係ない。
というわけで、いきものがかりのベスト盤「いきものばかり」
めでたく購入しました。

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寒いけど温かい

"仙台めっちゃ寒いです"
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仙台入りの前日、先乗りしている先輩ディレクターから頂戴したメールである程度想像できた。
だが、空港に着いた瞬間、想像を超えていることに気付いた。
仙台は寒かった。
正確に言えば、寒暖差が大きかった。
昼間、Kスタ宮城の三塁側は日当たりが非常によく、半袖でも汗ばむ程。
だが、夜になると、気温は一変する。

今回担当のリポーター席は、風の通りがよく(?)、
陽が陰ると、かなり寒い。
もちろん、事前に打てる手は打った。
押入にしまってあったパッチを久しぶりに取り出し、仙台入りしてから着用。
同じく、セーターも球場に持参。
いざという時には、見栄えも関係ない。
スーツの上から・・・の覚悟。

準備万端、いざ放送へ!という午後6時、放送開始直前だった。
「風邪引くぞ~」
声の主は阪神・下柳投手。
ビックリして僕と横にいる他局のアナウンサーと目が合うと、ニタッ!
言葉に隠された優しさが何とも嬉しかった。

03
午後7時、ついに我慢の限界。
満を持して、セーター装着!
ふと気が付けば、他局のリポーターの方々は、ダウンジャケットを羽織っていた。

午後8時過ぎ、「寒いやろ。はいよ」
何と、山脇コーチからホットコーヒーの差し入れ。
う~、あ~り~が~とう~ご~ざ~い~ますう。

午後9時49分、阪神9回に逆転し勝利。
言うことなし。

寒さの中に人の温かさを感じた今回の遠征。
金本選手のヒーローインタビューの言葉と同じ思い・・・、
「僕は仙台が好きです!」

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取材メモ

取材メモの保管はあまりキッチリしているタイプではない。
でも、彼の関連メモはなぜかずっと手元にある。
「2002年11月7日(木)滝川第二高校 黒田監督」
初めて、岡崎慎司という名前を書いた日だ。

紙をめくってみる。
出てきた。
「16 岡崎慎司(弟・1年)」
でも、黒田監督に彼の事を聞いた記憶、メモを取った記憶はまるでない。
何と書いてるのか・・・。
「(黒田)経験のなさが出ている。決定力は相当高い。」
「(本人)兄とは小・中とずっと一緒のチームでプレーしてきた。
"何が何でも点を取るんだ"という気持ちの出たプレーはいつも勉強になる。」

う~ん、取材した記憶が全くない。
当時、背番号「16」の1年生FWは、その3日後の選手権兵庫大会決勝(サンテレビで中継)にも出場していない。そのせいか、県大会ではほとんど印象に残っていない。

当時のチームは絶対的なFWは不在だった。黒田監督も試合ごとにいろいろ変えていたのは覚えている。
4・5番手と見られていた彼とじっくり話をしたのは、全国大会に入ってからだった。

再び、取材メモ。
「2003.1。2 2回戦 滝川第二VS鳴門」
これは覚えている。確か、練習帰りのバスの中で話をした時のことだ。
「23岡崎(慎) 少し疲れている。体、全体的に重い。精神的に参っている」
ふむ、1年生だもんな。
「爆風スランプ"ランナー" 試合でも走りまくります」
??こんなん聞いたっけ?あ、思い出した。大会中、兄にもらったカセットウオークマンで
この歌をずっと聞いているって言ってた。
「今お兄さんが使っているMDウオークマンも卒業後、慎司の手に渡る」
(笑)ちなみに兄との関係はと言うと・・・
「<兄弟ゲンカ>中学生まではよくあったが、高校に入って全くしなくなった」
確かに、仲よさそうだったもんなあ。
「サッカーノート 表紙 点取り屋+ゴールハンター+全国制覇」
目標は明確だった。この3日後、彼は東福岡との準々決勝で2ゴールを挙げ、滝川第二2度目の国立行きの主役となる。

せっかくだから、もう少し見てみよう。
今度はノートだ。珍しく、探したらすぐに出てきた。
「2003 高校サッカー」
ペラペラ。「16 岡崎」あった!
もう取材した記憶もハッキリある。
「"夢" 高校サッカーは夢の1歩目。プロサッカー選手。世界№1ストライカー。」
この頃、今の彼の姿は到底、想像できなかったなあ。
「左足首付近ねんざ」
そうだ、確か、2年の選手権予選はケガで準決勝まで1分も出られなかったんだ。
「決勝に出てチームに貢献します」
第82回選手権兵庫大会決勝 岡崎慎司は後半開始から大会初出場。
ロスタイム奇跡の同点ゴール。
いまでもあの試合の実況は覚えている。
「世界№1ストライカーになりたいと話していた岡崎~、決めましたあ。」
チームは戦後初めてとなる同大会決勝での延長戦を制し、3年連続で選手権出場を決めている。

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こうなったら、3年のノートも見たくなってきた。
あるかなあ・・・。あった、本当に珍しい。
「2004 高校サッカー取材」
「16 岡崎」
「黒田→"初心に戻れ""主将→プレーに集中しろ""お前は点を取ることが最優先"」

3年で主将を任された彼は、最後の選手権、悩んでいた。
チームをまとめようと腐心するあまりにプレーに精彩を欠いていた。
見かねた黒田監督は、滝二のエース番号「9」から過去2年間、好成績を残してきた
「16」に変更し、様々なアドバイスを送った。
「ラストサムライ サムライほど強い意識を持って目標を目指すものはない。
僕に足りないのは"サムライ"の心。」

映画「ラストサムライ」に感銘を受け、この頃から彼の代名詞でもある"侍"という言葉が
度々出るようになる。

第83回選手権兵庫大会。
滝川第二は順調に勝ちすすみ、4年連続の選手権出場となった。
大会前、不調が伝えられていた岡崎慎司だが、予選全4試合でゴール。
さすが!

高校時代最後の取材欄には赤字で「慎司」と書いてあった。
「1年6月までEチーム。一番下の補欠だった。自分はうまくない。
プロに行くけど、うまくて獲ってもらったわけじゃない。ミスしてもいいから
自分の最初の気持ちに戻って、"一番下手"と思ってシンプルにやるだけ」

いつも僕がお母さんと話すたびに言う言葉は
「慎司君は本当に高校の頃と同じですね。」
すると帰ってくる返事も不変。
「あの子は自分が下手とずっと思っているからやと思います。」
岡崎慎司は、昔から何も変わらない。
だから、みんなに愛されるのではないかと思う。

最後の取材メモから6年が経った。
今、彼は、南アフリカにいる。
ワールドカップ。最高峰の戦いの中に・・・いる。
試合に出られるかどうか報道によると微妙とも伝わってきている。
でも、僕は信じている。
「世界NO1ストライカー」になることを。

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2人の監督

03
第88回高校サッカーは、山梨・山梨学院大学付属高校の初出場初優勝で幕を閉じた。
84回の滋賀・野洲以来5大会連続で初優勝校が誕生し、まさに
選手権は“群雄割拠”の時代に完全に突入した。

兵庫県代表・神戸科学技術(以下科技)高校は2年ぶり2回目の出場。
昨年の高校総体で初の全国ベスト8進出を果たし、今大会は優勝候補にも挙げられていた。
初戦の相手が、青森・青森山田。
こちらも同じくV候補。新春1月2日の試合は2回戦屈指の好カードとして注目を集めた。

「相手は横綱。うちは前頭。120点の試合をしたい」と話していた科技・鈴木利章監督。

実は、昨年の末、神戸を出発する前に、ある人から気合いを注入されていた。

そのある人とは、全国高校駅伝で2位に入った西脇工業・男子の足立幸永監督。

2人はともに現在の兵庫県多可町出身で、中町中学の先輩後輩の間柄。
(足立監督が2年先輩にあたる)

ちなみに、足立監督は中学時代野球部に所属、鈴木監督はサッカー部に所属していた。

12月下旬、静岡合宿に出発する直前、鈴木監督の携帯が鳴る。
「今ちょっと神戸におるねん。会える?」電話の声は足立監督だった。

久しぶりに三宮で再会した二人。
当然、話題は、全国高校駅伝へと移る。

西脇工業は、県予選では須磨学園の後塵を拝した。
西脇工業・報徳以外が優勝するのは、実に33年ぶり。
まして、足立監督は就任1年目。名将・渡辺前監督の跡を継いで1年目でのこの結果だけにかなり思うところがあったのではと、容易に想像できる。

03

その足立監督のパワーの源は、昨年12月、10度目の防衛に成功したWBCバンタム級チャンピオン長谷川穂積選手だった。
(長谷川選手は多可町に近い西脇市出身)
“よし、今度は先輩からパワーを頂く!”

しかも、西脇工業と最後まで2位争いをしたのが、青森山田高校!
さらに、駅伝チームの中心・田村選手はサッカー部の2年生エース柴崎選手と
同じ青森県野辺地町出身。
“その青森山田に競り勝ったんやから、次はサッカーでも!!”
間違いなく、西脇工業の全国2位は、鈴木監督を、科技高を勇気付けた。

しかし―。
1月2日千葉市原臨海競技場のピッチには、科技高の無念の涙・・・。
0-2。エース伊佐の負傷交代があったとはいえ、完敗だった。

最後のロッカールーム。
見るものの胸を締め付ける選手の涙。
鈴木監督は、何度も教え子を見渡し、ホワイトボードを静かに消す。
5分ほど経ってから、ケガの伊佐を労り、選手数人の頭を撫で、ゆっくりと語り出した。

「ご苦労さん!特に3年生、高校サッカーは終わるけど、サッカー嫌いにならんと遊びでも何でもいいからボールを蹴ってくれな・・・。」

そして、大きく深呼吸。
「俺は、昨日の夜の最後のミーティングで一つだけ言わなかったことがある。
俺自身はみんなに“ありがとう”って言ってない。
お前らが、今日ここまで連れてきてくれたわけやから、そのおかげで俺もいい思いをさせてもらった・・・。

本当にありがとう!!よく頑張ってくれた!!
お前らもう、科技高のユニフォームを着ることないけど、
またここにも1・2年生おるし、
後輩が頑張っているのをしっかり応援したってな。

ありがとう!よー頑張った!!
何も恥ずかしくない。顔を上げて神戸に帰ろう」

選手に感謝の意を表した鈴木監督。本当に優しい表情だった。
選手を第一に考える鈴木監督らしい最後のメッセージだった。

神戸科学技術サッカー部4期生の戦いは終わった。

2010年1月中旬、神戸―。
鈴木監督は、選手権以降、いまだ足立監督と連絡を取っていない。
「勝ったらな-(連絡してこいよ)」
という足立監督の言葉が脳裏に残っている。
“いつ電話しますか?“という私の問いに
「新人戦が終わってからかな」。
まもなく始まる新人大会。
「前途多難。勝てるかどうか分からないよ」と言いつつも
“足立監督に優勝報告を”が現在の鈴木監督の大きなモチベーションである。

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何と言ったらいいか

03
この日は忘れない

赤星選手が引退・・・。
寝耳に水とはまさにこの事。
一報を聞いて、すぐに会見場へまさに"飛びました"。

表情は複雑に見えました。
やはり、完全燃焼といかなかったからでしょうか。
無念さが見て取れました。

彼の会見を見ながら、思い出したのは2000年12月の入団会見。
有名な「新庄さんの穴は僕が埋めます」発言にまだ初々しい写真用のガッツポーズ。
走馬燈のごとく記憶が蘇りました。

「ビデオ早く見たいなあ」
この年の9月15日、赤星サヨナラ安打、18年ぶりの優勝という一連の流れをサンテレビは放送する事ができました。
それから少し経って、甲子園の通路、私の後ろを歩いていた彼が話しかけてくれた言葉です。「すぐ渡しますね」と即答。当時はDVDではありませんでした。
後日VHSテープを渡した時の子供のような笑顔・・・。

「すみません、ゴルフ行けません!」
大勢の報道陣がいる中で、目が合った私に言った2008年オフ。
恒例の「レッツゴータイガースゴルフ」の収録日とゴールデングラブ賞の表彰式が重なってしまったのです。
受賞の喜び会見でわざわざ謝ってくれて、こちらは恐縮するばかり。
いつもサンテレビの事を気に掛けてくれました。

今だから言えますが、18年ぶりに優勝した2003年。
多忙を極めたオフ、東京の放送局からの番組出演依頼に「先に声をかけてもらったので」と言って断り、「熱血!タイガース党」に出演してくれたこともありました。

「何か縁がありますよね」
これは今年の春聞いた言葉。
2003年9月15日のサヨナラ安打に始まり、
2004年5月15日雨の中でのサヨナラ安打。
2008年10月12日盗塁の球団タイ記録に
今年の4月 日盗塁の球団新記録。
これらのシーンを実況させていただきました。
そして、9月12日のあのダイビングー。
あれも実況は私でした。
密かに、もう一度彼が甲子園球場で躍動する姿を実況するのが夢でした。
そして、復活を遂げたその時、本人に言おうと思っていました、
「やはり縁ありますね」と。
でも、それは叶いませんでした。

「すみませんでした、何も話せなくて」
これも今年の開幕直後。
開幕3連戦明らかに体調は万全ではありませんでした。
私が挨拶しても返事はなく、相当厳しいのかなと。
でも、その直後、甲子園での開幕戦。
グランドに現れた彼が私を見て言った言葉が先のもの。
本当に誰にでも気遣いしてくれる選手でした。

たった9年?と思うくらいファンにも私たち報道陣にも様々な思い出を残してくれた
レッドスター。
今浮かぶのは一言だけです。
「ありがとう」

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何回見ても・・・

先日、テレビでまたこの映画を見ました。
「天空の城ラピュタ」。
初めて見たのは、1988年4月。
湯浅明彦、中学2年生(13歳)。
実は、1988年4月というのは、私が初めて当時のVHSビデオデッキを
手に入れた時期でもあるんです。
(もちろん兄のお古ですが)
そして、初めて手にした真新しいビデオテープで最初に録画したのが
何を隠そう"ラピュタ"なのです。

もう何回見たやろか?
両手では収まりきらないほどであるのは間違いない!

中学の時、一人ムチャクチャ"ラピュタ"好きの同級生がいて、
二人で台詞を言い合ったりしたこともあったなあ。
個人的には最後の場面でムスカという悪役が
「3分間待ってやる!」
という場面がなぜかすごく好きで、事あるごとに、よー言ってました。
主人公・パズーが吹くトランペットのメロディー、覚えました。
そうそう、ラジオ関西のアニメソングの番組で"ラピュタ"の歌が放送されたとかで、
そのカセットテープを借りて、すり切れる程聞いたこともありました。

見るたびに感じることが違うんですよね。
13歳の時の気持ちと35歳になった今と。
"宮崎駿さんが伝えたかったことは、何だろうか"
今回見て思ったことです。
昔は自然の大切さとばかり思っていましたが、実はまだあるのではないかと。
例えば、主人公・パズーの勇敢さ。
"男の子はこうあるべき"みたいなメッセージもあるのかな、とか
見終わってからしばらく考えました。

ただ、いくつになっても共通するのは
見てしばらくの間、空を見上げて感じること-。
「あの雲の向こうに"ラピュタ"あるんかなあ・・・」
アニメってホント素敵ですね!

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