さわやかイレブン

1974年センバツ高校野球、蔦監督率いる徳島・池田高校は快進撃を見せ、
見事、初の準優勝を果たした。
ベンチ入りのメンバーはわずか11人。やっと野球ができる程の人数での快挙は
「さわやかイレブン」として人々の記憶に刻まれている。

さて、競技は変わり高校サッカー。
その年の秋以来、全国の舞台から遠ざかっていたのは、報徳学園サッカー部。
今年の選手権予選で、実に、36年ぶりとなる決勝進出を果たした。
緑のユニフォームを身にまとった選手達の溌剌としたプレーぶりは、まさに「グリーン旋風」。

3年前、かつて神戸弘陵の監督として5回全国高校選手権出場の経験を持つ神田豊秀監督が就任。メキメキと力を付けてきた。野球部・ラグビー部に続けと古豪復活に向け、厳しい練習に耐えてきた成果が今回の決勝進出に繋がった。

決勝の相手は、今年の夏、インターハイで創部以来最高の全国準優勝の名門・滝川第二。
戦前の予想では、滝川第二有利と言われていたが、何の何の、試合はPK戦までもつれる熱戦となった。

過去、89回を数える選手権予選の決勝でPKまで決着がもつれたのは、たった1回。
84回大会の滝川第二―関西学院の1試合だけ。
この時は滝川第二のGK清水(現大分)が3人連続のシュートストップを見せ、優勝に導いている。

以来5年ぶりのPK決勝。
9人目で決着するというすさまじい試合だった。

サンテレビは5年前、放送枠を延長したにも関わらず、試合のすべてを放送できなかった。
その反省を生かし、翌年からさらに放送枠を延長し、備えてきた。
が・・・滝川第二の勝利の瞬間から放送終了までおよそ2分。
まさに放送する側もギリギリの攻防だった。

敗れた報徳学園。だが、夢が途絶えた瞬間、画面は笑顔の選手をとらえた。
「敗れて悔いなし」。素晴らしいチームだった。

野球部から134個のメガホンを借り、声の限りを尽くした応援団。
メンバー外の3年生(武内・松岡・中元)に名前とメッセージを書いてもらった主将マークを腕に巻き、全員で戦うと誓った主将・奥村。
準決勝前日に、3年生全員に直筆の手紙を渡し、感謝の気持ちを伝えた神田監督。
まさに、力の限りを尽くした戦いだった。

試合後、私の携帯電話に一通のメールが入った。
全くサッカーに興味のない私の兄からだった。
「お疲れさん。すごい試合やったなあ。感動した。」
絵文字なしのたった3行のメール。
でもこの言葉が、この試合のすべてを表しているのではないかと思う。

試合後、挨拶にベンチへと向かうと、報徳の選手が一人一人握手してくれた。
涙はなかった。
「僕の事、ちゃんと言ってくれましたあ?」
「あのシュート惜しかったでしょ?」
予想外の言葉。高校サッカーの中継を担当させてもらって、負けたチームの選手と今でも
何人かは親交があるが、これほど、試合後にさわやかに会話した記憶はない。

冒頭のセンバツ高校野球―。
池田高校を破り、見事栄冠を勝ち得たのは・・・報徳学園だった。
それから36年後の高校サッカー兵庫大会、今度は準優勝の「緑の戦士」が
まさしく「さわやかイレブン」だった。

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